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前田稔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

前田 稔(まえだ みのる、1893年明治26年〉2月10日[1][2] - 1990年平成2年〉4月2日[1][2])は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将海兵41期

経歴

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鹿児島県に前田甚助の長男に生まれる[1]1913年海軍兵学校卒(41期)[1]1914年海軍少尉。1915年海軍中尉[1]1919年海軍大学校(海大、選科)に入る[1]。同年海軍大尉。1921年海大卒業[1]。同年ポーランドに駐在する[1]1924年命帰国。同年浜風砲術長を経て[1]、海軍少佐、山城分隊長[1]1925年軍令部第3班第6課参謀。1928年比良艦長[1]1929年海軍中佐[1]1930年鎮海要港部参謀[1]1931年ソ連日本大使館武官[1]1934年命帰国、海軍大佐、軍令部第3部第7課長[1]1938年八雲艦長。同年ソ連日本大使館付武官、出仕[1]1939年第五艦隊情報部長。同年兼海南島特務部長[1]1940年練習艦隊参謀長。同年軍令部第3部長。海軍少将、軍令部第3部長兼大本営海軍報道部長[1][2]1942年第二十四航空戦隊司令官[2][2]1943年中華民国大使館付武官兼南京在勤武官[1][2]。同年海軍中将。1944年中国日本大使館付武官。1945年第十航空艦隊司令長官[1][2]終戦により予備役1946年復員庁第二復員局長[1]

1947年11月、公職追放の仮指定を受けた[3]

戦後は長命を保ち、1990年に97歳で死去した。

栄典

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勲章

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『日本陸海軍総合事典』第2版、251頁。
  2. ^ a b c d e f g 『日本海軍将官辞典』341頁。
  3. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、42頁。NDLJP:1276156 
  4. ^ 官報』第4456号「叙任及辞令」1941年11月14日。

参考文献

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