前田禎
前田禎 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 鹿児島県 |
生年月日 | 1942年3月6日 |
死没 | 2005年10月15日(63歳没) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会 |
所属厩舎 |
中山・岩佐宗五郎(1959年 - 1973年) 中山・二本柳俊夫(1973年 - 1974年) 中山・中尾銑治(1974年 - 1975年) |
初免許年 | 1959年3月1日 |
免許区分 | 平地・障害 |
騎手引退日 | 1978年2月19日 |
通算勝利 | 2696戦220勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 1975年(1977年開業) |
経歴 | |
所属 |
中山競馬場(1975年 - 1978年) 美浦T.C.(1978年 - 2005年) |
前田 禎(まえだ ただし、1942年3月6日 - 2005年10月15日)は、鹿児島県出身の元騎手・元調教師。
経歴
[編集]騎手時代
[編集]- デビューから1960年代
1958年に中山・岩佐宗五郎厩舎の騎手見習を務め[1]、1959年3月に同厩舎からデビュー。
同1日の東京第12競走5歳以上20万下・クモミドリで初騎乗初勝利[2] [3] [4]を挙げ、秋の東京では9月24日に初の1日2勝[5]、10月24日・25日には初の2日連続勝利[5]を挙げる。1年目の1959年には初の2桁勝利で20勝台となる24勝をマークするが、同年が自己最多となった[6]。
2年目の1960年には2年連続2桁で20勝[6]をマークするが、3年目の1961年には2月26日の東京第6競走障害特殊ハンデキャップ・トチヒカリ(7頭中6着)[7]を最後に一度騎手を辞めて岩佐厩舎の調教助手に転身。
1963年3月3日の東京第2競走4歳以上400万下・ホマレヒメ(12頭中11着)で騎手に復帰し[8]、7月27日の福島第2競走4歳以上30万下・セイザンで復帰後初勝利[9]を挙げる。
1964年には5年ぶりで復帰後初の2桁となる15勝をマークし、同年から1972年まで9年連続2桁勝利を記録[6]。
1965年から1967年には3年連続20勝台を記録し、1965年の中山大障害(秋)では10頭中8番人気の牝馬ミスハツクモでフジノオーの5連覇を阻止[10]して優勝[11]。1966年には東京障害特別(秋)で9頭中7番人気のニシノウチに騎乗し、フジノオーの全弟フジノチカラ[12]をアタマ差抑えて勝利[13]。
1967年には牝馬東京タイムズ杯で10頭中9番人気のクインレントゲンを2着に導き[14]、永田雅一所有で尾形藤吉厩舎のアドミラルで中山大障害(秋)3着[15]に入った。
1968年には障害入りしたクインレントゲンで東京障害特別(春)3着[14]、1969年の七夕賞では7頭中5番人気のヒシヤクシンでオークス馬ルピナスにハナ差3着[16]に入った。
- 1970年代
1971年には4年ぶりで最後の20勝台となる22勝をマークし[6]、アラブ王冠(秋)ではタマレントゲンで2着[17]に入った。
1972年の11勝が最後の2桁[6]となり、二本柳俊夫厩舎に移籍した1973年にはツキサムホマレで中京記念で13頭中12番人気ながらナオキの5着、ダイヤモンドステークスでは12頭中10番人気ながらトーヨーアサヒ・クリイワイに次ぐ4着[18]、京王杯スプリングハンデキャップでも4着に入った[19]。
1974年には中尾銑治厩舎に移籍し、10月27日の福島で第1競走3歳未勝利・オーギタカラ、第2競走3歳未勝利・テツノサザンカと連勝し、後者が最後の勝利となった[20]。
1975年2月23日の中山第11競走5歳以上400万下・エリモシャープ(10頭中4着)を最後に現役を引退し[21]、同年には調教師免許を取得[1]。
調教師時代
[編集]- 1970年代
引退後の1977年に開業し、1月30日の東京5競走4歳新馬・ダイシンスーパー(18頭中12着)で初出走を果たすと、5月14日の福島第9競走伏拝特別・リスティブで初勝利[1]を挙げる[22] [23]。
開業1年目の1977年は2勝、2年目の1978年は6勝、3年目の1979年には初の2桁勝利となる12勝をマーク[24]。
- 1980年代
1980年には「その牝系を抜きにして日本のアラブ競馬史は語れない」と言わしめるほどの影響力を示したオーバーヤン五ノ七を母系に持ち[25]、カブトシローと同じ青森・十和田の佐々木悼牧場で生産されたホクトチハル[26]でアラブ大賞典(春)を制し、重賞初勝利を挙げる[1]。ホクトチハルは後に中野隆良厩舎に移籍し、同年の優駿賞最優秀アラブに選出[26]されている。
1981年にはアイノフィーバーで岡部幸雄騎乗のセイユウ記念、河内洋騎乗のシュンエイ記念で共に3着に入った[27]。
1983年にはスピーデイタイガーで七夕賞を制し、同年のダービー卿チャレンジトロフィーでは3着、明けて1984年の金杯ではドウカンヤシマの2着、続く東京新聞杯3着と重賞で好走[28]。
1979年から1981年まで3年連続、1985年から1989年まで5年連続で2桁勝利を記録し、1986年には開業後初の20勝台となる自己最多の24勝をマーク[24]。
1987年の七夕賞ではレイレナードがオークス馬トウカイローマンを抑えてダイナシュート・ダイナフェアリーに次ぐ3着[29]に入り、ビーバップが1990年のクイーンステークス、1991年と1992年の関屋記念で2着になった[30]。
- 1990年代
1991年から1994年まで4年連続2桁勝利を記録し[24]、1993年にはマイスタージンガーで関屋記念・京成杯オータムハンデキャップを制し、毎日王冠・マイルチャンピオンシップにシンコウラブリイの4着に入った[31]。1994年の共同通信杯4歳ステークスではハヤテバラモンが最後方なら追い込み、ナリタブライアンの3着に入った[32]。
1998年にはミラクルタイムが毎日杯でディヴァインライト・ボールドエンペラー[33]、京都4歳特別ではメイショウオウドウを抑えて[34]勝利し、バプティスタが阪神4歳牝馬特別でロンドンブリッジ・エリモエクセルを抑えて3着[35]、秋華賞では13番人気ながらファレノプシス・エアデジャヴー・エガオヲミセテに次ぐは5着[36]に入り、同年には自身最後の20勝[24]をマーク。
1999年にはシェリフズスター産駒のセイウンエリアが日経賞でセイウンスカイの2着に入り、橋本広喜に乗り替わってからは福島記念10番人気4着、2000年には小倉大賞典を14番人気でジョービッグバンの5着、中京記念を10番人気でメイショウドトウの4着とローカル重賞の掲示板を確保[37]。
- 2000年代
2003年には松岡正海が所属騎手としてデビューし、松岡にはスタートをしっかりしろ、といつも言っていたほか、技術面以外では「身を粉にして働け」と教えた[38]。
2005年9月10日の中山第10競走浦安特別・ジャズアップが中央での最後の勝利[39]となり、騎乗していた二本柳壮は通算200勝を達成[40]。
晩年は病気療養中であったが、2005年10月15日午後3時15分に死去。享年64歳[1]。
亡くなる5日前の10月10日に盛岡第8競走銀河賞・セイカモリオカで最後の勝利を挙げ、亡くなった15日に弟子の松岡が騎乗した東京第10競走神無月ステークス・ジャズアップ(16頭中7着)が最後の出走となった[41]。
管理馬は翌16日付で相沢郁厩舎へ転厩し[1]、松岡も相沢厩舎に移籍した。
騎手成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
計 | 221 | 300 | 309 | 1844 | 2674 | .082 | .220 |
- 主な騎乗馬
- ミスハツクモ(1965年中山大障害 (春))
- ニシノウチ(1966年東京障害特別 (秋))
調教師成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 303 | 320 | 326 | 3727 | 4676 | .065 | .133 |
障害 | 9 | 12 | 15 | 100 | 136 | .066 | .154 |
計 | 312 | 332 | 341 | 3827 | 4812 | .065 | .134 |
- 主な管理馬
- ホクトチハル(1980年アラブ大賞典 (春))
- スピーデイタイガー(1983年七夕賞)
- マイスタージンガー(1993年関屋記念・京王杯オータムハンデキャップ)
- ミラクルタイム(1998年毎日杯・京都4歳特別)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f “前田禎調教師が死去”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “前田禎の近走成績”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|前田禎の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “競馬学校ブログ : 【競馬学校】教官のひとりごと~初騎乗フォト満載で!”. blog.jra.jp. 2024年10月10日閲覧。
- ^ a b “抽出[通算 1着レース]|前田禎の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ a b c d e “前田禎の年度別成績”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “前田禎の近走成績”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “前田禎の近走成績”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “前田禎の近走成績”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “フジノオー (Fujino O)”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “中山大障害|1965年10月17日”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “フジノチカラ”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “東京障害特別|1966年10月30日”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ a b “クインレントゲン”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “中山大障害|1967年6月11日”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “七夕賞|1969年10月5日”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “アラブ王冠|1971年11月14日”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “ダイヤモンドステーク|1973年4月1日”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “ツキサムホマレ (Tsukisamu Homare)”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|前田禎の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “前田禎の近走成績”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “前田禎の近走成績”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “前田禎のプロフィール”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ a b c d “前田禎の年度別成績”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “セイユウ”. 日刊競馬で振り返る名馬. 日刊競馬新聞社. 2024年10月10日閲覧。
- ^ a b 江面弘也「名馬を読む3」三賢社、2021年5月22日、ISBN 4908655197、p119
- ^ “アイノフィーバー (Aino Fever)”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “スピーデイタイガー (Speedy Tiger)”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “七夕賞|1987年7月12日”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “ビーバップ (Bebop)”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “マイスタージンガー (Meistersinger)”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “共同通信杯4歳S|1994年2月14日”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “毎日杯|1998年3月29日”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “毎日放送京都4歳特別|1998年5月10日”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “報知杯4歳牝馬特別|1998年3月15日”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “秋華賞|1998年10月25日”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “セイウンエリア (Seiun Area)”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “乗馬未経験からでも騎手になれる 松岡騎手インタビュー:競馬学校 JRA”. www.jra.go.jp. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “抽出[]|前田禎の調教師成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “二本柳壮騎手、JRA通算200勝達成”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “前田禎の近走成績”. netkeiba.com. 2024年10月10日閲覧。