前田利武
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前田 利武(まえだ としたけ、元治元年12月11日(1865年1月8日) - 1890年(明治23年)4月23日)は、前田侯爵家の分家の男爵。金沢藩主前田斉泰の十二男。
1881年(明治14年)3月に分家し、特旨によって華族に列せられる[1]。明治16年(1883年)1月にイギリス、ケンブリッジのキングス・カレッジに留学する。明治17年(1884年)7月、華族令が公布されると男爵に叙爵され、同年暮にカレッジを卒業した。1890年(明治23年)に死去した。
家族・親族
[編集]『平成新修旧華族家系大成』に夫人の記載はない[1]。養子として元富山藩主前田利聲の三男の芳明が迎えられ、利功(としこと、1888年 - 1962年)と名乗った[1]。
利功は、利武の死に伴い1890年(明治23年)5月22日に家督を継いだ[1]。『平成新修旧華族家系大成』によれば利功には5人の男子があった[1]。利功の嫡男利貴は、第二次世界大戦に出征するが、戦後にインドネシアで戦犯として処刑されている。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 破天荒〈明治留学生〉列伝 大英帝国に学んだ人々(小山騰著、講談社刊)P149-150
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』霞会館、1996年
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 (加賀)前田家(分家)初代 1884年 - 1890年 |
次代 前田利功 |