前田利命
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政12年11月11日(1800年12月26日) |
死没 | 文化2年5月21日(1805年6月18日) |
改名 | 裕次郎(幼名)、利命 |
戒名 | 香隆院 |
墓所 | 石川県金沢市の野田山 |
藩 | 加賀藩世嗣 |
氏族 | 前田氏 |
父母 |
前田治脩、武村氏娘・伊遠 前田斉広 |
前田 利命(まえだ としのぶ)は、江戸時代後期の加賀藩の世嗣。
来歴
[編集]寛政12年(1800年)、10代藩主・前田治脩の長男として金沢にて誕生[1]。幼名は裕次郎。父の治脩が56歳のときに生まれた唯一の子である。母は側室・伊遠(武村氏、智光院)で、母も37歳の高齢であった。
享和4年(1804年)正月、治脩の跡を継いで藩主となっていた従兄・前田斉広の養子となり、紀伊藩主徳川治宝の娘・豊姫と婚約した。松平の名字を与えられる[2]。文化2年(1805年)に早世した。享年6。野田山に葬られた。院号は香隆院。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『金沢市史』「資料編3 近世1」(1999年、金沢市史編さん委員会)
- 『石川県史 第2編』附録 第一系譜