利用者:Ziranmenkungfu/sandbox
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2004年全米武術選手権にて | ||||
基本情報 | ||||
ラテン文字 | Takashi Hayashi | |||
国 | 日本 | |||
出生地 | 広島県安芸郡府中町 | |||
生年月日 | 1972年12月30日(51歳) | |||
身長 | 175cm | |||
体重 | 70kg | |||
階級 | 男子 | |||
2023年2月17日現在 |
林 隆志(はやし たかし、1972年12月30日 - )は、日本の元全米武術選手権王者。広島県安芸郡出身。奈良県在住日本自然門武術代表 1994年に渡米してニューヨークで武術を学び、2000年頃からニューヨークで武術指導をする。2008年に帰国、関西中心に指導を再開する
人物
[編集]- 1994年に米国ニューヨーク渡米、2001年アメリカ同時多発テロ事件を現地にて体験して様々なボランティア活動支援に携わり、いつか人の為に支援したいと強く願う。同時に「人はいつか死ぬということ、それも好む好まぬ、突然死ぬ場合もあると」改めて思い知らされる。2001年デザイン会社NyyGを設立。2004、5年全米武術上級者部門連続優勝も本当の武術に達していないと思いから、武術界の至宝といわれた中国福建省 呂耀鉄師父[1](ロ・ヨウテツ)から自然門武術呂父師の元で武術の本質(自然門)[2]を学び直す。帰国する2008年までニューヨークで各国の人に武術指導。帰国後、関西[3]生駒市[4]を中心に武術指導を再開し現在にいたる。ガールスカウト[5]、平群町教職員対象の護身術講習会[6]や奈良先端科学技術大学院大学[7]で指導、その家族には武術クラスを無料で解放、障害者支援(たんぽぽの家)[8]をして障害者の方も積極的に受け入れる。KCNローカル番組[9]レギュラー出演中
受賞
[編集]- 2004年全米上級素手部門優勝 "Other Barehand Styles ages 18Up 2year Experience"[10]
- 2004年全米内家拳部門準優勝 "Other (Non-Taiji) Internal Styles ages 18Up 2year Experience"[11]
- 2005年全米上級素手部門優勝 "Other Barehand Styles ages 18Up 2year Experience"
- 2005年全米内家拳部門3位 "Other (Non-Taiji) Internal Styles ages 18Up 2year Experience"
自然門師父
[編集]初代: 自然門武術 創始者 徐矮师[12](ジョ ワイシ) 清時代後期、貴州省の人(1840年頃~?) 四川省 峨眉山にて修行、峨眉派系武術 幼いころから軟硬気功等を習練し、内外家、南北派の武術に精通していた。成人後は世間を渡り歩き高名な武術家などから教えを受け、その後山に隠遁し研鑽を重ね創始した。 *中国三大武術流派 「峨眉派」「少林派」「武当派(太極拳)」
二代目: 杜心五[13](シャ シンウ) 清時代後期、湖南省の人(1869一1953) 6才頃から梅花拳、南拳、武当拳を学ぶ 13歳で四川省峨眉山にて徐矮师師父の元で自然門武術を学び 特に波脚(矮人歩)を授かる、ボディーガードの仕事をするなど、31歳(1900年)東京帝国農業大学へ留学 38歳(1907年)蒋介石のボディーガードになる 41歳(1911年)辛亥革命のち、農林大臣に任命される 57歳(1927年)中央政府が南京に移り農林省で働く 63歳(1932年)湖南省にて第二回中国武術大会の委員メンバーになる 84歳(1953年)家族に見守られて生涯を全うする。
三代目 萬藾声[14](マン ライセイ) 1902年湖北省 武漢市出身 杜心五師父から自然門を学び、その他の武術家からも学ぶ 20歳頃(1922年頃) 北京農業大学に入学 26歳(1928年) 南京で行われた武術大会で学者や著名人から見出される 最初の著書、「武術集」を出版、将軍の階級を与えられた初の武術家 50歳(1952年)に福建省委員会に誘われ福建省に移住 84歳(1986年)に福建省武術学院が万師父監修のもと組織され 高弟の呂耀鉄(ロ ヨウテツ)が責任者となり多くの生徒を監督指導する。 晩年は精力的に講演や更新の育成に励む 91歳(1992年)で死去 、偉大な武術家で学者でもあり、道教と漢方薬の専門家以上でした 「武術教育を通して国を救う」というアイデアを持っていた。
四代目 呂耀鉄(ロ ヨウテツ) 1949年福建省 福州市出身 幼少(1960年の頃)萬籟声(バン ライセイ)師父から26年間の 長きに渡って厳しい修行い自然門武術を習得する 37歳(1986年)萬籟声師父から正式に独立を許される 自然門武術館の設立、武術、推拿、東洋医学、長寿学、道教など 37歳(同年)福建省武術学院責任者となり多くの生徒を監督指導する 37歳(同年)萬籟声師父共に日本、台湾、中国の武術文化交流をする 41歳(1989年)福建省の伝統武術を代表して最上級部門で優勝 42歳(1990年)日本に招かれて六合拳の演武し賞賛される 45歳(1993年)中国、香港合同国際武術大会で金メダル5つ獲得 64歳(2013年)交通事故で亡くなる * A級国際武術審判 福建省 武術議会理事 福建省 人体科学協会理事 福建省 気功協会理事
脚注
[編集]- ^ 呂耀鉄師父[1]
- ^ 自然門[2]
- ^ 関西[3]
- ^ 生駒市[4]
- ^ ガールスカウト[5]
- ^ 護身術講習会[6]
- ^ 奈良先端科学技術大学院大学[7]
- ^ たんぽぽの家[8]
- ^ 「ないとフィーバーイコマ」[9]
- ^ 2004年全米上級素手部門優勝 "Other Barehand Styles ages 18Up 2year Experience"[10]
- ^ 2004年全米内家拳部門準優勝 "Other (Non-Taiji) Internal Styles ages 18Up 2year Experience"[11]
- ^ 徐矮师[[12]]
- ^ 杜心五[[13]]
- ^ 萬藾声[[14]]
著書
[編集]- 『武術コミュニケーション』 (2021年)ISBN 9784434286285
外部リンク
[編集]- https://nyyg.com/ 日本自然門武術 - 公式ホームページ
- https://lit.link/nyyg/ SNS Lit.link
- https://www.youtube.com/ilovenyyg/ 日本自然門youtube
- 日本自然門のFacebook (japanziranmen) - Facebook