コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

利用者:ZERO/GARNET CROW編纂史

ひとつのページの編集履歴から、記事成長の過程をみていく参考ページ。

履歴

2004年

[編集]
  • 2004年2月16日、初版が220.36.64.39さんによって作成される。
  • 2004年2月18日、3版。Nnhさんの加筆により、メンバー、ディスコグラフィーの各節が成立。
  • 2004年2月19日、5版より加筆開始。当時は未ログイン。
  • 2004年2月21日、各メンバーソロ作品の項目を加筆、サポートメンバーの記事もこの頃から。
  • 2004年2月22日、9版よりZEROの名で加筆開始。今と比べるとシンプルだが一応これでも概要は分かる。

2004年6月16日、シングル『君を飾る花を咲かそう』が発売。

  • 2004年11月2日、「GARNET CROW以外のアーティストと共に収録されているアルバム」の節が 222.148.203.58さんの加筆によって成立(後の「コンピレーション参加アルバム」)。

2004年11月17日、シングル『忘れ咲き』が発売。

2004年12月8日、アルバム『I'm waiting 4 you』が発売。

2005年

[編集]

2005年5月18日、シングル『君の思い描いた夢 集メル HEAVEN』が発売。

  • 2005年8月4日、100版を220.98.170.253さんが作成。
  • 2005年8月末、各節の名前が英語に書き換えられ、過去の版、スタイルを完全に無視した投稿が連発され、9月1日まで続く(一番ひどい状態)。同時期、通称ZIO studio事件勃発。はてなダイアリーの無責任なページをもとにGIZA studioを揶揄したページが作成される。2つとも同一人物による。(はじめに「GARNET CROW」の名前の由来を記入したのは当人物。そのためこの記述の妥当性をずっと疑っていた。最終的には当たらずとも遠からじな感じだったのだが・・・)削除依頼がされ終結。

2005年11月23日、シングル『晴れ時計』が発売。

  • 2005年12月22日、英語に書き換えられた各節をようやくもとどおりに復元する。今考えればリブートが適当だったか。

2006年

[編集]
  • 2006年1月16日、200版を村上ぽちさんが作成。

2006年3月1日、シングル『籟・来・也』が発売。

  • 2006年3月1日、「近況を知るには」の節を作成(後の「関連メディア」)。
  • 2006年3月、「ファンが思うほど売れていないというなら証拠を出せ」論争をノートページ上で行う。今見ると自分の文章が下手で恥ずかしい限り。
  • 2006年4月、「DTMという表記は稚拙である」とノートページ上で言われる。確かにその通り。加筆修正してもらう。
  • 2006年5月27日、300版を220.7.152.152さんが作成。
2006年6月、Wikipedia:検証可能性が運用開始。それまで参考文献を3つしか書いていなかったのでかなり焦る。

2006年7月5日、シングル『夢・花火』が発売。

  • 2006年8月14日、400版をTMM201さんが作成。

2006年8月16日、シングル『今宵エデンの片隅で』が発売。

  • 2006年8月17日、各メンバーのページを独立。今考えると、それまで一緒だったのが不思議なくらい。
  • 2006年8月22日、脚注による参考文献・出典の記述を急いで開始。早くこの機能に気づけば良かった。
  • 2006年8月末、『深紅のカラス』の資料による出典を確認(ただしこの当時は「真紅」と間違って書いていた)。それまではテレビ・ラジオによる発言だけだったのかも。

2006年9月13日、シングル『まぼろし』が発売。

  • 2006年10月29日、500版
  • 2006年11月、『深紅のカラス』が正しいのではないかと指摘を受けて修正する。お恥ずかしい限り。

2006年10月4日、アルバム『THE TWILIGHT VALLEY』が発売。

  • 2006年12月16日、念願だった「評価・音楽性」の節を加筆。あとデビュー時の「倉木麻衣との関わり」が出典に記載されていないことに気づき、急いで見つける。これもテレビ・ラジオの発言だったのかも。
  • 同日、秀逸な記事の選考に自薦。選考開始。

2007年

[編集]
  • 2007年1月8日、選考過程を経て、秀逸な記事の選考を通過
  • 2007年1月15日 - 22日:トップページに初の掲載。