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利用者:Yumoriy/note

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図書館書誌(日本目録規則)における「シリーズ」

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→《Yumoriy/note/「series」属性と図書館書誌における「シリーズ」》に移設。

脚注(出典)のname定義の位置は「後置修飾」の形でもよいか?

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記事の複数箇所で利用する出典・典拠の refタグの「name属性」の定義/指定は、当該記事を最初(一回目)に典拠利用するrefタグにおいて ではなく、二回目以降のrefタグでおこなってもよいか?

  • この方式だと、ソースコード上、当該の出典記事が最初に登場する出典注refタグはエイリアスとなり(name属性で呼び出していて実体でない)、あとからそのname属性の定義/指定/設定がなされることになる(いわば「後置修飾」のかたち、である)。
  • 本来は、最初にその典拠記事を利用するrefタグで書誌情報とともに name属性を設定/定義して、それ以降をエイリアスで呼び出すべき(であるように思われる)。
  • refタグのname属性の指定と利用の順序が逆転するのは、まずい記述法なのではないか…? と思ったが、特に支障なく投稿・また表示できる気配。問題ないのかしら? ルール、あるのだろうか?
  • (現実的には、同一記事を長期にわたって多数のアカウントが編集していれば、好むと好まざるとに関わらず、意図せず事故的に、こうしたname属性定義の「後置修飾」状態は生じてしまう。と考えられる。すなわち、禁止することは合理的でない。)
  • (普通の論文ライティングなら、最初に出る註で出典を記して、あとは ibid.(前掲書・前掲論文)で省略する。)
  • 箇条書き(ただし各条が複数文からなる)で記述しているタイプの本文などでは、refタグのname属性の定義/指定を当該の項目の末尾に回すと、ページのソースコードが視覚的にわかりやすくなる(出典情報を修正する必要が生じた際に、name属性を定義しているrefタグを後から探しやすくなる)ように思われた。

--Yumoriy会話) 2023年4月12日 (水) 06:12 (UTC)

映画作品ページでの「あらすじ」記述の諸問題について

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2023年に、偶然見かけて以下の2つのノートページで会話に参加しました。その過程で気づいたことをメモしておきます。

あらすじでの「ネタバレ(ネタバラシ)」記述の扱いと、映画会社の宣伝方針(宣伝をせず、当初はパンフレットや公式サイトも作成しない)との兼ね合い、あらすじ記述の過剰な詳細さが主たる論点となっていました。また、その過程でWikipediaの方針やガイドラインに依拠して、あらすじの記述に出典(典拠)を求める主張が見られました。関連する規範的文書を探してみました。

  1. プロジェクト:映画/映画作品スタイルガイド#ストーリーPJ:MOSFILM) - プロジェクト:映画 に置かれたウィキペディア日本語版のガイドライン
    1. 映画のあらすじ記述は映画作品それ自体が出典である。出典は記事冒頭インフォボックスで示されるため、記述の典拠表示は不要である[1]。ただし、消失した映画や公開前の映画は、検証可能性を満たせないため、二次資料の出典明示により検証可能性を満たす必要がある[2]
    2. 長編映画のあらすじの長さは、1,500字から2,500字の間であるべき」と字数を明示的に規定[3]。制限字数を超える場合は、その妥当性を他の編集者と協議する。複雑な作品を二次資料に依拠して説明する場合は、出典を明示する。
  2. プロジェクト:フィクション#一次情報の扱いPJ:FICTION) - プロジェクト:フィクション における記事作成のガイドライン
    1. フィクション作品における「作品全体のあらすじや登場人物が物語にどう係わるか」の記述は、作品そのものを典拠とすることが明白であり、出典が明記されずとも検証可能性を満たす(すなわち、記述に典拠表示は不要)[4]。ただし、「登場人物の性格など」の「細かい設定」は、ウィキペディア編集者個人による憶測を排除するため「一次、二次資料を問わず」当該記述の出典の明示による検証可能性の担保を推奨する。
  3. Wikipedia:あらすじの書き方WP:PLOTSUM) - Wikipedia:方針とガイドラインの一覧#内容についてのガイドライン の一つ。
  4. Wikipedia:ネタバレWP:SPOIL) - Wikipedia:方針とガイドラインの一覧#内容についてのガイドライン の一つ。
  5. Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料WP:PSTS) - ウィキペディア日本語版の三大方針 の一つ(WP:NOR
    1. ウィキペディアの記事は基本的に、一次資料ではなく、「公表ずみの信頼できる二次資料(一部では三次資料)に基づいて」書かれなければならない。しかし、諸条件をクリアするかたちで注意深く扱う場合には、一次資料の典拠利用も許される。
    2. 小説などのあらすじ記述は、ウィキペディアにおいて例外的に“一次資料”の典拠利用が許される「事実について率直な記述を行う場合」に該当し、「その小説の文章を出典とすること」が許される[5]。ただし、そこに「解釈」が含まれる場合は二次資料の出典明示が求められ、「一次資料から得られる情報について、あなた自身が分析・合成・解釈・評価など」をしてはならない[6]

--Yumoriy会話) 2023年7月31日 (月) 07:49 (UTC)

脚注

  1. ^ 映画作品記事ではその映画が主要な情報源であり、詳細はインフォボックスで確認できるので、映画が出典であることを明示する必要は ありません」。映画のあらすじ(ストーリー)記述については、典拠表示の必要性を明示的に否定している。
  2. ^ この例外には、公開前の映画や 一般には内容が検証できない消失した映画が挙げられます。この場合は、二次資料を使ってください」。“あらすじ記述には出典提示を不要”とするのが基本ルールだが、フィルムの消失した映画や一般公開前の作品など当該映画の視聴が不可能である場合に限っては、記述の典拠たる映画そのものを確認することであらすじ記述の妥当性を検証することが不可能になっているのであるから、ルールの「例外」としてあらすじ記述に二次資料の出典明示が必要となることを言う。文意が取りにくい。
  3. ^ 日本語として読む限り、この規定はあらすじ記述部分の最小字数と最大字数を定めたもの。「長編映画」の定義は不詳。たとえば「サタンタンゴ」(タル・ベーラ、7時間)も「原油」(ワン・ビン、14時間)も同じく「長編映画」ではある。
  4. ^ 経験則から言って、作品全体のあらすじや登場人物が物語にどう係わるかといった記述は、脚注等を用いて出典を示さずとも 作品そのものを参考に書かれていることが明白であるため、検証は可能です」。すなわち、あらすじ記述は当該作品を“出典”としてなされるのが経験上明らかであるから、典拠表示がなくとも出典が明らかであり、ウィキペディアの「方針:Wikipedia:検証可能性」を満たす、とする。また同時に、フィクション作品記事のあらすじ記事において、「作品そのもの」という「一次情報」すなわち二次資料でない「一次資料」の出典利用を許可している。
  5. ^ WP:NORは見出し「方針」の下に、「ウィキペディアにおいて一次資料を使用してよいのは、(a) 事実について率直な記述を行う場合のみ であり、(b) 特殊な知識を持たない、普通の教育を受けた人が、その資料を参照して検証できる場合 に限られます」と規定し、その条件を満たす一例として「たとえば、ある小説についてあらすじを記述する場合、その小説の文章を出典とすることは可能ですが」と行文を続けている。
  6. ^ たとえば、ある小説についてあらすじを記述する場合、その小説の文章を出典とすることは可能ですが、それについての解釈には二次資料が必要です。一次資料から得られる情報について、あなた自身が分析・合成・解釈・評価などをしてはいけません。代わりに、そのようなことをしている二次資料を出典としてください。」とある。指示詞「それ」が何を指すのか不分明。「たとえば」以降、段落末の「出典としてください」までが「ある小説についてあらすじを記述する場合」の例示だとすれば、「小説のあらすじについての解釈(あらすじを記述するにも読み手の“解釈”を相当以上に入れ込まざるを得ない作品は存在する)」とも読めるが、「当該小説についての解釈(一次資料(=小説そのもの)にもとづくあらすじ記述はOKだが、作品の分析・合成・解釈・評価はNG)」とも読める。