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現代のユートピア
[編集]21世紀になると、ユートピアをめぐる議論には脱希少性経済や後期資本主義、ベーシックインカムなどの論点が加わってくる。ルトガー・ブレグマンは2016年の著書『隷属なき道』(原題:リアリストのためのユートピア / Utopia for Realists)で「人的資本主義」ユートピアを描き、ベーシックインカムや週15時間労働、国境の開放について論じた[1]。
北欧諸国は2019年時点で世界幸福度ランキングの最上位を占め、現代のユートピアと呼ばれることもある。ただし英国のジャーナリストであるマイケル・ブースは著書『限りなく完璧に近い人々』(2014年)で、北欧の暮らしがそれほど完璧ではないと指摘する[2]。
社会・経済
[編集]19世紀初頭、商業主義と資本主義の進展が社会を混乱に陥れるとの危機感から、数々のユートピア思想が台頭してきた。これらは大きくは空想的社会主義の流れに属する。共通の特徴として平等主義的な資源の分配が挙げられ、金銭のやりとりを一切廃することも多い。人々は公共の福祉のために自分の好きな仕事をし、豊富な余暇にはアートや科学の教養を深める。そうしたユートピアの古典的な例がエドワード・ベラミーの小説『顧みれば』に描かれている。ウィリアム・モリスが『ユートピアだより』で描いたのは少し異なる社会主義ユートピアで、ベラミーのトップダウン型(官僚主義)ユートピアへの批判的応答にもなっている。ただし社会主義運動はやがてユートピア思想から離れていき、なかでもマルクスはユートピア的な社会主義思想を厳しく批判した。唯物論的なユートピア社会を特徴づけるのは完璧な経済であり、そこでは物価はつねに安定し、経済的にも社会的にも皆が平等になると考えられる。
英国の政治家エドワード・ギボン・ウェイクフィールドは19世紀初頭に植民地政策についてのユートピア的理論を提唱した。これも経済学的考察に主眼を置くものだが、階級格差を温存する意図が含まれている[3]。ウェイクフィールドの理論はニュージーランドやオーストラリアを含むいくつかの植民地政策に影響を与えた。
H・G・ウェルズの『モダン・ユートピア』(1905年)は広く読まれ、多くの議論を巻き起こした。エリック・フランク・ラッセルは『大いなる爆発』(1963年)の最終章で経済的・社会的ユートピアを詳細に描いている。地域交換取引制度(LETS)に初めて言及したのもこの作品である。
ソ連ではフルシチョフ政権下の雪融け時代[4]、作家イワン・エフレーモフが『アンドロメダ星雲』(1957年)というSF小説で宇宙規模の「雪融け」を描いた。人類が銀河規模の集団と交流し、異なる哲学が活発にぶつかり合う社会的枠組みのなかで科学技術と文化を発展させていくという設定である。
イギリスの政治哲学者ジェームズ・ハリントンが1656年に書いたユートピア的共和国論『オセアナ』は英国の土着政党(Country Party)の共和主義を触発し、アメリカ大陸の植民地経営にも影響を与えた。ハリントンの思想はやがてアメリカ合衆国建国者らの理想となる。英国の植民地のなかでカロライナ、ペンシルベニア、ジョージアの3つの植民地がユートピア社会として設計された。ジョージアではとくに「農業的平等」を重視して農地が平等に割り当てられ、追加で農地を購入したり相続したりすることは禁じられていた。これはのちにトーマス・ジェファーソンが思い描いた「自作農」(ヨーマン)を基礎とする民主主義の初期の試みと言える。
米国では1960年代にコミューンが盛んになり、よりよい生き方を目指す共同生活が広まった。「大地へ帰れ」運動やヒッピーたちに刺激されて、多くの人が都会を離れて自然豊かな土地に移住し、安らかで調和した暮らしと新たな共同生活の運営を模索した[5]。たとえば1967年から1973年まで存続したカリフラワー・コミューンでは、既存の社会規範からの脱却と理想の共同体自治が試みられた[6][7]。
そのように共同でよりよい生活を実現するためのインテンショナル・コミュニティを築く試みは世界中に存在する。失敗に終わったものも多いが、なかには発展を続けているコミュニティもある。たとえば1972年に米国で発足した十二支族教団は、世界各地で現在も活動を続けている。
環境
[編集]エコロジカル・ユートピアは、自然との新たな関わり方を志向するユートピアである。アーネスト・カレンバックの著書『エコトピア』(1975年)はエコロジカル・ユートピアを描いた最初期の小説で、エコロジカル・ユートピア思想に大きな影響を与えた[8]。リチャード・グローブは著書『Green Imperialism』(1995年)で、エコロジカル・ユートピア思想の歴史的ルーツを探っている[9]。それによると、西洋のデータ中心の科学者らがユートピア的な熱帯の島に出会ったときの衝撃から、初期の環境主義が生まれたという[10]。エコロジカル・ユートピアは自然破壊によって成り立つ西洋現代人の生活が[11]、工業化以前の伝統的な暮らし方から大きく離れてしまったことを問題にする[12]。より持続可能な社会のあり方を目指す運動と言ってもよいだろう。オランダの哲学者 Marius de Geus によると、エコロジカル・ユートピアはグリーンポリティクスを含む社会・政治的運動を推進する力になりうる[13]。
フェミニズム
[編集]ユートピアはジェンダーの問題にも深い関心を抱いてきた。性別は社会的に構築されたものか、それとも生物学的に人に組み込まれたものなのか、あるいはそれらが組み合わさったものなのか[14]。ユートピア思想の多くは社会的・経済的な女性の地位に関心を持ち、何らかのジェンダー平等を思想の要に置いている。その具体的なビジョンは女性嫌悪の解消、性別による住み分け、男女の差異がない中性的な平等など様々である。エドワード・ベラミーは1887年の小説『顧みれば』のなかに、女性参政権など当時のフェミニスト運動の論点を取り入れた。彼の描いたユートピア社会では、体力の違いを考慮して女性を軽工業に就かせたり、子どもを産んでもらうための様々な例外規定はあるが、基本的には男女は平等である。またフェミニストのユートピアの古典として有名な作品に、シャーロット・パーキンス・ギルマンの『フェミニジア』(原題:Herland, 1915年)がある。
サイエンス・フィクションおよびスペキュレイティブ・フィクションでは、社会だけでなく生物学的水準でもジェンダーの概念が再考される。マージ・ピアシー の『時を飛翔する女』(1976年)に描かれる社会ではジェンダーだけでなくセクシュアリティも(相手のジェンダーが何であれ)平等である。女性の権利を語る上でしばしば避けがたい壁となる妊娠・出産の問題についても、人工子宮などの技術によって乗り越えられている。生まれた子どもはほとんどの時間を親ではなく他の子どもたちと一緒に過ごす。1人の子どもにつき「母親」は3人いるのが普通で、母親はジェンダーではなく経験や能力によって選ばれる(男性も女性も母親になる)。そうした科学技術による出産・育児からの解放はシュラミス・ファイアストーンの『性の弁証法』(1970年)でも論じられている。Mary Gentle の『Golden Witchbreed』(1984年)に出てくる異星人は思春期を迎えるまでジェンダーの区別がなく、ジェンダーで社会的役割が分かれることもない。それに対して、ドリス・レッシングの小説『The Marriages Between Zones Three, Four and Five』(1980年)では男性と女性には本質的に異なる価値があり、両者の歩み寄りが重要であることが示唆される。Elisabeth Mann Borgese が『My Own Utopia』(1961年)で描いた社会にはジェンダーは存在するが、生物学的な性に縛られてはいない。ジェンダーのない子どもたちがやがて女性になり、そのうち一部の人がやがて男性になる[14]。またウィリアム・モールトン・マーストン原作のコミック『ワンダーウーマン』(1941年 -)にはパラダイス島で暮らす女だけの一族「アマゾン族」の母権社会が描かれている。
ユートピア作品に登場するシングルジェンダー社会やシングルセックス社会は、昔からジェンダーの意味や差異について考察する手段であり続けている。SF作品に登場する女性だけの世界は、男性が病気で死に絶え、技術の進歩で女性による単為生殖が可能になった結果として描かれることが多い。古くは1915年の『フェミニジア』もそうであったが、1970年代になってレズビアン分離主義の運動に呼応し、女性だけのユートピアが多く登場した[15]。ジョアンナ・ラスの『フィメール・マン』、Suzy McKee Charnas の『Walk to the End of the World』および『Motherlines』などが代表的である[15]。こうした女性だけの社会は、家父長制から解放されて自立した女性の姿を想像するためのツールとなる。そこはレズビアン社会として描かれることもあれば(Katherine V. Forrest の『Daughters of a Coral Dawn』)、セクシュアルな関係性が存在しない場合もある(シャーロット・パーキンス・ギルマンの『フェミニジア』)[16]。
SFによって未来のジェンダー役割を探求する作品は欧州などと比べて米国でとくに多いという指摘もあるが[14]、ノルウェーの作家 Gerd Brantenberg による『Egalias døtre』やドイツの作家クリスタ・ヴォルフの『メディア-さまざまな声』など、各国の作家が影響力の大きな作品を発表している。
参考文献
[編集]- ^ Heller, Nathan (2018年7月2日). “Who Really Stands to Win from Universal Basic Income?” (英語). The New Yorker. ISSN 0028-792X 2019年8月25日閲覧。
- ^ “Are Danes Really That Happy? The Myth Of The Scandinavian Utopia” (英語). NPR 2019年8月25日閲覧。
- ^ Woollacott, Angela (2015). “Systematic Colonization: From South Australia to Australind”. Settler Society in the Australian Colonies: Self-Government and Imperial Culture. Oxford: Oxford University Press. p. 39. ISBN 9780191017735 24 June 2020閲覧. "In Wakefield's utopia, land policy would limit the expansion of the frontier and regulate class relationships."
- ^ “the Thaw – Soviet cultural history”. 14 May 2017閲覧。
- ^ “America and the Utopian Dream – Utopian Communities”. brbl-archive.library.yale.edu. 14 May 2017閲覧。
- ^ “For All the People: Uncovering the Hidden History of Cooperation, Cooperative Movements and Communalism in America, 2nd Edition”. secure.pmpress.org. 2017年4月26日閲覧。
- ^ Curl, John (2009). “Communalism in the 20th Century”. For All the People: Uncovering the Hidden History of Cooperation, Cooperative Movements, and Communalism in America (2 ed.). Oakland, California: PM Press (2012発行). pp. 312–333. ISBN 9781604867329 24 June 2020閲覧。
- ^ Archived at Ghostarchive and the Wayback Machine: Callenbach, Ernest. “"Ecotopia Then & Now," an interview with Ernest Callenbach”. YouTube. 2013年4月6日閲覧。
- ^ Grove (1995年). “Green imperialism : colonial expansion, tropical island Edens, and the origins of environmentalism, 1600-1860”. Cambridge University Press. 14 August 2022閲覧。
- ^ Mollins, Julie (22 February 2021). “Selective memories: The historical roots of environmentalism”. CIFOR Forests News 16 August 2022閲覧。
- ^ Kirk, Andrew G. (2007). Counterculture Green: the Whole Earth Catalog and American environmentalism. University Press of Kansas. p. 86. ISBN 978-0-7006-1545-2
- ^ For examples and explanations, see: Marshall, Alan (2016). Ecotopia 2121: A Vision of Our Future Green Utopia. New York: Arcade Publishers. ISBN 978-1-62872-614-5 And Schneider-Mayerson, Matthew, and Bellamy, Brent Ryan (2019). An Ecotopian Lexicon. Minneapolis: University of Minnesota Press. ISBN 978-151790-589-7
- ^ de Geus, Marius (1996). Ecologische utopieën – Ecotopia's en het milieudebat. Uitgeverij Jan van Arkel
- ^ a b c Tierney, Helen (1999). Women's Studies Encyclopedia. Greenwood Publishing Group. p. 1442. ISBN 978-0-313-31073-7
- ^ a b Martha A. Bartter, The Utopian Fantastic, "Momutes", Robin Anne Reid, p. 101 ISBN 0-313-31635-X
- ^ Gaétan Brulotte & John Phillips,Encyclopedia of Erotic Literature, "Science Fiction and Fantasy", CRC Press, 2006, p. 1189, ISBN 1-57958-441-1