利用者:Yiuchan/釧路市の産業
<釧路市
釧路市の産業(くしろしのさんぎょう)では、北海道釧路市における各産業の概要を示す。
第1次産業
[編集]農業
[編集]霧の町としても知られている釧路市は、日照時間も少なくまた冷帯に属するため、乳用牛を中心とする畜産業を営んでいる農家が多い。次いで肉用牛畜産、若干の野菜、花卉生産もなされている。
漁業
[編集]漁業(スケソウダラ、マダラ、サンマ、イカ)は北海道最大の規模。全国の13%を占めている。 1990年まで全国一位の水揚げを誇る。(13年連続 国内、世界一位)
第2次産業
[編集]鉱業
[編集]かつては石狩炭田と並ぶ釧路炭田を有することから、太平洋炭礦、雄別炭鉱雄別炭山・尺別炭山といった複数の炭鉱が開かれていた。しかし、エネルギー資源が石炭から石油へとシフトしたことにより次々と閉山を余儀なくされた。なお釧路市の発展に大きく寄与した太平洋炭礦は2002年に閉山し、現在「釧路炭鉱」として釧路コールマインに受け継がれ、規模を縮小しつつ国内最後の坑内掘り炭鉱として採掘している。
石炭生産が衰退したことにより、釧路市の雇用は大きく失う結果となった。
工業
[編集]釧路市には工業団地(産業集積地)として以下の地区がある。
- 釧路白糠工業団地
- 西港臨海工業団地
- 釧路益浦軽工業団地
- 釧路愛国ソフトパーク
地場産業
[編集]地酒「福司」を製造する福司酒造(1919年に敷島商会として創業)や、地ビールブルワリーくしろ港町ビール(1997年創業)がある。
2003年には、釧路市と白糠町ともに指定され、ジメチルエーテルの研究・供給拠点の集積を図っている。企業は進出後3年間の固定資産税免除措置等、優遇措置がある。
その他の工業
[編集]第3次産業
[編集]運輸業
[編集]各記事を参照されたい。(鉄道:釧路駅・雄別鉄道、バス:くしろバス、航空:釧路空港、港湾:釧路港)
商業
[編集]根釧地区を代表する商都として、周辺地区に比べ盛んである。しかし、日本全体に見られる流通形態の変容は、釧路市にも顕著に見られ、地元や旧態の商業施設は廃業・撤退を迫られ、これに立ち代るようにして大型ショッピングモールが台頭している。(後述)
また、市外からの観光客をもターゲットにした商業施設として、和商市場や釧路朝市、釧路ラーメンを出すラーメン店があげられる。(観光産業は後述)
商業の歴史
[編集]創成期 - 第二次大戦期
港や鉄道のターミナル駅、そして炭鉱を有する釧路市では、自ずと商業が盛んになり、丸三鶴屋(1930年開店)をはじめとするのちに大型百貨店などに成長する商業施設が軒を連ねた。
戦後 - 高度経済成長期
高度経済成長に伴う個人の購買力の上昇や、自家用車の普及によって、創業や事業拡大をする店舗が続出する。また、協同組合くしろデパート(現KOM)は、寄り合いで作られたデパートの成功事例として、全国的に注目されるなど、釧路独自の発展の姿も見られる。
- 創業 ※括弧内の年数は一号店の開店・創業年
- 釧路市民生活共同組合(桜ヶ丘店:1954年、その後複数出店)、和商市場(前身となる組合設立:1956年)、ほくそうデパート(釧路店:1958年)、釧路ステーションデパート(1961年)、協同組合くしろデパート(現KOM:1964年)、釧路パルコ(現イズム:1972年)、中田スポーツ(本店:1981年)
- 事業拡大 ※括弧内の年数は規模拡大の移転・新装開店・新規店舗開店年
- 丸ト北村(北大通へ移転:1965年)、松並家具センター(北大通へ移転:1966年)、オリエンタルデパート(現オリエンタルプラザ、新装開店:1967年)、そうご百貨店(後のオクノデパートで本社旭川市、釧路店:1970年)、長崎屋(釧路店:1976年)、和商市場(新装開店:1978年)
日本の安定成長期(整理中)
- 創業・出店 ※括弧内の年数は創業・出店年
- 釧路朝市(1988年)、釧路フィッシャーマンズ・ワーフMOO(1989年)、ダイエー(釧路店、日本初のハイパーマーケット:1989年)、丸井今井(釧路店:1996年)、ビッグハウス(釧路店、経営は道東ラルズ:1999年)、ジャスコ釧路昭和ショッピングセンター(2000年)、アベニュー946(複合商業ビル:2003年)、春採ショッピングセンター(マックスバリュ春採店を含む:2003年)
- 撤退 ※括弧内の年数は特に指定がない場合、撤退・閉店・廃業年
- ラルズプラザ(旧丸友金市舘、釧路店:1994年)、釧路市民生活協同組合(1996年経営破綻、2003年さっぽろ市民生活協同組合に経営統合)、丸三鶴屋(閉店・廃業:1996年)、八浪(料亭、廃業:1996年)、西武百貨店外商部(釧路フィッシャーマンズ・ワーフMOOより撤退:1998年)、十条サービスセンター(閉店・解散:1999年)、丸ト北村(百貨店・廃業:2000年)、オクノデパート(撤退:2001年)、スーパーまつだ(倒産:2001年)、長崎屋(釧路店、撤退:2002年)、ダイエー(釧路店:2002年)、サカエヤ(菓子店:2002年)、中田スポーツ(1995年に経営集中するも廃業:2003年)、無印良品(釧路店・撤退:2003年)、釧路ステーションデパート(2004年)、イズム(ファッションビル、2005年破産申請)
通信・放送事業
[編集]- ※以下カッコ内の年号は、特に掲載のない場合、開局・開始年を指す
- テレビジョン放送
- ラジオ放送
観光・レジャー産業
[編集]根釧地区または道東の玄関口として、また下記の観光資源に恵まれた観光都市として、毎年約1000万人の観光客が訪れる。また、釧路市は国際会議観光都市として充実したコンベンション施設を有し、第5回ラムサール条約締結国会議(1993年開催)や国連環境会議など数多くの国際会議が開催され、域外の人を集める一助となっている。 近年は海外、特にアジアからの観光客が増加し、釧路空港には海外とを結ぶチャーター便が離着陸するようになった。
観光とは対照的にボウリング・遊園地といったレジャー施設は、太平洋炭礦が社員の福利厚生と地域振興のために経営していた太平洋スカイランドがその多くを担っていたが、炭鉱閉山と時を同じくして閉園した。また映画に関しては、隣接する釧路町に大規模なシネマコンプレックスも建設され、これらのレジャーは衰退してきている。