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利用者:Yamanosora/チョン・モンホン

チョン・モンホンは韓国人の名前です。チョンが姓です。

Chung Mong‐hun

ハングル: 정몽헌

漢字: 鄭夢憲

改訂式ローマ字: Jeong Mong‐heon

旧公式ローマ字: Chŏng Mong-hŏn

チョン・モンホン(1948年9月14日 - 2003年8月4日)は、韓国の複合企業、ヒョンデ・グループの創始者チョン・ジュヨンの5男である。

父の死後、その事業の一部を継承し、対北朝鮮事業をになうヒョンデ・アサン理事会会長になった。

2003年に自殺した。

職業上の経歴

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1973年、ヨンセ大学校国文科を卒業した。

1975年にヒョンデ重工業に入社、6年後(1981年)にはヒョンデ商船の代表理事社長になり、その経営スタイルと忠誠心が父ジュヨンを感服させ、(1984年)グループ内で非常な成功をおさめているヒョンデ電子産業の代表理事社長になった。

引退の時期が近づいた父ジュヨンは、1997年末にモンホンをヒョンデ・グループの(共同)会長に任命した。これがモンホンの兄モングを怒らせた。

2000年3月、兄モングは大胆な行動に出た。モンホンが北京と上海を視察している間に、モンホンを(共同)会長の地位から追放しようとしたのである。今や86(満84)歳になる家長ジュヨンがこれに介入した。国民(注視)のテレビ(報道)によって現実のドラマが繰りひろげられた。父ジュヨンは、モンホンをグループの(単独)会長にすることを、自動車部門をひきいるモングに強要した。モングは弟モンホンを追放しようとしたのに、父ジュヨンは逆にモンホンを(単独)会長にさせたのである。

2000年3月31日、副社長でグループ再建担当の責任者キム・ジェスは家長チョン・ジュヨンがその朝決定したメモを読んで驚いた。メモのうちで重要なことは、ジュヨンと息子モングおよびモンホンがヒョンデ・グループのすべての経営職を辞するというものであった。これは、債務問題をかかえたヒョンデ上層部の刷新を求めるメディア、国民、政府からの声の高まりに対する回答であった。しかしチョン・ジュヨンは、息子たち全員がグループを辞めなくても、それを甘受せざるをえなかった。あとに残されたどの息子もヒョンデを経営するために指名された(新)経営陣に殿様顔しようとすれば出来たからだ。

モングはヒョンデ・キア自動車グループの代表を辞さないとの声明を発表した。いっぽう、モンホンは(父の意向に)忠実に、グループ代表の座を含む財閥の職を、一つを除いてすべて辞任すると発表した。モンホンに残ったのは、続けて経営することを父が望んだヒョンデ・アサンの(理事の)席だけだった。