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利用者:Yamanosora/シム・スボン

シム・スボン

基本情報

出生:1955年7月11日。大韓民国チュンチョンナム道ソサン市

居住地:大韓民国

国籍:大韓民国

学歴:ミョンジ大学校学士

職業:歌手、作曲家、作詞家

父母:シム・ジェドク(父)、チャン・ヒョンボク(母)

親戚:シム:サンゴン(伯父)、シム・ファヨン(叔母)

ウェブサイト:http://www.simsoobong.com/

シム・スボン(沈守峰)は大韓民国の歌手である。本名はシム・ミンギョン(沈玟卿)。

略歴

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シム・スボンは伝統音楽にたずさわる音楽一家に生まれた。曾祖父のシム・パルロは笛の名手、祖父シム・ジョンスンはパンソリのチュンゴジェ(流)の大家、伯父のシム・サンゴンはカヤグムの名人、叔母のシム・ファヨンはスンム(伝統舞踊)で無形文化財となっている。

父シム・ジェドクは民謡の収集家でイファ女子大学校で講義をしていた。母チャン・ヒョンボクは歌や舞踊が得意だったという。

3歳のとき父を亡くし、その後、母ひとりによって育てられた。

ソサン市で国民学校に通っていたころ、ピアノを習った。

母が再婚した夫と離婚したあと、ソウル市に上京し、ウルロ国民学校に通った。

中学校の入試の準備をしているときに、原因不明の病気でインチョンの近くのムイ島で療養することになり、母が新興宗教にはまり、苦しい暮らしむきの思春期を送った。 少し遅れて、インチョンのイヌァ女子高等学校に入学した。

ミョンジ大学校に在学中の1978年、第2回MBC大学歌謡祭で自作の曲「クッテ クサラム (その時その人)」で入賞(入選?)し、歌手としてデビューした。

10・26事件

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1979年10月26日、パク・チョンヒ大統領が側近の中央情報部部長キム・ジェギュに殺害されたとき、シム・スボンは現場にいた。

大統領がキム・ジェギュに拳銃で胸を撃たれると、(歌手として宴席にいた)シム・スボンと(大学生でモデルの)シン・ジェスンはすぐに大統領の体を支えた。キム・ジェギュが(警護室長の)チャ・ジチョルの腹を撃ってチャ・ジチョルがひっくり返ったあと、ふたたび大統領の前にせまって来たとき、シム・スボンとシン・ジェスンは逃げ出してかくれた。キム・ジェギュは大統領の頭を撃っ(てとどめをさし)た。

事件後、シム・スボンは1981年まで放送出演禁止措置となった。

ヒット曲

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  • 「クッテ クサラム(その時その人)」
  • 「ナムジャヌン ペ ヨジャヌン ハング(男は船、女は港)」
  • 「サラン バッケン ナン モルラ(愛しか私は分からない)」
  • 「ミウォヨ(憎いです)」
  • 「ペンマンソンイ チャンミ(百万本のバラ)」(ロシア語の曲「ジル ビュィル フドージュニク アジン Million of Red Roses (むかし一人の画家がいた~百万本のバラ~)」に、シム・スボンが歌詞をつけて歌ったもの。もともとはラトビア語の曲「マーラがくれた人生」)

以上のような曲が広く一般に知られている。

シム・スボンを演じた女優

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  • チョン・ウンス 「第4共和国」MBCドラマ(1995年)
  • クォン・ウナ 「コリアゲイト」SBSドラマ(1995年)
  • シン・ドンミ 「第5共和国」MBCドラマ(2005年)
  • キム・ユナ 「ユゴ~大統領有故(その時その人たち)」映画(2005年)

年譜

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  • 1973年 イヌァ女子高等学校(卒業?)。

(空欄) ミョンジ大学校経営学学士。

  • 1978年 MBC大学歌謡祭(に出場、)「クッテ クサラム(その時その人)」で歌手デビュー。
  • 1979年 10・26事件。MBC10大歌手賞、KBS新人歌手賞。
  • 1981年 第五共和国(チョン・ドゥファン政権)発足にともない、10・26事件の関連で放送出演禁止措置となる。
  • 1982年 映画「アッキモプシ バチョンヌンデ(惜しみなく捧げたけれど)」に出演。
  • 1983年 ドラマ主題歌「スンジャエ カウル(スンジャの秋)」を作詞・作曲。当時、「スンジャ使用禁止令」が出されたため、「オル カウレン サランハルコヤ(この秋には恋をする)」に曲名が変更される。
  • 1984年 放送出演禁止措置解除。(アルバム)「ナムジャヌン ペ ヨジャヌン ハング(男は船、女は港)」発表。
  • 1985年 (アルバム)「ムグンファ(ムクゲ)」発表。
  • 1986年 (アルバム)「サラン バッケン ナン モルラ(愛しか私は分からない)」発表。
  • 1987年 (アルバム)「ミウォヨ(憎いです)」発表。
  • 1991年 (アルバム)「ウリヌン タイン(わたしたちは他人)」発表。
  • 1993年―1995年 MBCラジオ「シム・スボンのトロット歌謡アルバム」DJ(を担当)。
  • 1994年 (アルバム)「ピナリ(祈り)」発表。
  • 1994年 (著書)「サラン バッケン ナン モルラ(愛しか私は分からない)」(ムネダン(文芸堂))を出版。
  • 1995年 KBSビッグショー(出演)。
  • 1996年8月 ソウル・ポップス・オーケストラ定期演奏会(出演) (セジョン文化会館大講堂)。
  • 1996年9月 「真の働き手賞」慈善公演 (ロッテホテル・クリスタルボールルーム)。
  • 1997年 (アルバム)「ペンマンソンイ チャンミ(百万本のバラ)」発表。
  • 1997年7月 シム・スボン ゴールデン ライブ コンサート (テハンノ・ライブ小劇場)。
  • 1997年9月 97韓国通信大音楽会 (テグ、クァンジュ、プサン、チョンジュ、ソウル、テジョン)。
  • 1997年10月 97ゴールデン ショー (トンスンアートセンター・トンスンホール)。
  • 1997年11月 シム・スボン コンサート (チョンブク大学・学生会館)。
  • 1999年5月 シム・スボン コンサート (シェラトンウォーカーヒル・ジェードガーデン)。
  • 1999年7月 シム・スボン20周年記念コンサート (ヒルトンホテル・コンベンションセンター)。
  • 1999年9月 シム・スボン コンサート (新羅(シルラ)ホテル大宴会場)。
  • 2000年1月 演劇「アボニム チョンサンソ(拝啓お父様)」出演 (セジョン文化会館大劇場)。
  • 2001年5月 シム・スボン ディナーショー (新羅(シルラ)ホテル・ダイナスティーホール)。
  • 2001年11月 (アルバム)「サランヘットン サラマ(愛していた人よ)」発表。
  • 2001年12月 シム・スボン ディナーショー「冬花」 (シェラトンウォーカーヒル・カヤグムホール)。
  • 2002年5月 シム・スボン コンサート (教育文化会館大劇場)。
  • 2002年12月 シム・スボン ディナーショー (63ビルディング)。
  • 2003年12月 シム・スボン ディナーショー (ヒルトンホテル・コンベンションセンター)。
  • 2003年10月 アルバム「ピナリ(祈り)」発売。
  • 2005年1月 アルバム「コッ(花)」発売。
  • 2005年6月 アルバム「96 Music Drama」発売。
  • 2007年4月 アルバム「Day by Day」発売。
  • 2007年10月 アルバム「オヌル、ムンドゥク(今日、不意に)」発売。

参照

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