利用者:Yama-no-junin/すなば
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仮説実験授業への批判
[編集]伝統的な授業づくり観との差異
[編集]仮説実験授業は、伝統的な授業づくり観とは全く異なるアプローチに基づいているため、開発当初からさまざまな批判を受けており、それに対してたたかってきた。これを藤原幸男は以下の3点にまとめ論じている。
伝統的授業づくり観に基づく批判 | 仮説実験授業では |
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教師の教材への理解や教材解釈の深さによって授業の成否は左右されるものだ | 板倉は、 |
学級によって子どもの反応は違うので、子どもの実態を踏まえて授業づくりの構想を立てるべきである | 板倉は教師による差異は認めつつも、授業書の内容構成が具体的に授業展開を方向づけているため、一般に考えられているよりも差異はずっと小さいと主張、数多くの授業実験の結果によって裏付けられたとしている。 |
授業の中で絶えず子どもをとらえ直し、 子どもの反応によって当初の計画を変更しなければならない | 板倉は、子どもの認識の道筋はどこの地域のどんな子どもでもほとんど変わることがないと主張、これも数多くの授業実験の結果によって裏付けられたとしている。 |
その他の批判
[編集]- 教科書を使わない授業であることから、「学習指導要領に反している」と非難を受けることがあった。
- 教科書には仮説実験授業で扱わない単元も多く、それらの授業に充てる授業時数が足りなくなる危険性がある。これについては「線引き運動[1]」「マッキーノ」など、教科書単元をすばやく確実にこなすための手法が実践する教師たちによって多数開発されてきた。
- 従来の実験観を持つ理科教師からは「児童実験をしない」ことへの反発が強い。これに対して岡本正志は、「大学の物理学教室の実験観である"物理学を理解すること"と"物理的測定法の学習"が、高等学校までの実験の目的とほとんど変わらない」ことが問題だと述べている。[2]
- 『最高のクラスのつくり方』などの著書で知られる岩瀬直樹は、かつて仮説実験授業を実践していたが、以下のような疑問を感じ離れたと語っている。[3]
- ①仮説絶対主義的な側面がある。他教科への安易な展開や、仮説さえやっていればいいというような言説。つまりは方法の絶対化。
- ②教師と子どもの授業書への過度な依存。授業書の質が高いだけに、授業書そのものへの疑いを持たない。このような姿勢は、巧妙な「授業書もどき」を作れば思考や価値観を操作できる危険性をはらんでいる。これは仮説に留まらない大きなリテラシーの問題。
- ③問いはいつも「降ってくる」ことへの違和。カリキュラム上の自由度の低さ。
- 愛知物理サークルの奥村弘二は、「教師は一見生徒に自由に議論させているようで、巧妙に科学史の議論の流れに沿って生徒の意見を導く」として仮説実験授業は嫌いだと述べている[4]
- ^ 小原茂巳『線引き運動』たのしい授業1987年12月号53頁にて紹介。教科書の重要な語句に赤鉛筆で傍線をひくというもの。
- ^ 物理教育第46巻第5号(1998)「理科教育における実験論の再検討」 。2019年12月15日閲覧
- ^ ブログ「いわせんの仕事部屋」2018年2月15日付。2019年12月15日閲覧
- ^ ひろじの物理ブログ ミオくんとなんでも科学探究隊 2016年9月20日付。2019年12月15日閲覧