利用者:Yaku/O/YmdHro
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山田 春雄(やまだ はるお、本名: 山田 鉱次郎(やまだ こうじろう)、1889年 - 1964年6月27日)は、「山春」の屋号で知られた浅草の大親分。 竹中 労と かわぐちかいじの「黒旗水滸伝」にはアナキストやくざとして登場する。
1903年に13歳で飯島源次郎の若者となる。 1907年、17歳の山春は飯島の先代である諸隅直吉に言葉を返し、この一件で飯島は三階松四代目を降り、五代目を伊藤重吉に譲る。 飯島連合会の発足は ここから始まるとする説がある。 23歳で横浜の大親分、坂上松五郎(霊岸島桝屋の大立者)の舎弟となる。
1926年、的屋の一門を横断する「大日本神農会」を結成。 会員4万人の会頭としてヤクザ社会に睨みを利かす。 この時36歳。 1931年7月18日、吉本春美に二代目を譲り引退。 この二代目披露の式典には頭山 満、内田良平、柴田暁山、岩田愛之助、金子政吉、武部申策、梅津勘兵衛、中村三吉、長谷川亀太郎、倉持忠吉、松葉 武、肥後盛蔵、小島貞次郎、大久保源之丞、町田新郎ら右翼、博徒、的屋、浅草の顔役のトップが顔を揃えた。 41歳で引退した後は自適に暮らす。
1945年、二代目の早世により三代目を太田秋美とする。1964年6月27日に京都にて没す。
馬楽の八代目林家正蔵襲名に介入するなど その豪腕ぶりから悪評も多いが、粋な浅草やくざの最後の一人とされ五体の我慢(刺青)は見事であったという。
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