利用者:Wadakuramon/sandbox/04
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伊藤熹朔賞 (いとうきさくしょう) は、日本の舞台美術家の故伊藤熹朔 (1899-1967) を記念して、「熹朔の会」により1968年に創設された、舞台美術の賞[1]。1973年からは日本舞台テレビ美術家協会の選出となり、テレビ部門と舞台部門の両部門が対象となった[2]。
概要
[編集]川口松太郎、池島信平、宇野重吉、東山千恵子、杉村春子、菊田一夫ら34名の会員からなる「熹朔の会」が母体となって創設された[1]。新劇、商業演劇の区別なく、各方面からのアンケートを元に選考し賞金は10万円[1]。賞の創設を記念し、3月30日朝日講堂で講演会、4月5日から1週間にわたり東急百貨店日本橋店で伊藤熹朔の舞台装置130点を展示する「遺作展」が開催された[1]。
第3回の代表は大仏次郎で、この回から選考はアンケートではなく、戸板康二、尾崎宏次、石沢秀二、藤田洋の4氏に委嘱された[3]。
1973年から事業を引き継いだ日本舞台テレビ美術家協会は、日本の舞台とテレビスタジオで活動するデザイナーが加入している協会で、舞台テレビ美術展の開催、ステージデザイン作品集の出版などを行うと共に、中堅デザイナーの海外派遣も行ない、伊藤熹朔賞や新人賞などでデザイナーの社会的認知に尽力している[4]。
受賞者
[編集]熹朔の会選考
[編集]- 第1回 1968年 篠木佐夫(舞台照明家)[5][6]
- 第2回 1969年 松本勝次(俳優座劇場舞台美術部草加工場長)[7]
- 第3回 1970年 粟津潔(グラフィックデザイナー):映画「心中天網島」の装置[3]
- 第4回
- 第5回 1972年 安部真知:「オセロ」「未必の故意」その他[8]
日本舞台テレビ美術家協会選考
[編集]- 第1回 1973年 テレビ部門 妹尾河童:フジテレビ「ミュージックフェア」美術担当[2][9][10]
- 同 舞台部門 松下明(フジテレビ美術デザイナー):東京芸術座「レ・ミゼラブル」[2] [11]
- 第8回 1974年 三原康博:テレビ部門 東京放送制作「1974年度輝く日本レコード大賞」中継舞台の装置[12] [13]
- 同 舞台部門 大塚克三:松竹新喜劇「吉野狐」[12]
- 昭和50年度 テレビ部門 橋本潔:NET系テレビドラマ「櫂」[14]
- 同 舞台部門 中嶋八郎:国立劇場公演「平将門」[14]
- (1978年) テレビ部門 稲葉寿一:NHKドラマ人間模様「冬の桃」[15]
- 同 舞台部門 孫福剛久:テアトル・エコー「中年よ、大志を抱け」[15]
- 昭和54年度 テレビ部門 尾上つよし:朝日放送「葉隠の露」[16]
- 同 舞台部門 高田一郎:文学座「地獄のオルフェ」[16]
- (1981年) テレビ部門 山田満郎:TBS系「8時だヨ!全員集合」[17]
- 同 舞台部門 河盛成夫:俳優座「コーカサスの白墨の輪」[17]
- 昭和58年度 テレビ部門 高橋秀雄:NHKテレビ「スウィングはお好き」[18]
- 同 舞台部門 内山千吉:劇場77 イプセン「建築師ソルネス」[18]
- 昭和59年度 テレビ部門 川上潔:NHKドラマ人間模様「大阪暮色」[19]
- 同 舞台部門 石井強司:地人会「青春スケッチブック」[19]
- 昭和60年度 テレビ部門 三原康博:TBS「'85輝く日本レコード大賞][20][13]
- 同 特別賞 川端紳二朗:背景画、舞台部門は該当者なし[20]
- 昭和61年度 テレビ部門 金子俊彦:TBS「ザ・ベストテン」[21]
- 同 舞台部門 妹尾河童:藤原歌劇団「ラ・ボエーム」、五王の会「罠」[21]
- 同 特別賞 荒島鶴吉[21]
脚注
[編集]- ^ a b c d “「伊藤熹朔賞」制定”. 芸能 10 (4): 89. (1968-04) .
- ^ a b c “伊藤熹朔賞”. 芸能 16 (5): 71. (1974-05) .
- ^ a b “第三回伊藤熹朔賞”. 芸能 12 (5): 81. (1970-05) .
- ^ “困難を切り開く話し合いの場を:日本舞台テレビ美術家協会高田一郎理事長”. Join:公益社団法人日本劇団協議会機関誌 (22): 17. (1998-09) .
- ^ “第一回伊藤熹朔賞”. 芸能 10 (5): 81. (1968-05) .
- ^ 『俳優座史 : 1965-1973』1974、1974年、191頁 。
- ^ “第二回伊藤熹朔賞”. 芸能 11 (5): 81. (1969-05) .
- ^ 『俳優座史』俳優座、1974年、197頁 。
- ^ 『日本の舞台テレビ美術』日本舞台テレビ美術家協会、テアトロ、1974年、125頁 。
- ^ “放送日誌 昭和49年4月10日”. 月刊民放 4 (7): 55. (1974-07) .
- ^ 『日本の舞台テレビ美術』日本舞台テレビ美術家協会、テアトロ、1974年、65頁 。
- ^ a b “伊藤熹朔賞”. 芸能 17 (5): 71. (1975-05) .
- ^ a b 谷川富也、三原康博、安藤紘平 (2000-01). “あかりいろのバックステージ”. 新・調査情報passingtime (21): 27 .
- ^ a b “伊藤熹朔賞”. 芸能 18 (5): 73. (1976-05) .
- ^ a b “伊藤熹朔賞”. 芸能 20 (6): 72. (1978-06) .
- ^ a b “伊藤熹朔賞”. 芸能 22 (5): 72. (1980-05) .
- ^ a b “伊藤熹朔賞”. 芸能 23 (5): 63. (1981-05) .
- ^ a b “58年度伊藤熹朔賞”. 芸能 26 (5): 61. (1984-05) .
- ^ a b “伊藤熹朔賞”. 芸能 27 (5): 59. (1985-05) .
- ^ a b “60年度伊藤熹朔賞”. 芸能 28 (5): 56. (1986-05) .
- ^ a b c “昭和61年度伊藤熹朔賞決定”. 芸能 29 (6): 59. (1987-06) .
外部リンク
[編集]- 伊藤熹朔賞と発足の経緯 2024年11月24日閲覧。