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利用者:Vindlys/sandbox

近代化以前

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メソポタミアでは、紀元前3000年頃には荷車が開発され[1]、紀元前2500年頃には人間が乗ることを意図して幌牛車が作られた[2]。しかし、穴や凹凸の多い道、クッション性のない車体や車輪のために、シュメールの格言では不愉快なものの代名詞として旅が挙げられるまでになっていた[2]

前近代において、乗り心地を重視する際には、車両よりも輿や籠が使われることがあった。エジプトでは2頭のロバの間に渡した輿、もしくは4人の召使いが担ぐ輿が用いられ[3]、近世のイギリスでは人間や馬の担ぐ輿、あるいは揺れの少ない椅子駕籠が近距離移動や権威を誇示する手段として用いられた[4]

陸上交通の主力は車両であり、その乗り心地には車輪・車体・そして道路事情が大きく関わっていた。 車輪についてはヒッタイトでスポークが開発され[5]、エジプトではタイヤに革巻きが為されることもあった。しかし、中世・近世までの馬車のタイヤは概ね木製、鋼製であり、道路の凹凸による振動を拾ってしまうものであった。ゴムタイヤは1875年にイギリスで開発されたが、馬車への採用には時間を要した[6]

車体について、車両が登場した当時は木製であったものが、軽量化として古代から革や葦の編み上げ、布等が用いられるようになり、衝撃吸収の点で多少の効果を示した。一方で、改良の積み重ねは順調に行われたわけではなく、中世ヨーロッパでは車軸の上に車体が直接固定されており、乗客は車輪の振動を直接身体に受けることになっていた[7]。1457年のフランスではハンガリー王から送られた馬車が記録に残っており、[8]、これは車体を車軸から伸びた懸架装置によって支え、軽量化と乗り心地の改善を同時に達成されたが[7]、横揺れがひどく車酔いの原因になった[9]。スプリングは17世紀に木製の簡易なものとして登場し、18世紀には鋼製に置き換えられた[10]。18世紀中盤にスプリングの性能が向上したことで、馬車の振動による衝撃はより穏やかなものに変わっていった[10]

道路はローマ時代に強固で平面な路面と効率的な排水システムを備えた街道が整備されたが[11]、これが普及するためには非常に長い時間を要した。17世紀に入っても十分に舗装された路面は稀で、舗装路面であっても石畳の凹凸は乗客に不快な振動をもたらすものだった。路面の問題を大きく改善したのは19世紀後半に普及した鉄道馬車であり、滑らかなレールは振動と騒音を大きく軽減させることに成功した[12]

脚注

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参考文献

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  • 本城靖久『馬車の文化史』講談社、1993年。ISBN 4-06-149140-7 
  • 中野忠「馬車と鹿肉 -近世ロンドンにおける社交世界の展開-)」『早稲田社会科学総合研究』第2巻第9号、早稲田大学社会科学学会、2008年12月25日、1-29頁。 
  • 金山弘昌「馬車と宮殿 : 17世紀のピッティ宮諸計画案における馬車の影響,」『日本橋学館大学紀要』2003年第2号、2003年、39-52頁。 
  • 榊原胖夫「交通・都市化および経済発展(一) : オムニバスから馬車鉄道へ」『同志社大學經濟學論叢』第2巻第9号、1959年3月、49-74頁。