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利用者:Tomos/赤穂藩の件など

全体の構成の説明

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非常に長くなってしまったので、全体の構成を説明します。

まず最初に、自分ひとりでこの案件について検討していたらどう考えていたか(削除に賛成していたかどうか)、を書いて見ます。削除案件の検討をする際に最近よく採用する2段構成で、この検討を行います。最初に、投稿された文章が実際に外部サイトからの転載や改変を含む転載など、何らかの形での「依拠」になっている可能性をまず考えます。次に、もし実際に依拠があったとしたらそれは著作権侵害にあたるかどうか、という点の検討をします。前者は法解釈とさして関係のない部分で、主に投稿部分と外部ページの類似性の検討になります。後者は著作権法をどう適用するかについての考察です。

その後で、これまでの議論で述べられている主な意見について、ひととおり僕の立場からのコメントをしてみます。具体的には、百楽天さん、Kozawaさん、Corruptresearcherさん、Uraniaさんの書かれたことについて考えて見ます。

最後に、2つの点について考えて見ます。(1)この赤穂藩は削除されるべきか否か。(2)ウィキペディアの削除の是非をめぐる議論や削除依頼のプロセスの問題点が見えるか、またそれらを改善するためのヒントが何か得られるか。

  1. 全体の構成の説明
  2. 依拠があったかどうか
  3. 依拠があったとすると、それは著作権侵害になるか?
  4. これまでの議論についてのコメント
  5. 赤穂藩は削除されるべきか?
  6. ウィキペディア日本語版における削除まわりの手続きの問題点、課題は何か?
  7. まとめ

という風に進めます。

依拠があったかどうか

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まず、表現上の類似や一致があるかどうかを見てみました。単純な丸写しと言えるようなものではないですが、叙述の順序や叙述内容の取捨選択において、かなりよく似た点があり、語の選択にもかなり類似した点があることに気づきます。まずは類似が顕著だと思われる部分を挙げて、比較してみます。

百楽天さんの投稿:「関ヶ原の合戦後は」から「改易。」まで。(この編集で追加された文章の第2段落目:[1] 。)

外部ページの文章:「播磨は関ヶ原処分後は」から「改易。」まで。(第1段落目。)http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/kinki/akou.html

ちなみに、投稿された文章でこれに続く段落も、外部ページの文章との類似は見られます。ノート:赤穂藩で最近KZYさんが指摘されていますが。

構成上の異同

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  • 百楽天さんの投稿の上記部分第一文:まず主題(赤穂藩)の起源を説明するべく、藩の起こる前の背景に触れ、その後、藩が形成されるきっかけを説明する。この際、背景については、時代、支配者、土地についてこの順に述べ、次の藩の形成については、その年、中心となる人物、土地、についてこの順に述べる。人物については、先の支配者との関係を述べる。
  • 外部ページの第一文:このレベルではほぼ同じ構成・順序をとるが、藩の形成された年については言及がない。
  • 百楽天さんの投稿の上記部分第二文と第三文:第一文に続く赤穂の支配者の変化について述べたもの。その際に、次代支配者が選ばれる背景、次代と前代の関係、次代の名、次代のそれまでの支配地とその規模、赤穂とそれまでの支配地との規模の差について第二文でこの順で述べ、第三文ではこの結果赤穂藩が存続することについて述べている。
  • 外部ページの第二文:このレベルではほぼ同じ構成・順序。但し百楽天さんの投稿した文中第三文にあたる部分は内容的・分量的に対応する部分はあるものの、表現上も、強調点も異なっている。また、ひとつの文で述べている点と、百楽天さんの投稿した文中では2万5石になっているのがこちらでは2万5千石になっているという違いがある。、
  • 百楽天さんの投稿の上記部分第四文:前二文で登場した支配者が地位を失う事件について述べる。その際、支配者の名、事件の原因、事件の被害者、事件の核となる行為、その帰結、についてこの順に述べる。
  • 外部ページの第三文:このレベルではほぼ同じ構成・順序。

表現上の異同

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表現上の異同については、「領する」など他にもいろいろ選択の余地がありそうな部分について重複があります。第二文の冒頭、典型的な継承者が不在であることを表現する際に用いている表現もほぼ同じです。最後の一文もほぼ同じです。

以上を考え合わせると、これは偶然と考えるにはやや無理がありそうな類似だと思います。もちろん、僕は主題についての背景知識がないですし、このような文章を書く際にはどのような内容について書くのが普通なのか、どのような語の選択をするのが普通なのか、珍しいのか、という点についての判断力も乏しいと思います。例えば、「分知」「n万石加増」「移封」などの語・表現の選択は両者共通ですが、誰がやってもこうなるというようなものでしょうか? それとも、これだけの一致・類似点であっても、表現上はありふれていて簡単に起こりうるようなものなのでしょうか。

こういう辺りの見極めがつかないことはよくあるのですが、とりあえずできることとして、他に同じ主題や類似の主題について述べた文章と比較してみて、果たして他の人が書いた文章も似ているかどうか、というのを見てみました。

赤穂藩についての文章としては、

  • こちらのページに掲載されている「赤穂城下町跡発掘調査(2003-3・4・5区)現地説明会資料」[2]
  • こちらのページに掲載されている「合併協議会の会議資料」で赤穂藩について述べた部分、[3]
  • 平凡社のネットで百科@Homeにある赤穂藩の記述
  • 赤穂城についての記述 [4]
  • 赤穂城についての記述 [5]

などを見ました。

類似の主題を扱った文章としては、

  • 広島藩などウィキペディアの記事
  • 外部サイトの、赤穂藩以外のページ

などを読んでみました。

外部サイトにある他藩についてのページは、記述の視点や、表現は似ていると感じました(同じ作者がひとつのプロジェクトの一環として書いているため、と思えますが)。その他のページについては、それぞれ、内容の取捨選択の上でも、記述の順序の上でも、表現の上でも、類似点はあるけれどもずっと少なく、外部ページと投稿された文章との間のように数文にわたって似ている、ということはありませんでした。ただ、表現については、やはり判断が難しいので、内容の取捨選択や記述の順序についての類似の方を手がかりに考えていくのがよいかとも思いました。

類似性の有無についてのまとめ

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以上を考え合わせると、特に記述内容の取捨選択やその構成・順序という点で、この類似が偶然というのはちょっとありそうにないし、この主題について書くと必然的に一致してしまうもの、という風にも考えにくいと思いました。

僕が類似性に気がついて指摘したのが8月、百楽天さんの投稿は5月ですから、実は外部サイトの方が百楽天さんの投稿を参考に作成されたのではないか、ということも考えてみましたが、http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/kousin.html によると赤穂藩の作成は1999年1月のようですから、ちょっとありそうにないと思いました。

外部ページが百楽天さんのものでないことも確かだと思いました。

そうすると、百楽天さんが外部ページに依拠して投稿文を作成されたか、そうでなければ、例えば百楽天さんが以前ご自分で出版されたオリジナルの文章に外部サイトの方が依拠していて、ウィキペディアへ投稿された文章もその百楽天さんの文章に依拠している(=共通のソースがあり、それが百楽天さんの著作物である)、とか、百楽天さんの文章ではなくて、誰か他の人が書いて、何か特殊な事情で著作権で保護されていない文章があり、外部サイトも、百楽天さんの投稿もその文章に依拠して作成されている(=共通のソースがあり、それが著作権保護を受けないなど特殊な物である)、というような事情があれば、それはそれで問題ないということになると思います。

百楽天さんから、この両方の点に関わる情報提供がありますが、それについては後で検討することにして、それがなかったら、特に「著作権フリーの第三のソースがあったに違いない」などと考える特段の理由などもありませんし、これまでに検討した情報を考え合わせると、投稿された文章は外部サイトに依拠して作成されたのではないか、と考えたと思います。

依拠があったとすると、それは著作権侵害になるか?

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今度は、もしもウィキペディアへの投稿で外部ページと似ている部分が、実際に外部ページに依拠して作成されたものだとしたら、それが著作権侵害になる可能性があるかどうか、ということを考えてみます。

まず気になるのは、語の選択などの面において全く同一の表現が用いられているわけではないこと、極めて類似した表現を用いている部分はあること、などです。これについては、著作権が及ぶのは単に語句や語順のような表面的な表現のレベルだけではなくて、内容の取捨選択やその配列なども含まれるそうですので、今回のような件は、依拠があったとすればその理由からの著作権侵害が心配だと思いました。

百楽天さんには既に何度かご案内した件ですが、例えば新聞記事のように客観的な事実の報道を中心にした文章などであっても、その記事内に盛り込まれる内容の取捨選択、その配列、表現などについて著作権が認められる、とされています。[6]

次に気になるのは、新聞記事などと比べても、今回の件で問題になっている文章の量が少ないことです。文章が短ければ著作権で保護されないかというと、そういうことはなく、俳句や標語のように短くても保護されるケースがあります。ですが、今回の件は、そのように明らかに創意工夫が凝らされていて、芸術性が高くても不思議がないようなものではなくて、どちらかといえば没個性的になりがちな事実の記述を中心とする文章です。例えば、赤穂藩について述べる際に、非常に短期間ながらも藩として存在したことがあったこと(生駒親正の下に)に触れないこと、赤穂藩が他の土地と区別され支配されるようになった経緯、その後の体制変更のきっかけとなった事情や事件、と説明していくことや、それ以外の事情、例えば当時の地域社会の状況や特徴、周辺地域との関係などについては触れないこと、支配体制などについて触れないこと、など、様々な点で選択の余地があり、確かに誰が書いても同じになるようなものではないとしても、同時に、外部ページの文章には創作性は認められないのではないか、というような疑問が残ります。

これを考える上で参考になるのが、これも既に百楽天さんにご案内した判例ですが、匿名のBBSへの短い書き込みを本に転載して出版したところそれが著作権侵害だとされたケースかと思います。その際に問題になった書き込みは、短い、特に創意工夫に満ちたものでもないように見えるものもあります。[7]

この判決文中では、ある文章に創作性があるかどうか(=それが著作物として認められるかどうか)については、裁判官が判断すると恣意的になってしまう可能性があるので、できるだけ広く、何らかの個性が反映されていればいい、というぐらいに考えるべきだとしています。また、(これも以前お伝えしたことですが、)文中で具体的に例がありますが、短くて、かなりありふれた文章の類と思われる文をとりあげて、それに実際に著作権があるとしています。

そこで短い文章だから著作権法で保護されてないだろう、というのは必ずしもあたらないかと思いますし、誰でもかけそうな文章だから著作権保護を受けないだろう、というのも同様です。(と同時に、全ての判例がこの判決と同じような立場をとっているわけではなく、短くて平凡な文章であれば実際に著作物ではないとされる可能性もあるように僕には見受けられますが。)

但し、この判決文では、そのように創作性が乏しいものであれば、デッドコピー(丸写しの類)以外は著作権侵害とはみなさない、というように、侵害になる範囲を狭くするような形で扱うべきだともしています。今回の百楽天さんの投稿をこの考え方にどう当てはめるかは、少し判断が難しいところです。一方では、外部ページにある類似部分は、この判例でとりあげられている一部の文章に比べるとずっと長く、創作性も認めやすいものだ、と思います。その分、デッドコピーになっていなくても、著作権侵害とされる可能性がより高いだろうと。と同時に、デッドコピーになっていない面があることは事実ですので、判断が難しいとも。

このように考えてくると、上にとりあげた部分に限っても、外部ページの文章が著作権保護の対象となっている可能性は考えられますし、その文章と内容の取捨選択、構成・配列などの面で似ているウィキペディアの投稿文は、外部ページに依拠したものであれば、著作権侵害になっている可能性が十分考えられると思いました。もしかすると表現の上での類似も、著作権上問題になるのかも知れません。

というわけで、百楽天さんや他の方からの情報提供などなしに考えていたら、僕は「どちらかといえば削除に賛成」と書いていたと思います。

これまでの議論についてのコメント

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以上でこの件についての僕なりの考察は終わりにして、既に他の方が述べた意見について、コメントしてみます。議論の流れを追って再構成するのがちょっと大変だったのですが、以下の3つが特に関係のある発言を含んでいると思います。

そして、おおよその流れとして、次のように言っていいかと思います。

  1. ノートページで、Tomosが外部サイトとの類似を指摘、百楽天さんがコメント。(8月上旬)
  2. ノートページで、Kozawaさん、Corruptresearcherさんによる検討(9月上旬から)、
  3. BBSの百楽天さんの投稿を扱うスレッドで、他の投稿と並んで赤穂藩について百楽天さんが説明(9月中旬)
  4. BBSの赤穂藩スレッドで、百楽天さんとCorruptresearcherさん他の議論(9月20日から)
  5. Corruptresearcherさんは対話を断念、ノートページの方で、Kozawaさんと共に更に検討
  6. Uraniaさんの意見表明とそれに対するCorruptresearcherさんのコメント(10月7日、11日)
  7. BBSのこのスレッドで先ほど百楽天さんが意見を述べ、ノートページではKozawaさん、KZYさんがそれにコメント

そこで、百楽天さん、Kozawaさん、Corruptresearcherさん、と僕の見解の異同についてまずは考えて見ます。それから、Uraniaさんが提起された点について考えて見ます。

百楽天さんの見解について

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ここでの対話は、少なくとも現在は、百楽天さんとの対話だと思っているので、百楽天さんの意見についてまずは丁寧に検討してみたいと思います。

百楽天さんの見解1: 赤穂事件と池田輝興を関連付けて書いた人は百楽天さん以前にはいない

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百楽天さんは、ノートページで僕が外部サイトとの類似を指摘した直後のコメントで、百楽天さん以前には赤穂事件と池田輝興について関連づけて書いた人がいないという旨の指摘をされています。 http://ja-two.iwiki.icu/w/wiki.phtml?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E8%B5%A4%E7%A9%82%E8%97%A9&diff=740929&oldid=600247

この含意を考えてみましたが、著作権侵害を考える上で問題になる類似性は赤穂事件と池田輝興の関連について記述したという類似性ではなくて、赤穂藩の形成の経緯を記した文章にあるので、依然として問題が残ると思います。また、百楽天さんが最初に赤穂事件について記したとしても、その池田輝興の行動とその帰結についてあの一文のような特定の表現を用いたのが外部サイトの制作者の方が最初であり、百楽天さんがそれを借用・変更した上でウィキペディアに投稿した、ということであれば、それが著作権侵害になる可能性もあるかと思います。

もちろんこの発言で問題になっている一文(改易につながる事件)だけを取り出した場合、文として余りに短いので著作権保護の対象になるのかどうかが気になりますが、同時に、この事件については特記すべき事実の取捨選択・その配列・その表現についていろいろな工夫のしようがあるでしょうから、これだけ似ているとなると著作権侵害とされる可能性があるかも知れないとも思います。

ただ、百楽天さんのコメントの意味が、百楽天さんが以前発表された文章を外部サイトの方が無断で借用していて、百楽天さんは自分のそのかつての文章を借用しているので著作権上の問題はないのだ、というようなことであれば、話は全く違ってくると思います。


百楽天さんの見解2: 池田輝興の起こした事件についての文章は外部ページと決定的に違う

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以下の書き込みにある見解です。

赤穂藩についてのBBSでの書き込み。

もう一方のスレッドでの書き込み


百楽天さんが主張された点のひとつは、池田輝興の行動とその帰結について説明した一文が、外部ページと百楽天さんの文章の間で似ていない、重要な違いがある、という点です。これについては、上記Bの百楽天さんの書き込みから察するに、表現としては表面的にはよく似ているように見えるかも知れないけれども、その微妙な表現の違いの背後には見識の深さの違いがあるのだ、ということのように思います。これをもう少し拡大解釈すると、これはひいては、百楽天さんの投稿された文章と、外部サイトの文章とでは、表面上似ているとは言っても、表現している思想が違うのだ、ということになるかも知れません。

ですが、これも既に何度かお伝えしたことの繰り返しになってしまいますが、ある作品Xを元に別の作品Yを作った場合、原作品とは大きく異なる思想を表現する作品を作成したとしても、原作品Xの創造的な表現の本質的な特徴がYからも感じられるようであれば、翻案権の侵害になるそうです。(Xの創造的な表現の特徴が全然感じられないような作品を作れば、それは単に別の作品ということになって、Xを元に制作した場合でも、著作権侵害は発生しません。)

[10] [11]

もちろん、そもそも両者の間に実質的な違いがなく、翻案というよりも複製ではないか、とも考えられます。(僕は両者の間の線引きをどうするかについては必ずしもよくわっていないせいかも知れません。)著作権関連の訴訟の判決文を見ていると、多少語尾を変えたり、順序を入れ替えたりした場合でも、転載と判断して複製権侵害にすることがありますし。

もう少し具体的に書くと、池田輝興の起こした事件とその帰結について、「事件を起こした者の名、事件の原因、事件の被害者、事件の核となる行為、その帰結」という各点に言及しつつ他の点については言及しない、という取捨選択をしていて、被害者以外のそれぞれの点について同じ表現を採用しているし、全体として配列も同じ、という風に考えてみると、これが「実質的に同じ」とされる可能性もありそうだ、と思います。先に挙げた、赤穂藩や赤穂城についての文章と比較してみても、やはりこの両者が特に似ている、という印象を持ちます。(ちなみに、上記の外部ページの中には、そもそもこの事件について言及すらしていないものもあります。)

言い方を変えると、取捨選択についても配列についても表現についても大きく違っていれば、仮に外部ページに依拠して文章を作成されたのだとしても、それは翻案にすらならず、別の作品になるわけですが、今回の場合にはそうなっているのか、依然として複製にとどまっているか、そうでないとしても翻案だということになるのではないか、と思います。ちょうどある物語を元にしてプロットもキャラクターも舞台も具体的な表現や台詞回しなども変えると翻案ではなくて別の物語になるように。


百楽天さんの見解3: 乱心と発狂という語の選択についての見解

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池田輝興に関してもう一点。百楽天さんは、上記のBの書き込みで、百楽天さんの書き込みで「乱心」という語が用いられているのは、特に外部ページの独創ではなくて、他にも同様の例があると指摘しています。(これは確認しました。)

その含意について考えてみたのですが、これは、「従って乱心という言葉が一致しているというだけでは、特に外部ページと投稿された文章とが似ているとは言えない」ということかと思います。これが百楽天さんの意見であるとすれば、僕もそれに同感です。

また、乱心という言葉を使っていることは、それが非常にありふれたものであれば、「創作性とは関係がない」ということになり、したがって、「著作権侵害の有無を判断する上では関係がない」ということになるかと思います。この部分は創作性がない表現なので、類似があろうと一致があろうと、それ自体は問題がない、と。ちょうど2つの文章に特定の会社の電話番号を記載してある場合に、その電話番号や書式が同じでも特に著作権侵害にはならない、というようなものですね。

ただ、外部ページと投稿された文章との間には数多くの類似・一致があるので、この部分の一致が「これだけなら偶然でも起こりうるようなものだし、創作性もない」ということであっても、そのような一致や類似が多くあるために「偶然の一致とは考えにくいので依拠があったのではないかと推定される」ということになる可能性はあるかと思います。

また、「乱心」という語の選択には独創性がないとしても、選択の余地はありますし、この文のほかの部分についても、外部ページとウィキペディアの投稿とで似ている他の文についても、同じくあれこれ選択の余地があります。結果として出来上がった表現が凡庸であっても、そのようにいろいろな選択の余地がある中で特定の内容・構成・表現が選ばれた、というところには個性の反映が認められることになるのかも知れない、と僕は思います。そこで、乱心という語をこの事件に関して用いている人が他にもいるというのは、「依拠があったとしたら著作権侵害になるか?」ということを考える上でも、決定的な判断材料にはならないように思います。

言い方を換えれば、乱心という語の選択は、明らかに非常に独創的というわけではないので、それ単独では2つの文章の間の類似性だとか、更に進んで著作権侵害の可能性だとかについて断言する決定的な判断材料にはならない。同時に、類似性や著作権侵害の可能性については、他の多くの類似点を前提に指摘されているものですし、類似している諸点についていろいろな選択がありえたことを前提に指摘されていますので、類似性も著作権侵害もありえないという断定をする際にも、やはり決定的な判断材料にはならないと思います。

百楽天さんの見解4:歴史的な記述は、内容が同じであれば表現も似てくる、という見解

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これは、同じく池田輝興についての議論の中で出てきた意見ですが、これだけ取り出して、一般的な見解だと考えることも可能なので、そうしてみます。(以下の投稿にある意見です。) http://taurus.kake.info.waseda.ac.jp/wikip/joyful/joyful.u.cgi?mode=res&no=2798

池田輝興の事件を説明した一文であれば、確かに似てくるということもあるかも知れないと思います。ただ、今回の件については、そもそもこの一文以外にも複数の文に渡って類似箇所が見受けられます。これらの類似を、書いている内容が同じ、というところに求めようとすると、結局、では書いている内容の取捨選択がどうしてこうも似てくるのか、というところが気になります。そのレベルで偶然の一致が起こることは、もちろん少しであればありえそうですが、今回の件については、同じ主題について説明したほかのページを見たところでは、ちょっとそういうことは起こりそうにないと感じました。

また、論の運び、構成上の類似についても、一方では、百楽天さんが指摘する通り、時系列順に書けば


百楽天さんの見解5:外部ページと百楽天さんの投稿部分の詳細な比較に基づく見解

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池田輝興についての検討は終わりにして、もうひとつ、百楽天さんが述べている点、外部ページと百楽天さんの投稿部分が似ていないか、似ている部分について問題がないという意見について検討してみます。BBSでは、赤穂藩スレッドで一度、百楽天さんの投稿全般を扱うスレッドで一度、百楽天さんは外部ページと百楽天さんの投稿との詳細な比較をされています。

http://taurus.kake.info.waseda.ac.jp/wikip/joyful/joyful.u.cgi?mode=res&no=2830

http://taurus.kake.info.waseda.ac.jp/wikip/joyful/joyful.u.cgi?mode=res&no=2778


ここで提起されている点は、次の4点かと思います。

  1. 全体として似ていないのではないか。
  2. 類似の箇所(文)についても、表現が異なる部分があるので問題ないのではないか。
  3. 歴史的事実の記述は同一であっても著作権上問題ないのではないか。
  4. 語の選択の一部は、百楽天さんの投稿も外部ページも大猷院殿御実紀と一致しており、その点で創作性などはないと言えるのではないか。
  • (1)については、著作権侵害は、複製の場合であっても翻案の場合であっても、丸ごとの利用などではなく、部分的な利用であっても成立するものなので、全体として見た時に大きく異なる記述があっても、似た内容の点があるなら、問題になりうると思います。判断の際に重要なのは、全体として似ているかどうかよりも、似ている部分について何らかの創作性が認められるか(書き手の個性の反映があると考えられるかどうか)だと思います。
  • (2)上に書いたことですが、表現が異なっているとしても、それだけでは複製や翻案になってしまう可能性が残ります。単に語句の選択だけではなくて、記述内容の取捨選択、配列についても異なっている必要があります。
  • (3)歴史的事実であれ、あるいは科学的な事実であれ、記述の仕方に何らかの個性の反映が認められる場合には、それが著作物として保護される可能性があり、そのような記述を無断で利用すると、著作権違反になってしまう可能性もあるように思います。
  • (4)語の選択や記述の順序が大猷院殿御実紀と一致しているなら、その部分については問題ない、と言えるかも知れないと思いました。ただ、類似点はそれ以外の点にも及んでいるようなので、そこが問題だと思います。百楽天さんが指摘したような類似性が、百楽天さんの投稿のほかの部分についてもあるのだとすると、あるいは話が違ってくるのでは、とも思いますが。

百楽天さんの見解6:著作権上問題がない形での類似であるとする見解

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こちらの書き込みで表明された意見です。

http://taurus.kake.info.waseda.ac.jp/wikip/joyful/joyful.u.cgi?mode=res&no=2832

両者の内容や構成が似ていることについてはある程度認めるとしても、それは例えば出来事を時系列順に述べただけなので、問題がない、というものです。

歴史的な出来事を時系列順に並べたもの、あるいは人名を50音順に並べたもの、などは、並べ方には創作性はないとされる可能性が非常に高く、偶然の一致もいくらでも起こりうるものだと思います。

ただ、今回の件について言えば、そのような一致もあるものの、そうでない一致もあり、後者が依然として気になる、ということがひとつ言えると思います。既に書いたとおり、個々の文で、何がどのような順序で述べられているか、ということを考えるとわかると思います。それからもうひとつ、そもそも歴史的な出来事には様々なものがある中で、特定の出来事をとりあげ、別の特定の出来事をとりあげない、という内容の取捨選択のレベルでは、偶然には一致しない可能性が非常に高い場合が多々あると思います。今回の件については、それも気になります。全体として見れば記述内容に異なる部分はありますが、特定の数文に渡って、記述内容の取捨選択が似ていて、それが何か必然的に類似してしまうものだと考えにくいので。

この、記述内容の取捨選択、それを文章に表現する際の配列・構成といった要素は、無断で他人のものを借用すると著作権侵害になることがあるようなので、そこが問題、と。

百楽天さんの見解7:最近のコメントで表明された見解

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最後に、百楽天さんが一番最近書いたコメントについて考えてみました。 http://taurus.kake.info.waseda.ac.jp/wikip/joyful/joyful.u.cgi?mode=res&no=3451

百楽天さんの書き込みからうかがえるのは、

  • (1) Corruptresearcherさんは、「乱心」という語の選択など表現上の些細な一致点をとりあげて、それを著作権侵害の根拠にしているし、著作権の知識が不足している
  • (2) KozawaさんやCorruptresearcherさんは、百楽天さんが執筆した記事の写しを提供する、という百楽天さんの申し出を無視して議論を進めている

という2点です。

  • (1) これは、百楽天さんの誤解ではないかと思いました。ノート:赤穂藩で出ているように、今回の件で問題なのは、語句の上では違いがあるとしても記述内容の取捨選択や配列・構成の上で類似性がある点だというのがCorruptresearcherさんの見解です。(僕も同意見なわけですが。)そのような類似性が著作権侵害になりうるのだ、ということはCorruptresearcherさんは当初はご存じなかったのでこれは侵害にあたらない可能性もあるのでは、と考えていたのですが、Kozawaさんとのやり取りを通じてそのような類似性をもって著作権侵害が成り立つという判断を示した判例について知るに及んで、著作権侵害になっている可能性をより強く心配し始めた、ということに見えます。

また、Corruptresearcherさんが9月20日にBBSで「乱心」について聞いたのは、それが著作権侵害の有無を分ける決定的なポイントだからではなくて、百楽天さんの文章と外部ページの中で特に似ている気になる点の例として挙げたもので、 他の類似点についても説明して欲しい旨を書いています。

ただ、一般論として言えば、Corruptresearcherさんが著作権の専門家でないことはノートページでの議論から明らかですし、現にKozawaさんから関連する判例について教わった後で意見を変えています。

  • (2) これは判断が難しいところだと思います。ただ、百楽天さんの誤解があるのではないかな、とも思うので、KozawaさんやCorruptresearcherさんが意味するところが何か、僕なりに汲み取って解説してみます。

KozawaさんやCorruptresercherさんが聞きたいには、「この類似は偶然だとは思えないし、著作権の侵害が心配されるけれども、大丈夫か? 類似性の原因として、外部サイトの方が百楽天さんが以前どこかに出版した文章を無断利用している、というような事情があるのか、それとも、百楽天さんは外部ページを無断で利用したのか? 」という点ですね。

この点については未だに明言されていないように思います。

また、百楽天さんがこの点についての明言をしないことが多い、という指摘もありますし、僕もそういう印象は持っています。百楽天さんがある主題について非常に深い見識を持っていること、長い間調査を重ねてきた経験があること、そのため外部サイトの文章にある誤りや不適切な表現などが百楽天さんにはよくわかること、などについて説明を頂くことは多いのですが、それよりも決定的な情報である「外部ページを利用したのかどうか」という点についてはお答えいただけないことがままある、と。

外部サイトと投稿された文章の間で表現は似ているけれども見識の深さは違う、というような場合には著作権侵害の心配は解消されないので、外部ページを利用したのかどうか、という点について教えていただけるとその方が参考になるというのは、例えば僕も同じことをお伝えしています。メールでもお伝えしましたが、それ以前、7月21日に「土芥寇讎記および諫懲後正」に関連してウィキペディア上でも書いています:[12]

それから、7月23日、25日にも、辻番に関して同じことをお伝えしています: [13], [14]

あるいは、ちょっと違う点もありますが、Gleamさんの8月8日、14日の書き込みも似たような主旨ですね。 [15], [16]

以上のような背景を念頭におくと、百楽天さんはこの件に関しても、ご自分の調査経験などについては述べているものの、肝心の「外部サイトを利用して文章を作成し、投稿したのか?」という点については回答がないし、回答を求めても応じていただけなかった以上、その点についてはあきらめ、とりあえずわかっている証拠から推定して、外部サイトにある文章を無断で利用していると考えて最善策を探ろう、という辺りがKozawaさん、Corruptresearcherさんの考え方ではないかと思います。これは、それほどでたらめな反応ではないように思いますがどうでしょうか。ただ、誤解のないように念のため付け加えておくと、「土芥寇讎記および諫懲後正」の場合には、僕からの質問に百楽天さんが、「外部ページを利用した/しなかった」とは明言しなかったものの「そもそも外部ページは投稿された文章と似ていない」という話になり、類似性の詳細な検討が行われる、という展開を辿ったこともあります。

ただ、一方では、あるいは、もしかすると、百楽天さんが発表されたものを見ると、今回の類似について、外部サイトが百楽天さんの文章を利用したのだということがわかる、という意味で百楽天さんはあのコメントをされたのかも知れません。そこを他の人が誤解したし、また百楽天さんも誤解されていることを知らなかったから今改めて問題になっている、ということかも知れません。

また、百楽天さんが表明しているのは、この件に象徴されるように、百楽天さんの発言が無視されて削除の議論が進んでしまうことや、そこで交わされている議論が必ずしも著作権についての深い理解に基づいたものでもなければ、記事の主題についての深い理解に基づいた人による判断でもない、ということ一般である、という風に理解することもできるでしょうか。

例えば、百楽天さんは2つの文章が似ていないか、似ている部分については問題がない、という主張を井戸端BBSの方で行ったわけですが、それについては今までのところ特に踏み込んだ検討・反駁などがないようですし、2つある内の最初のものについては、Corruptresearcherさんが対話を断念する以前に提示されているので、百楽天さんの側から見れば、きちんと自分の意見を示しているのにそれは無視して、Corruptresearcherさんは一方的に対話の断念を宣言した、というように感じた部分もあったのではないか、と思う部分もあります。また、Corruptresearcherさんが基本的な史料についての理解を持ち合わせていないことを指摘されている書き込みもあります。

あるいは更に憶測を重ねれば、百楽天さんの書き込みの複数の箇所から、百楽天さんは何かウィキペディアの他の利用者の攻撃の標的にされているのではないか、ある種の陰謀というか、みんながどこかで口裏を合わせて百楽天さんに対して不公平な扱いをしている部分があるのではないか、という疑念を百楽天さんが持っていることも伺えます。(そういう実態は、少なくとも百楽天さんが心配しているような深刻なものは、存在していないと僕は思っていますが。)そういう疑念を持っている百楽天さんとしては、Corruptresearcherさんの態度もまた、ウィキペディアが百楽天さんを不公平に扱う一連の出来事のひとつであって、そもそもCorruptresearcherさんには初めから対話を試みようとか、百楽天さんから何かの意見を聞きたいという気持ちすらなかったのではないか、と思われる部分もあるでしょうか。実際、Corruptresearcherさんが[17] に書かれた文章などは、そういう疑念を持って読めば、明白な裏づけを与えるような文章にも見えます。

以上をまとめると、次のように思います。

(1) 赤穂藩の削除の是非についての議論は、特に百楽天さんが問題にしたKozawaさんとCorruptresearcherさんの意見については、僕は全般的に同意見である部分が多く、それほど大きな問題を孕んだ判断はない、という風に思いました。百楽天さんは、両者が似ていないこと、似ていても問題がないこと、などを様々な形で指摘されていますが、実際には著作権上問題がありそうな類似があると思いますし、どの部分にどういう理由で懸念を感じるか、という点についてはKozawaさん、Corruptresearcherさんと僕はほぼ同じかと思いました。

(2) ただ、議論の過程がどうであったか、という点では、百楽天さんとの間の対話がもう少しきちんと成立していればよかったのではないか、と残念に思います。

そして、それについては、誰が悪かったのかというのはちょっと判断が分かれるところではないでしょうか。一方では、Kozawaさん、Corruptresearcherさんが対話を断念する理由は、わかりやすいものですし、僕から見れば、百楽天さんがどうしてその点を理解されなかったのか、あるいは理解されていながらあえてとりあわなかったのか、というところが気になります。同時に、百楽天さんの側には誠実さが全く見られないということではありませんし、特に百楽天さんが類似性の有無を詳細に検討した部分などについては、対話を断念する前に一考に価するし、仮に対話をあきらめたとしても、依然として検討してみるべきではないか、と思うこともあります。百楽天さんがKozawaさん、Corruptresearcherさんを批判する理由については、僕なりに理解できると感じる部分はあるのですが、同時に、Kozawaさん、Corruptresearcherさんが百楽天さんに何を求めているか、百楽天さんについてどう考えているかをもっと理解されると、百楽天さんの見方も変わってくるのではないかと僕は思います。


KozawaさんとCorruptresearcherさんの見解について

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次に、簡単にKozawaさんとCorruptresearcherさんの見解について僕が思ったところを書いてみます。だいぶ繰り返しが多くなってしまいますが、一応。

仮に外部ページを元にして百楽天さんが投稿文を作成されたのだとしたら、それが著作権侵害になりうるかどうかについて、Kozawaさんは、断定はできないが否定できない、と書かれていますが、僕も同感です。

判例で、著作物として認められたものと、著作物とは言えないとされたものとを比べる場合に、その両者が重複しているというか、ケースによって判断基準がブレているのではないか、と思わされることがあります。上に紹介したような判例やそこで述べられている考え方を適用すると、著作権侵害とされても不思議はない、と思います。理由は、Kozawaさんとほぼ同じで、語句の選択の上では違いがある部分も多いものの、記述内容の取捨選択や配列・構成などといった点での類似点があると思われるからす。(もちろん、それに加えて、語句の選択面での同一・類似箇所も多く見受けられますが。)Corruptresearcherさんも、この点については基本的にはKozawaさんと同じような理由で同じような感想を持つに至ったと理解しています。

次に、百楽天さんの対話の姿勢について。Kozawaさん、Corruptresearcherさんともに問題としている点で、僕も非常に気になっているのは、百楽天さんが問題点や疑問点について正面から回答するような形での返答を下さらないことがある点です。これについては、上に既に述べた点(百楽天さんは外部ページを利用したかどうかについて明言せず、それに比べると議論に関連が薄い調査歴や見識の深さなどを説明する傾向ことがしばしばあること)が僕も特に気になっています。

外部ページよりも正しい、あるいはより深い見識に基づいた文章を作成したとしても、Kozawaさんや僕の理解するところでは、「著作権を侵害しているけれども、元の文章よりも内容的に優れた文章を書いた」「自分が非常によく知っているトピックについて、他人の文章を無断で借用してそれを改善した上で投稿したので著作権侵害になっている」というような可能性が残ってしまうために、削除の是非を決める上ではそれほど大きな決め手にはなりません。

もちろん、このようなKozawaさんや僕のような考え方が、実は著作権についての誤解に基づくもので、百楽天さんが述べていることが著作権侵害の有無を判断する上で決定的に重要だ、という可能性も否定できるわけではありません。著作権は複雑な制度ですし、議論の参加者は法律の専門家でもないですし。そこで、もし僕の考え方に間違いがあるようであれば、それについて指摘をして欲しい、ということも思います(し、これも何度か百楽天さんにお伝えしてきました)。

このような理由から、また他の件についての百楽天さんの対応ぶりから、百楽天さんとの対話を既に断念されている方も多いのではないかと僕は思っていますし、それはひいては、百楽天さんからこれ以上明確な回答や情報提供を期待しても無駄なので、著作権侵害にあたらないという証拠と思われるものがすぐに出てくるのでなければあきらめよう、ということにもなるのだと思います。

Uraniaさんの見解について

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百楽天さんが冷静と評価されているUraniaさんの意見についても考えてみました。こちらの書き込みで表明された意見です。 [18]

主な論点としては、次の4点かと思います。

  • (1) 文章の流れ・構成が似ている点については、時系列順に出来事を記述していることに起因するので、問題がないのではないか。
  • (2) 外部ページには存在しない記述・情報なども含まれていて、類似性は限られている。転載とは言えないのではないか。年代表記や「藩」概念の理解については外部ページと決定的に異なる。
  • (3) 一非常に似ているのは、池田輝興の事件について述べた一文だが、これ一文を持って著作権侵害とすべきなのかどうかは判断が難しい。
  • (4) 除すべきではないとは断言できず、管理者が判断を下すべきケースだと思うので、そういう判断があればそれに従う。

それから、削除依頼ページの方でも意見があります。 [19], [20], [21]

主な論点としては、以下2点でしょうか。

  • (5) まだ議論が不足していて、削除していいかどうか、判断は困難ではないか
  • (6) このような件についても侵害がありそうだという形で著作権法を解釈するのであれば、自分の執筆にも差し支えそうだ

以下、僕の意見を書いてみます。

  • (1)、(2)、(3)、は、今回の件が著作権侵害にあたるかどうかを議論するものですが、僕の意見は既に述べた通り、事実を述べた文であっても、その文の構成がよく似ていたり、複数の文に渡って内容の取捨選択に類似が見られるということを考えると、著作権侵害の可能性が考えられる、というものです。池田輝興についての一文は、その一部であって、僕としては、それを含めて複数の文について問題が考えられる、と思います。
  • (5)については、百楽天さんの詳細な比較検討部分について考えた方がよかったとは思います。(そこで僕は上で検討をしてみたわけですが。)
  • (4)については、次のように考えています。

原則論としては管理者というのは利用者の総意を反映するものなので、管理者の判断は他の利用者の判断よりも重みを持つべき、とは思いません。明らかに著作権法に反する場合などであればともかく、判断が難しい件については、利用者の間で合意が成立するなら、あるいは、削除しないという選択もありなのかも知れないと思っています。現に削除されてしまったものの中で、あれは本当に削除しなければならなかったのだろうか、と今でも迷うものなどもあります。

ただ、著作権侵害があって、それを知っているにも関わらず削除しないと、管理者は後になって法的な責任などを問われる可能性もあると思います。そこで、利用者一般に支持されるような削除・非削除の基準から生じるリスクについて納得できない管理者は、管理者を辞めてリスクから自由になるのがいいだろうと思います。と、ここまでは原則論です。

ただ同時に、現在のところ管理者の数が多いわけでもないですし、やたらと管理者に辞任されると他のところでいろいろ支障が出るかも知れないので、余りひどいものでなければ、微妙なところは管理者の判断に任せて、管理者の望むリスクレベルを受け入れる、というような考え方はありだろうと思います。その場合にも、しっかりした理由もなくリスクを低くすることにこだわる余り何でもかんでも削除すべきと考えるような管理者があれば、そういう人には辞任を勧める、と。Uraniaさんの(4)の点についてはそういう意味では同感の部分もあります。Uraniaさんと考え方は同じかも知れませんし、そうでないかも知れませんが。

  • で、(6)ですが、共感する部分はあります。著作権関連の訴訟の判例を見ると、これだけいろいろ保護を与えてしまうと、うかつに参考資料を使うとすぐに著作権侵害になってしまいかねない、と思わされることがあります。文章に関して特に厄介なのは、要約が著作権侵害になる場合があること、事実をそのまま述べた文や年表の類であっても、述べられている事実の取捨選択やその構成や表現が似ていると侵害になる場合があること、の2点です。

要約に関しては余り判例が見当たらないのでどの程度著作権法で保護されるものなのか何とも言えないのですが、ここを非常に手厚く保護されてしまうと、ウィキペディアのようなプロジェクトはとてもやりにくくなるだろうと思いますし、学術研究も報道一般にも支障が出かねないとも思います。ただ、じゃあ著作権法を多少無視してでも、プロジェクトに都合のいいようにやってみよう、というわけにもなかなか行かないですし。複数の資料を用いて、できるだけそれらをミックスさせる形で書くのが一番安全ではないか、ということは思いますが。

それから、これは著作権に限らずですが、管理者や財団の責任として、どの程度まで法や判例に通じている義務があるのか、という点には明確な限度がないのが大変ですね。「これだけ著作権について勉強して、わかった範囲で法を遵守したけれどもやっぱり至らない点があって、あるちょっとした記述について著作権侵害がないと思って削除しなかったところ、訴えられて侵害があったと認定され、結局、長い間放置していろいろな人に閲覧されたり2次利用されたりした責任を負わされてしまう」ということがありうるのかどうかというと、原理的には起こりうるのではないかと思いました。それを考えると、「慎重になるあまり問題がないものまで削除する」ということがどうしても起こってしまいます。これについては特に対策なども思い当たりません。アメリカの出版業なんかだと保険をかけたり、出版社は原稿を事前に弁護士などに読んでもらって問題点を洗い出す、ということもありますが、(後者は日本でもあるでしょうか)そういう対策をウィキペディア日本語版で導入できるかというと、投稿の規模から考えても、組織・体制から考えても当面は無理でしょう。

赤穂藩は削除されるべきか?

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個別の方の意見へのコメントは終わりにして、今度は、赤穂藩が削除されるべきなのかどうか、僕の意見をまとめてみます。

最初のセクションで書いた通り、一人で考えていたら、どちらかといえば削除すべきものだと判断しただろうと思います。その理由は、外部サイトの複数の文に渡る部分と、内容の取捨選択やその配列・構成などが似ている部分があるからです。

他の方が出された意見を考慮してみても、同じ意見のままです。ただ、2点気になることがあります。

ひとつは、百楽天さんが以前に出版されたものや、参考文献として挙げられている歴史資料の影響をどう考えるべきか、という点です。百楽天さんはこれまでのところ、外部サイトを参照したともしていないとも明言されていないと思うのですが、もしも百楽天さんが現段階で、「外部サイトは参照していない」「自分が既に他の場所で発表した文章を元にしていて、外部サイトもそれを参考にしていると思われる」「その他の類似点は歴史的な史料をそのまま現代日本語に直したことに起因する」という意見であれば、話は違ってくると思います。そうではなく、外部サイトを参照したとか、したかどうか記憶にないし、史料の共通性によって類似点が説明できるわけではない、ということであれば、類似点は偶然ということでは説明できそうにないので削除が適当かと思いました。

もうひとつは、百楽天さんが様々な件について繰り返し強調された、見識の深さの違いや、調査経験などの意味です。ある著作物を下敷きにして、その表現などは借用しつつ、元の文章にはない見識を盛り込んだり、不適切な部分を直したりした場合には、結果として著作権侵害になってしまうと思います。が、もしもその著作権理解に間違いがあるということを百楽天さんがご存知であれば、それを教えていただければ、と思います。削除の是非についての判断が違ってくることがあると思うので。

ウィキペディア日本語版における削除まわりの手続きの問題点、課題は何か?

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以上のように考えてくると、これまでの削除の是非についての議論、論調は、結論としてはそれほど問題はなく、ただ、議論の進め方については多少問題もあるが、それは誰の責任にするべきなのか僕にはちょっとよくわからない、ということになります。

僕の見たところでは、Corruptresearcherさんの意見も特に突拍子もない意見だとか、何が何でも著作権侵害だと決め付けようとする態度というわけではなく、他の方の意見や判例を参考にしながら考えて出てきたものだと思います。百楽天さんのコメントだけ読むと、Corruptresearcherさんは本当に問題があるんじゃないか、と思わされるのですが、実際にはそうでもないと思います。

百楽天さんにも、類似性の有無について詳細に比較して意見を述べるなど、検討に値する発言があり、ごまかしや誇張に終始しているというようなものではないように思います。他の方が百楽天さんについて書かれていることを読むとそうなんじゃないかと思うことがあるのですが。

もう少し踏み込んで考えてみると、あるいは以下のような相互疑念があったのではないか、と思いました。

百楽天さんがあちこちで述べられている苦情に、そもそもウィキペディアの参加者の多くが、百楽天さんの投稿を不当に削除依頼にかけたりしていることが気になり、特に議論に参加するわけでもない人が削除依頼を出したり、著作権侵害の可能性のお知らせを記事の本文に置き換えたりして、不本意に感じるところがあるというものがあります。また、その苦情を相手にしないばかりか、特に著作権に詳しいわけでも、その記事で扱われている主題について知識があるわけでもない人が議論に参加して、削除に賛成を表明していたり、具体的に根拠などを挙げないままに賛成だけを表明していたりする、と。執筆者なのに意見を聞いてもらえない、不公平に扱われている、という感があるのは無理もないと思う節がありますし、狙い撃ちされているのではないか、という考えもそういうところから出てきているのでは、と思いました。そこで、ウィキペディアの不備、不公平を少しでも明白に指摘して、まずは自分の意見がきちんと伝わるような場にしなければ、そもそも対話を始めることもできない、とあるいは思われているのではないかと感じた部分もあります。

ですが、同時に、ウィキペディアに数ヶ月以上参加している方から見ると、百楽天さんの投稿の中には、外部サイトと偶然とは思えない類似点を含んだ文章がある場合が多いという印象を持ちますし、4月の時点で注意するようにとお願いが行っているにも関わらず、その後の投稿にも問題がありそうなものが多く見られます。これは、完全に類例がないわけではありませんが、間違いなく異例の出来事ですし、百楽天さんの投稿のペースから考えると、到底放置できない大きな問題だということにもなります。そこで、著作権についての理解が浅くても、あるいは記事で扱われている主題についての知識を持ち合わせていなくても、できることから、と類似の外部サイトがあるかどうか調査したり、百楽天さんに尋ねるべき点を尋ねたり、依頼や告知を出したり、といった作業に加わった人がたくさんいるわけです。

ウィキペディア日本語版には法的な問題についてのアドバイザーがいるわけではありませんし、企業のように法務部門があるわけでもありません。素人が少しづつ知恵を持ち寄ってベストを尽くす、という、ウィキペディアの他の面に関してやっているのと同じことを削除の手続きに関してもやっているわけです。なのに百楽天さんの方はウィキペディアの不備を指摘することには熱心で、効率的な案件の処理には協力的ではない、と思った方は少なくないのではないかと思います。

#と、この辺りのことは僕の勝手な憶測がかなりいろいろ入っている上、よく考えた末の結論ではないので、百楽天さんについても、他の方についても的外れなことを書いているかも知れませんが。。

そういう意味では、お互いの意図を誤解しているわけで、ある意味不幸な展開だったとも思います。ウィキペディアで削除まわりの作業に参加されている人がもう少し百楽天さんの気持ちを察して何かいい対応ができていればこうはならなかったかも知れませんし、逆に百楽天さんがウィキペディアで削除まわりの作業に参加されている人の気持ちをうまく察することができたら、こうならなかったかも知れません。

ただ、やっているのは人間ですし、誤解も起こりますし、お互いの対応振りにあきれて匙を投げてしまうこともあるのは不可避だと思います。そういう場合にどうすればいいかというと、誤って削除されたものがあれば、理由をきちんと示して復活を依頼するとか、誰か匙を投げていない人が割って入って、何かやってみるとかいうことがいいのではないかと思います。復活依頼については以前百楽天さんにはメールでお勧めしましたし、匙を投げていない人が割ってはいるというのは、一応、僕も今試しているつもりです。既に何人もの方が試されたことであり、うまく行くのかどうかはわかりませんが。

あと、疑念が先行してしまって百楽天さんにはあるいは見えてこないのかも知れませんが、今回の件でも冷静な発言を続けていらっしゃる方が何人もいます。MiyaさんやSphlさんや赤鉛筆さんは明らかに語気も強くなく、慎重に物事を吟味しようとしたり、他の人の意見について自分で考え直してみるといった様子が伺われる発言もあります。これだけいろいろな人が活動しているプロジェクトで、一枚岩にはなっていないことは多いですから、そういう人の意見に特に注目してみる、あるいは、相談してみる、というのもいいんじゃないでしょうか。まあ、今回の百楽天さんの場合は、信頼できる相談相手がウィキペディアの参加者以外のところにいらっしゃったようで、得られた結果はどちらかというと、ウィキペディア批判が目立つものという感じですが。。

それから、もうひとつ付け加えることがあるとすれば、ウィキペディアの代表であるジンボさんが非常に頻繁に強調することなので今更僕が言うようなことではないかも知れないですが、ウィキ愛でしょうか。ウィキペディアのように志が高くて読み書きを多量に要求されるプロジェクトに参加されるような人は、みんなそれなりにものを考える力もあるし、尊敬できるところもある人です。それを心に留めて、相手を糾弾したり、疑心暗鬼になったりする前に、相手にひとこと理由を聞いてみるとか、きっと何かそれなりの理由や事情や考えがあってやっているに違いないと思って考えてみるとか、相手を信じる努力をするとそこから見えてくるものや開けてくるものがあることも多いかなと思います。まあ愛だけでは解決しないことも多いでしょうが、逆にそれを怠れば、参加者が多様であるだけに、誤解や不信は簡単に育ちますし、ウィキペディアの記事が多様な視点からの記述や様々な筋からの情報提供を得て普通の百科事典を質的にも凌駕する、ということも起こりにくくなり、プロジェクトの狙いは実現されないかと思います。

対話のプロセスについて考えたことは以上です。再発を防止するような手立てがあるか、というと、それを保証することは難しいと思いますが、百楽天さんが言うほどずさんな自体があったわけではなく、また不適切な削除が起こっても回復の手段はあるので、きちんとした手続きを踏めば問題は解決できると思います。

次に、削除のスタンダードを導入してはどうか、という点ですが、15文字以上の一致、というような数値基準は、少なくともそれ単独としては、導入は不可能ではないけれども、難しいと思います。僕は削除まわりの作業はもう1年以上やっていて、いろいろなことを考えてきたので、当然そういうアイディアを考えたこともありましたが、結局次のような理由で提案を躊躇していました。

  • 14文字までならよい、という基準にしてしまうと、14文字以下の転載を連発する利用者が現れる可能性がある。
  • 字面の上では一致していない場合でも、著作権侵害は起こりうる。
  • 著作権侵害になっているかいないかがよくわからない記事がひとつだけ存在している、ということであれば問題はないに等しいかも知れないけれども、ウィキペディア日本語版はまだ発展途上にあり、そういう記事が数百のオーダーで存在することになった場合のリスクを考えると、安易な基準の導入はできないと感じる。
  • ウィキペディアのコンテンツは単にこのウェブサイト上で存在しているだけではなくて、いろいろな場面で、いろいろな人に利用(複製、改変も含めて)してもらおうという狙いがある。著作権法上問題があるのかどうかがわからないコンテンツをわざわざ放置した場合、そうした人々がリスクを気にして利用を見合わせることにつながるかも知れない。
  • 法的な問題に発展しないとしても、後になって、何か新しい判例が出てそれまでの削除基準を見直さなければならないとなった場合には、見直し後の基準で削除しなければならない記事の中には、かつて問題を発見・放置した結果、その後多くの人が編集・加筆を重ねたものがあるかも知れない。そのようなものであっても、丸ごと削除しなければならない可能性があるのは大いに問題なので、見つけ次第早めに削除しておくことにもそれなりに意義がある。
  • 判例上は、文字数についての議論は一切ない一方、単語の語呂合わせのように非常に短いものにも著作権が認められたケースがある。

ただ、15文字かそれ以上連続して一致している部分があれば、他の点を検討しなくても、安全確保のために原則削除してよい、(投稿者が外部サイトの制作者本人であった場合など、特に事情がある場合には削除しなくてよい)というような形での基準を導入することはできるようにも思いました。これが百楽天さんの望むような結果をもたらすことになるかについては、ちょっとよくわかりませんが、削除依頼の効率化にはつながると思います。。

それから、ここ暫く、以下にあるようなガイドラインを推敲していました。これは削除の是非の判定用ではなくて、投稿する方向けのガイドラインで、しかもあまりよくできたものではありませんが、こういうものを導入すると、あるいはそれで防げる問題もあるかも知れません。

また、判例へのリンクを揃えておくと、著作権侵害の有無を考える際にもすぐに読みにいけて便利なので、その作業が多少効率化できる面もあるかと思います。自分ひとりで推敲していても中々進まないので、近い内に日本語版に持ってきて他の方々の意見を伺ってみようかと思っていました。余りにお粗末過ぎて叩き台としても役に立たないようでは困るので、ついつい推敲を重ねて導入は遅らせてしまうのですが。。[22]

まとめ

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非常に長くなりましたので、僕からの要望ということで、百楽天さんとどのようなことをお伺いしてみたいかをまとめてみます。(他の点については話したくないというようなことではありません、念のため。)

ひとつは、赤穂藩の記事と、外部サイトの関係について2点。

1)百楽天さんは外部サイトを参考にされておらず、外部サイトとの類似性は百楽天さん自身が以前発表された文章や、著作権保護の対象になっていない史料などによるもの、というような事情があるでしょうか? 

2)もしなければ、文章の記述内容の取捨選択や配列・構成上の類似性を考えると、著作権侵害の可能性も考えられますので、削除する方がよいかと思いますが、どうでしょうか?

もうひとつは、ウィキペディアの削除の手続きについて。

3)CorruptresearcherさんやKozawaさんのこれまでの発言については、上に説明したように、僕はそれなりに理由があってのことだと思うのですが、いかがでしょうか。例えば、百楽天さんの方で、「そういわれて見れば、確かにそういう面もあるし、どうして2人がああいう発言をしたか納得もいく」というようなことになれば、と願っているのですが。

4)百楽天さんの発言については、これまでに百楽天さんが説明されたのとは少し違う形で、というか、僕なりに憶測や解釈を加えて書きましたが、何か誤解や、汲み取れていない点があるでしょうか。誤解や理解不足があれば、それを考える上で重要な案件があれば、次にそれを検討してみる、というのもよいかと思います。

5)削除の議論について、僕は、百楽天さんが詳細に比較した井戸端BBSの書き込みを検討しておくのが重要だったけれども、他の点ではまあそれなりに検討しているのではないか、と思いましたが、いかがでしょうか。百楽天さんの感じ方とはだいぶ違うので、Tomosはわかっていない、とか、Tomosがそう感じるのはわかるけれども、こういう面を考慮するとまた違う風に見えてくる、というような意見もあるいはあるかも知れないと思うのですが。

6)具体的な文字数を特定した削除の判定基準というのは、上に述べたような意味で難しいと思いますがどうでしょうか。もちろん、削除依頼のプロセスに改善の余地がないとは思いませんが。

長くなりましたが、以上です。

Tomos 2004年10月24日 (日) 07:38 (UTC)