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利用者:Tobi-enter-boss/sandbox

系統

弘文堂『新宗教事典』では、宗教団体ではなく「道徳・倫理・修養団体」とされている。実践倫理宏正会は、旧ひとのみち教団の信者で、丸山敏雄とも親交があった上廣哲彦が、北陸地方などで独自の活動を展開し、やがて丸山との協力関係を断って、会として、独立したものである。実践倫理宏正会は、会員の早朝集会(実践倫理宏正会じたいしばしば人々から「朝起会」と呼ばれる程、この活動は盛んである)や会誌の戸別頒布の活動など、主として普及、宣布の活動の面で倫理研究所と相互関係があると思われる。

沿革

上廣哲彦は、戦後昭和二一年五月より広島・北陸において生活倫理実践会を主宰していたが、二六年五月に宏正会を創立して初代会長に就任。十一月には機関誌「宏正」を創刊。東京の武蔵野市吉祥寺に居を構え、三鷹、文京、神田、阿佐ヶ谷にて朝起会を開く。その後会員が三〇〇〇人になった昭和二十八年に、これを組織して、文部省許可の社団法人とし、会名も実践倫理宏正会と改称。三五年には、青少年向けの機関誌、『青年と倫理』を発刊。さらに三八年には『倫理宏正新聞』が刊行された。四七年には東京九段に本部会館が落成。初代会長はその直後に死去、長男の榮治が二代会長に就任(現在は三代会長 上廣哲治)。