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利用者:Tamrono157/new1

歴史

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1920年(大正9年)5月に埴科郡埴生村-上高井郡須坂町間の鉄道免許状が下付されるが河東鉄道を設立し9月に鉄道敷設権を譲渡している

1925年ボギー客車を新製したが将来の電化を見越して屋根にはパンタグラフ台や電車用台車を備えていた

1930年ガソリンカーを投入しバスに対抗 中込-小海間にバス経営を開始[1]

  • 1913年(大正2年)1月4日:東信軽便鉄道[2]に対し鉄道免許状下付(北佐久郡小諸町-佐久郡小海村間、北佐久郡岩村田町-同郡御代田村間、同郡岩村田町-同郡中津村間 軌間762mm)[3]
  • 1914年(大正3年)
    • 2月6日:起業目論見変更許可(北佐久郡小諸町-南佐久郡中込村間 佐久軽便鉄道)[4]
    • 5月16日:佐久鉄道株式会社設立[5][6]
  • 1915年大正4年)
    • 8月8日: 小諸駅 - 中込駅間開業[7]
    • 9月3日:鉄道免許状下付(南佐久郡中込村-同郡青沼村間)[8]
    • 12月28日:羽黒下駅開業[9]
  • 1916年(大正5年)6月6日:滑津停留場[10]
  • 1918年(大正7年)2月22日:鉄道免許状下付(南佐久郡青沼村-同郡南牧村間)[11]
  • 1919年(大正8年)
    • 3月11日:小海駅が開業[12]
    • 5月8日:鉄道免許失効(1918年2月22日免許 南佐久郡小海村-同郡南牧村間 指定ノ期限内ニ工事施工認可申請を為ササルタメ)[13]
  • 1920年(大正9年)
    • 5月3日:鉄道免許状下付(埴科郡埴生村-上高井郡須坂町間)[14]
    • 9月6日:河東鉄道[15]に鉄道敷設権譲渡(1920年5月3日免許 埴科郡埴生村-上高井郡須坂町間)[16]
  • 1925年(大正14年)4月14日 :三岡駅開設並びに土橋停留場・市村停留場廃止[17]
  • 1930年昭和5年)
  • 1932年(昭和7年)12月27日:小海線(小海-佐久海ノ口間)開業[19]
  • 1934年(昭和9年)9月1日:バス路線を佐久自動車へ譲渡[1]

国有化

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買収の請願は1932年(昭和7年)5月、1933年(昭和8年)7月、同年9月と3度黒沢隆之助 1934年第65回帝国会議に買収価額229万8855円(公債交付239万4600円)蒸気機関車8両、ガソリン車8両、客車17両、貨車59両、本社及び現業職員123人引き継がれた[20]

歴史

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  • 『臼田町誌. 第5巻 近現代編』、2009年
  • 『佐久市志 歴史編 4 近代』、1996年
  • 『小諸市誌 近・現代篇』、2003年
  • 小松重次「雪国の無線車は明治生まれ」『トワイライトゾーンマニュアル15』ネコパブリッシング、2007年
  • 沢和哉「佐久鉄道」『コンコース』
  • 中村勝実『佐久鉄道と小海線』 櫟、1985年
  • 山田俊明「佐久鉄道開業100周年・小海線全通80周年に寄せて」『鉄道ピクトリアル』No.913

日本占領下の海南島の鉄道とは太平洋戦争時海南島において資源輸送のため建設された鉄道をさす

日本窒素肥料石原産業

石碌鉄道

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  • 1943年(昭和18年)9月完成
  • 石碌 - 宝橋 - 抱板 - 熱水 - 北黎 - 八所港 - 58.9km
  • 9月に台風が接近、鉄橋が破壊され路盤もあちこちで損傷した、水力発電所も水路が破壊された。これにより鉄山の開発をあきらめ日本人留用は解除され帰国できることになった[21]

田独鉄道

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  • 1942年(昭和17年)3月
  • 安遊村 - 汐見 - 田独鉱山10.2km
  • 1938年海軍省軍務局第一課長より呼び出される。ちかく海南島を占領することをつたえられた。すでに南方の鉱山開発をしていた石原産業に協力を求められた

軍用鉄道

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警備府が三亜、開口、三亜、黄流に航空隊基地が設置され、海軍によりこれらを結ぶ[22]

  • 1941年(昭和16年)12月着工
  • 1944年(昭和19年)9月完成
  • 北黎 - 感恩 - 嶺頭 - 黄流 - 休所 - 崖県 - 馬嶺 - 三亜 - 楡林港178.9km

臼井茂信は、昭和16年に廃車された9600形4両が海南島に送られたと推定している[23]

3040形

森林鉄道

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  • 1943年(昭和18年)9月完成 合資会社
  • 抱板 - 東方26.0km

脚注

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  1. ^ a b 『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 発起人の中に佐藤秀松、蜅沢備、大淵龍太郎、小沢信之甫ら雨宮製作所関係者がいた『佐久鉄道と小海線』13頁
  3. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年1月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 「軽便鉄道起業目論見変更」『官報』1914年2月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 『地方鉄道軌道営業年鑑』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年8月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1915年9月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1916年1月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1916年6月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1918年2月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1919年3月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 「軽便鉄道一部免許失効」『官報』1919年5月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1920年5月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第29回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. ^ 「鉄道譲渡」『官報』1920年9月07日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. ^ 官報では三岡駅は15日「地方鉄道駅廃止並設置」『官報』1925年4月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ 湯口徹『内燃動車発達史 上巻・戦前私鉄編』2004年、p.135 - p.136。
  19. ^ 「鉄道省告示第530・531号」『官報』1932年12月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  20. ^ 『日本国有鉄道百年史』第9巻、636-637頁
  21. ^ 『海南島石碌鉄山開発誌』402頁
  22. ^ 『日本土木史』797-798頁
  23. ^ 『鉄道ファン』No.219

参考文献

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  • 許金生「日本の海南島占領期における鉄道開発活動について」『立命館言語文化研究』15(3) (通号 75)2004年
  • 河野司『海南島石碌鉄山開発誌』石碌鉄山開発誌刊行会、1974年
  • 石原産業株式会社社史編纂委員会編『創業三十五年を回顧して』石原産業, 1956年
  • 「中国海南島石碌鉄山開発と八所港建設の大要」

外部リンク

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