この城(砦)は、麻生氏で出城として築かれ、家臣の大庭隠岐守種景が守っていたもので、明治の終わりごろまでは山頂の平地の周辺に濠の跡が残っていた。山頂の北側には。城主大庭隠岐守種景の碑がたてられている[1]。
昭和33年から45年まで城跡のある頂上までロープウェーが通じていた[2]。
昭和37年若松博会場として利用された[3]。
- ^ 『北九州の城』増田印刷所、1969年3月1日 1969、83頁。
- ^ 『港・まつり・五平太ものがたり』あらき書店、2000年3月 2000、101頁。ISBN 4905597099。
- ^ 『若戸博』若戸博協会、1964年3月31日 1964、21、55頁。