利用者:Swanee/sandbox3
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マチュー・ガニオ(Mathieu Ganio、1984年3月16日 - ) は、フランスのバレエダンサーである。父はデニス・ガニオ[注釈 1]</ref>。 (fr:Denis Ganio、1950年4月25日 - )、母はドミニク・カルフーニ(fr:Dominique Khalfouni、1951年6月23日 - )[2][1] 。両親とも世界的に知られたバレエダンサーであり、親譲りのスター性と美貌を兼ね備えて人気が高い[2][1]。2004年にパリ・オペラ座バレエ団のエトワールに昇進し、トップスターとして活躍を続けている[2][3]。2歳下の妹のマリーヌ・ガニオ(Marine Ganio)も、同じくバレエダンサーである[1][3]。
経歴
[編集]幼少年期
[編集]1984年に、マルセイユで生まれた[2][3]。 父のデニス・ガニオ、母のドミニク・カルフーニはともにバレエダンサーで、世界的に知名度の高いダンサーであった[2][1]。 生地マルセイユは両親が所属していたマルセイユ・バレエ団の本拠地で、マチューも幼少時からバレエ団の国外公園に同行して世界中を旅していた[2]。 「初舞台」はわずか2歳のときのことで、ローラン・プティ振付の『マ・パヴロヴァ』(私のパブロヴァ) であった[3]。マチューはピエロの扮装で登場し、ドミニクの腕の中で愛らしい笑顔を見せてバレエファンから注目を集めることになった[3]。
デニスとドミニクは13年間にわたって事実上の結婚生活を送り、マチューとマリーヌが誕生した[1]。 ただし、ドミニクによると正式の結婚ではなくプロポーズさえ受けていなかったという[1]。 デニスはマチューが4歳、マリーヌ2歳のときに家族のもとを去ったため、以後はドミニクがただ1人で2人を育ててきた[1]。
幼少時のマチューは柔道を習っていて、彼自身ははじめからダンサーになろうと決めていたわけではないと発言している[3]。 バレエを始めたのは7歳のときで、国立マルセイユ・バレエ学校に入学した[注釈 2]</ref>。 [2][3][4]。1995年には学校公演でプティ振付のソロを踊り、マルセイユ・バレエ団本公演のプティ版『くるみ割り人形』にも出演した[4]。
その後、1999年、15歳でパリ・オペラ座バレエ学校第2課程に編入した[2][3][4]。
こちらの学校公演でもソロを任され、2000年には『ヨンダーリング』(ジョン・ノイマイヤー振付)を踊った[4]。
パリ・オペラ座バレエ学校の卒業公演(2001年)はピエール・ラコット振付の『コッペリア』で、マチューはその美貌とともに軽快な踊りを披露して注目された[2][3][4]。
スターの道へ
[編集]バレエ学校卒業後の2001年9月、マチューはパリ・オペラ座バレエ団に入団した[2][3][4]。 プティの『ノートルダム・ド・パリ』、『クラヴィーゴ』を始めパトリス・バール、ルドルフ・ヌレエフ、ジョン・ノイマイヤー、ジョージ・バランシンなどのさまざまな作品に出演した[4]。 オペラ座内の階級昇進試験により、入団翌年にコリフェ[注釈 3]、 2003年12月23日には試験によってスジェ[注釈 4] に昇進した[2][3][4]。
2004年5月の公演『ドン・キホーテ』で、マチューは急遽主役のバジルを踊ることになった[2][3][4][5]。 マチュー自身によると、負傷者が相次いだために当初は準主役の代役、次には主役の代役をと話が進み、わずか2週間で役を覚えて舞台に立ったという[5]。 マチューは主役として3日間踊りぬいて、重圧から解放された最終日(5月20日)にプルミエ・ダンスール[注釈 5]の地位を跳び越す形でエトワールに任命された[4][5]。
この任命はバレエファンを驚かせたがマチュー自身も驚いたといい、「すごく美しいご褒美を受け取った感じ」と回想していた[5]。 後のインタビューでマチューは、「20歳の僕がその任に耐えられるとは思えなかった」とも発言している[5]。 エトワールという地位に昇りつめたことに伴う責任の大きさが若いマチューにプレッシャーを与えたが、それを救ったのはピエール・ラコットやブリジット・ルフェーヴル(当時のオペラ座芸術監督)であった[5]。 彼らは「大丈夫、自信を持って!」とマチューを励まし続け、自分自身への信頼を持たせるように導いていった[5]。
人物評
[編集]出演
[編集]DVD
[編集]- 『コッペリア』(2000年、パリ・オペラ座学校公演を収録)
- 『ラ・シルフィード』(2004年、共演オーレリー・デュポン)[2]
受賞歴
[編集]- 2005年:ブノワ賞[4]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ しばしば「ドゥニ・ガニオ」とも表記される[1]
- ^ 一部の資料では、バレエを始めたのは8歳のときと記述している[3]。
- ^ 仏:coryphée。パリ・オペラ座バレエ団の階級では、カドリーユの上、スジェの下で主にコール・ド・バレエを踊るダンサーが所属するが、作品によってはソロに抜擢されることもある。
- ^ 仏:sujet。パリ・オペラ座バレエ団の階級では、コリフェの上で主にソロを踊るダンサーが所属する。作品によっては、主役級を任されることもある。「シュジェ」と表記される場合もある。
- ^ 仏:premier danseur。パリ・オペラ座バレエ団の階級では上から2番目にあたり、エトワールの下、スジェの上でソロや主役級を踊るダンサーが所属する。女性の場合は、プルミエール・ダンスーズ(premi(e)re danseuse)と呼ぶ。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h 三浦、pp.189-190.
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『バレエ・ダンサー201』p.39-41.
- ^ a b c d e f g h i j k l m 新藤、pp.74-78.
- ^ a b c d e f g h i j k 『世界バレエフェスティバル』2009年プログラム、p.47.
- ^ a b c d e f g 大村、pp.23-24.
参考文献
[編集]- 大村真理子 『パリ・オペラ座バレエ物語 夢の舞台とマチュー・ガニオ』 阪急コミュニケーションズ、2009年。ISBN 978-4-484-09235-5
- ダンスマガジン編 『バレエ・ダンサー201』 新書館、2009年。ISBN 978-4-403-25099-6
外部リンク
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