利用者:Siyajkak/11月度月間新記事賞の投票に関する議論について
こんにちは
[編集]どうもKanbunです。いつもお世話になっています。
さてさて、例のWikipedia‐ノート:月間新記事賞/投票の件ですが、おそらくSiyajkakさんは自分の考えが正当であろうと思って、議論を自分の思うのかたちで貫徹できなかったことに不満を残していらっしゃるのではと思います(諸処のメッセージを拝見しますと)。Siyajkakさんの論理の正当性は置いておくとして――私はSiyajkakさんの論理が一点の曇りもないとは考えていませんので(それは某所で説明したと思いますが)――、私にはSiyajkakさんが話をまとめるという方向を考えていらっしゃらなかったのではないかということを申し上げたいと思います。
今回の件は一応期限を決めて早急に対処する類のもので、最善を目指して時間を稼ぐよりは次善でも期間内の迅速な対処が求められるのではないかと思います。おそらくSiyajkakさんは「自分から見てルール通りは曇りがない、完璧な論理で完璧なやり方だ。どうしてこれでやらないのか」と思っておられるのでしょうが、今回はルールに根拠がない、つまり例外事例だったわけですから、ルール自体が公平に作用するとは思われません(なぜなら、ルールの策定時に今回のような例外は考慮されていなかったからです)。なので、その裁定に際してルール通りをおこなうことは(私は別にこれに反対というわけではないんですよ)、不公平を生じさせることになるのはいずれにしろ同じなのです(あるいは程度の違いくらいはあるかもしれませんが)。
したがって、私はルール通りが公平性から見て最善だというSiyajkakさんの論理は、ルールが公平に作用した場合にのみ可能なのであって、前提からして間違っていると思います。「ルール通り」という選択肢は違う根拠から主張されるべきではないでしょうか(そのほうが手続き上容易であるとか)。新記事賞の趣旨や目的はやはり人それぞれ解釈するところがあるでしょうし、それも一方的に押しつける形はよくないな、と私は思うのです。なにせ必ずしも目的や趣旨に即して十全に、完璧なルールが用意されているわけではありませんし、ウィキペディアは今も今後も、多様な価値観を受け入れ、それらをなるべく共存させる形で発展していくでしょうから、ルールから目的・趣旨を解釈することも危険です(ルールの拡大解釈と乱用)し、あるいは目的・趣旨からルールを解釈することも他方の危険(方針の拡大解釈とルールの無効化)を生じさせるのではないでしょうか。つまりWikipedia:ルールすべてを無視しなさいはこういう行き詰まりそうなときに、そっと覗いて自分の不満を取り除く効果もあるのかなと。「ルール通り」にできないことを悔やんだりすることは全くない、あるいは必ずしも「ルール通り」にできなくてもそれはそれでありうるのだ、私はそう言いたいのです。--Kanbun 2007年12月19日 (水) 04:53 (UTC)
Wikipedia‐ノート:月間新記事賞/投票の議論の焦点
[編集]今回の議論の一番の焦点は、
- 11日23:59(JST)は有効か、公定力があるか
- 11日の投票者はまもられるべき「善意の第三者」か
に絞られます。ルールを柔軟に対応するとしたらこの2点です。
まず1.について
- (1)延長されるべき特段の理由が説明されていない。
- (2)11日がよいなら、12日、13日と誤記したらそれも公定力をもつことになる(9日だって公定力を持ちうる~初出)。
- (3)今回救済するために11日はよくて12日以降は無効とするルールを作る必然性がない。
- (4)11日を認めると、10日までなら本来、新記事賞を受賞できた記事が、受賞できなくなり、それを救済しようとすると4位を認めざるを得なくなる。
- (5)11日が誤記であることは容易に確認できる(削除依頼、統合、分割などさまざまな議論や作業で、方針文書の記述をみつけるのが慣れないと骨が折れるのに、10日23:59(JST)の記述はすぐ上で確認できる)
- この点から11日は認められないということです。
したがって「賞の選考規程の告示方法が著しく合理性を欠いているものとは認められず、選考に参加する者、運営に関与する者に対して規程が周知されていたことに疑いの余地はない。」と結論案に書いてあるとおりです。
次に2.について
- (1)編集「行為」を行なう場合は、IPであってもルールが適用される。
- (2)たとえ方針文書が見つけづらくてもアカウントを持つ利用者には当然適用され、完全には知っていなくても遵守することが求められる。
- (3)加えて、アカウントを持っている利用者は1.-(5)の作業や議論についてかなり周知していると推定され、現実にコミュニティの構成員である。したがって編集「行為」にあたっては、「善意の第三者」ではない。
- (4)新しい項目については、推薦は初版投稿後3日以内となっている。ただし、ノートを確認しないと72時間だとわからないが、削除のお知らせが来る。一方、月間新記事賞の場合、11日と書いてあっても同じページなので上をみれば10日の誤記であることは容易に確認できる。
すなわち「わからないで投票した人も気づけば直せたわけですから、自分が投票した票が無効になるリスクと責任があるのはいっしょ」ということで、「よってこの規程は選考に参加する者、運営に関与する者の両者に対して普遍的に拘束力を持ち、そこで定められていることを遵守するべきであることは論を待たない。」と結論案にあるとおりです。
このうち、1.(2)~(4)、2.(4)は(加筆部分はあるものの)Wikipedia‐ノート:月間新記事賞/投票のどこかに書いてあります。 したがって一点も曇りはなく、ルールを通常通り適用してなんら問題ありません。恐縮ですが、もう少し勉強していただきたいなというのが率直な感想です。
あなたが2007年12月16日(日)11:25 (UTC)に言ったように「直さないで放置しておいたことは、投票結果が変わるリスクと責任があるのはいっしょです。」ということを、わたしは、ととりんさんが2007年12月15日 (土) 15:19 (UTC)に「簡単な書き間違い」を「参加者全員が見逃した」という事実を2007年12月15日 (土) 17:13 (UTC)にみとめて「運営したコミュニティ側にも責任はなしとはし」ないと2007年12月16日 (日) 17:08 (UTC)に書きました。まさか、そのコミュニティに投票者が属さないと考えておられるなら上記2.(1)-(4)に書いたようにそれは誤りということです。
今回後悔しているのは、感情論を説得できず、半分は自分の身を守るために、曲げなくてもいいのにルールを捻じ曲げて、流されるしか収拾する方法がなかった、これが「不本意」「不愉快」と言った真意です。
感情論が国家単位で動いたらポピュリズムであり、独裁への道につながることは、歴史好きのあなたなら当然お分かりのことと思いますが。
>(それは某所で説明したと思いますが)
- Wikipedia‐ノート:月間新記事賞/投票のどこに書いてあるのでしょうか?議論が終了した今こそ冷静になってご自分のお書きになったものを読み返してみることをおすすめします。
---Siyajkak 2007年12月19日 (水) 17:33 (UTC)
私にはSiyajkakさんの1.2.についての解答にそれぞれ以下の解答をWikipedia‐ノート:月間新記事賞/投票で答えました。
- (1)延長されるべき特段の理由が説明されていない。
- 理由がなくてもテンプレはそれ自体で投票行動に影響を与えうる。理由があるかないかはこの際関係ない。
- (2)11日がよいなら、12日、13日と誤記したらそれも公定力をもつことになる(9日だって公定力を持ちうる~初出)。
- これはケースバイケースの問題。はっきり言ってしまえば、今回11日投票に公定力が発生したとすれば、それは今回限りのものであって、あらゆる場合に発生するわけではない。よって、考慮しなくてよい。
- (3)今回救済するために11日はよくて12日以降は無効とするルールを作る必然性がない。
- (2)への回答と同じ。あくまで今回の救済が目的であって、12日以降うんぬんはそういうケースが起こってない現状では、今回の解決を考える際に考慮する必要がない。
- (4)11日を認めると、10日までなら本来、新記事賞を受賞できた記事が、受賞できなくなり、それを救済しようとすると4位を認めざるを得なくなる。
- 11日まで実質的に投票行動が容認されていた段階で、10日時点での受賞記事とは結果が異なっている。どちらを認めるについても不公平が生じるのは同じ。
- 違う。本来のルールで10日までで決められているものが単なる誤記によって受賞できなくなるのは、明白な不公平。4位の発生の矛盾についても説明していない。それならわたしの妥協案になぜ賛成したのか?
- (5)11日が誤記であることは容易に確認できる(削除依頼、統合、分割などさまざまな議論や作業で、方針文書の記述をみつけるのが慣れないと骨が折れるのに、10日23:59(JST)の記述はすぐ上で確認できる)
- これは逆も同じ。10日に固執する人はなぜ自分でテンプレを直さなかったのか。なぜ自分で11日分を即座に無効にしてしまわなかったのか。あるいは票を付け足すなど。自分の正義を貫徹する行動を取っていないので、11日の投票行動を結果的に容認したと見てよい。
- この点から11日は認められないということです。
- 以上の点から11日の投票行動は十分成り立ちます。
次に2.について
- (1)編集「行為」を行なう場合は、IPであってもルールが適用される。
- これは異議なし。
- (2)たとえ方針文書が見つけづらくてもアカウントを持つ利用者には当然適用され、完全には知っていなくても遵守することが求められる。
- 今回の件については方針文書に十分妥当する事例なし。よって方針の例外が生じているため、それに完全に従う必要もないし、逆に今回の件に対して、ルールが公平に作用するとは言えない。
- (3)加えて、アカウントを持っている利用者は1.-(5)の作業や議論についてかなり周知していると推定され、現実にコミュニティの構成員である。したがって編集「行為」にあたっては、「善意の第三者」ではない。
- これはテンプレ作成者・10日投票支持派も含めて皆一緒。逆に言えば、テンプレの状況を確認しないで、今回は10日締め切りなのだとする方も同じ論法で行けば「善意」に基づいているとは言えない。
- (4)新しい項目については、推薦は初版投稿後3日以内となっている。ただし、ノートを確認しないと72時間だとわからないが、削除のお知らせが来る。一方、月間新記事賞の場合、11日と書いてあっても同じページなので上をみれば10日の誤記であることは容易に確認できる。
- これは今回「新しい項目」のような運営がされていないのだから、論外。それを遵守する運営が実際になされていて初めて通じる論法。逆に言えば、「新しい項目」でも72時間をこえて除去されずに残り、それが上位に選ばれた場合、テンプレに載ることも十分ありうる。
- 以上の点から、11日投票の人が「善意の第三者」とはいえないとしても、状況に際して何ら不当な行為をしていないことは明らかです。逆に言えば、今回の他の参加者の対処が不十分で正当性を欠いていたということができ、結果的に11日投票は容認されうる可能性は十分にあると結論づけることが出来ます。
以上の点から、11日投票の人が「善意の第三者」ではないので、ルールの適用を免れる合理的な理由がない。
- よって、以上2点より11日の投票行動は十分容認でき、かつSiyajkak
さんの論拠が全く今回の実情に即していないことを指摘させていただきました。ここにまとめたのでいちいちどこに書いたとは言いませんが、Wikipedia‐ノート:月間新記事賞/投票でも同様の内容は繰り返し私が述べたところです。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 03:32 (UTC)
- (1)延長されるべき特段の理由が説明されていない。
>理由がなくてもテンプレはそれ自体で投票行動に影響を与えうる。理由があるかないかはこの際関係ない。
- 違う。上を見れば容易に確認できるし、訂正もできる。また、理由が示されていないので単なる誤りであり「権利に眠るものは保護されない。」
- (2)11日がよいなら、12日、13日と誤記したらそれも公定力をもつことになる(9日だって公定力を持ちうる~初出)。
>これはケースバイケースの問題。はっきり言ってしまえば、今回11日投票に公定力が発生したとすれば、それは今回限りのものであって、あらゆる場合に発生するわけではない。よって、考慮しなくてよい。
- 違う。11日を認めたら前例をつくってしまい、不公平を残す。すでに作ってしまった。
- (3)今回救済するために11日はよくて12日以降は無効とするルールを作る必然性がない。
>(2)への回答と同じ。あくまで今回の救済が目的であって、12日以降うんぬんはそういうケースが起こってない現状では、今回の解決を考える際に考慮する必要がない。
- 違う。今回のケースが参考になるので前例として運用される。ただし、スクリプトとか錯誤を事前に処置する方策を考えれば別。そういう意見は議論が終わったあとに出された。あなたからは、そのような具体的な解決策を聞いていない。(ちなみにそのような具体的な解決策があなたから提示されていれば今後のことについては、納得できないこともなかった。しかし、そうであっても過ぎてしまった今回には適用できない。)にもかかわらず、このようなことを主張するのはいかがなものか。
- (4)11日を認めると、10日までなら本来、新記事賞を受賞できた記事が、受賞できなくなり、それを救済しようとすると4位を認めざるを得なくなる。
>11日まで実質的に投票行動が容認されていた段階で、10日時点での受賞記事とは結果が異なっている。どちらを認めるについても不公平が生じるのは同じ。
- 違う。本来のルールで10日までで決められているものが単なる誤記によって受賞できなくなるのは、明白な不公平。4位の発生の矛盾についても説明していない。それならわたしの妥協案になぜ賛成したのか?
- (5)11日が誤記であることは容易に確認できる(削除依頼、統合、分割などさまざまな議論や作業で、方針文書の記述をみつけるのが慣れないと骨が折れるのに、10日23:59(JST)の記述はすぐ上で確認できる)
>これは逆も同じ。10日に固執する人はなぜ自分でテンプレを直さなかったのか。なぜ自分で11日分を即座に無効にしてしまわなかったのか。あるいは票を付け足すなど。自分の正義を貫徹する行動を取っていないので、11日の投票行動を結果的に容認したと見てよい。
- 単なる見落としであれば11日に投票した人もおなじ。11日投票を認める必然性はない。上記の主張をみとめたら契約書に誤字があったら無効になるという主張と同じことになる。またコミュニティ全体の責任をここでだけ不問にし、個人の責任を主張するのは、本来は誤記を訂正すべきあなた自身の誤りを自分のその場の感情で認めず糊塗しているから無責任。また、1.-(1)で主張したように公定力はない。
- また、作業をおこなうにあたって、誤記が優先されてしまったら作業をする方に責任を負わせることになり、誤記であっても、自動的に10日が適用されるのであれば、誰にも責任を負わせずにすむ。更に、わたしの個人の責任については、この誤記について投票者に謝罪する提案をし(ただし、いかなくてもいいと止められたが)、また具体的な妥協案を提示したが、あなたは問題解決のために何もしていない。
>以上の点から11日の投票行動は十分成り立ちます。
- 以上のことから、11日の投票行動を認める言辞は主観的なものであり成り立ち得ない。
次に2.について
- (1)編集「行為」を行なう場合は、IPであってもルールが適用される。
- これは異議なし。
- (2)たとえ方針文書が見つけづらくてもアカウントを持つ利用者には当然適用され、完全には知っていなくても遵守することが求められる。
>今回の件については方針文書に十分妥当する事例なし。よって方針の例外が生じているため、それに完全に従う必要もないし、逆に今回の件に対して、ルールが公平に作用するとは言えない。
- 利用者が方針文書を適用する場合を述べているのであって、方針文書が適用できるケースを言っているのではない。誤解しているので反論の体をなさない。更に、法律上の明認方法について理解できていない。例えば、あまり字の細かい契約書は、法的に禁じられている。今回の誤記は容易に確認できる。もっと勉強して出直すべし。
- (3)加えて、アカウントを持っている利用者は1.-(5)の作業や議論についてかなり周知していると推定され、現実にコミュニティの構成員である。したがって編集「行為」にあたっては、「善意の第三者」ではない。
>これはテンプレ作成者・10日投票支持派も含めて皆一緒。逆に言えば、テンプレの状況を確認しないで、今回は10日締め切りなのだとする方も同じ論法で行けば「善意」に基づいているとは言えない。
- 「善意の第三者」について理解できていない。「善意の第三者」は、基本的には、wikipediaの閲覧者、利用者である場合は、他人の執筆記事の閲覧者の場合である。他人の記事にうそがあってもうそだと見抜けないと、責任が発生する(だから、医療情報とかのテンプレがある)。編集している当事者としての利用者は、ただ単に見落としているだけで「善意の第三者」ではない。これについては、コミュニティの全員に適用される。
- (4)新しい項目については、推薦は初版投稿後3日以内となっている。ただし、ノートを確認しないと72時間だとわからないが、削除のお知らせが来る。一方、月間新記事賞の場合、11日と書いてあっても同じページなので上をみれば10日の誤記であることは容易に確認できる。
>これは今回「新しい項目」のような運営がされていないのだから、論外。それを遵守する運営が実際になされていて初めて通じる論法。逆に言えば、「新しい項目」でも72時間をこえて除去されずに残り、それが上位に選ばれた場合、テンプレに載ることも十分ありうる。
- これもやはり、明認の方法とその差異をどうあつかうかがわかっていない。3日と72時間を錯誤する場合が無効になるのだから、単なる誤記の11日の投票が無効になるのも感受すべきだし、やむをえない。
>以上の点から、11日投票の人が「善意の第三者」とはいえないとしても、状況に際して何ら不当な行為をしていないことは明らかです。逆に言えば、今回の他の参加者の対処が不十分で正当性を欠いていたということができ、結果的に11日投票は容認されうる可能性は十分にあると結論づけることが出来ます。
- 以上の点から、11日投票の人が「善意の第三者」ではないので、ルールの適用を免れる合理的な理由がない。なお、不当とか公平、正当性とかは関係なく、純粋に保護されるべき「善意の第三者」になりうるかを問題にしている。この点でわたしの主張を決定的に誤解している。「ルールに固執」しているという思い込みもここから生じている。
>よって、以上2点より11日の投票行動は十分容認でき、かつSiyajkak さんの論拠が全く今回の実情に即していないことを指摘させていただきました。ここにまとめたのでいちいちどこに書いたとは言いませんが、Wikipedia‐ノート:月間新記事賞/投票でも同様の内容は繰り返し私が述べたところです。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 03:32 (UTC)
- よって、なんら合理的な反論がなされていないので11日の投票行動を認める特段の理由はない。
- 今回は正誤にもかかわらず、あなたのお考えのとおりになったのだからこれ以上感情的になって他人のノートに長文を投下するのをやめて、すなおに勉強不足を認めたらいかがですか。あなたの主張は感情の吐露であるため、A=Aなので水掛け論にしかなりません。こちらとしては、勉強不足さえ、お詫びして頂ければそれで解決するのですが。もし素直にお詫びできないのなら、さらに不毛なことになるので、わたしのがまんを無駄にせず、あなたの他の友人を大切にするために勇気をだしてほしいのですが。
---Siyajkak 2007年12月20日 (木) 09:42 (UTC)---加筆Siyajkak 2007年12月20日 (木) 10:06 (UTC)---再加筆Siyajkak 2007年12月20日 (木) 10:33 (UTC)
- >今回は正誤にもかかわらず、あなたのお考えのとおりになったのだからこれ以上感情的になって他人のノートに長文を投下するのをやめて、すなおに勉強不足を認めたらいかがですか。あなたの主張は感情の吐露であるため、A=Aなので水掛け論にしかなりません。こちらとしては、勉強不足さえ、お詫びして頂ければそれで解決するのですが。もし素直にお詫びできないのなら、さらに不毛なことになるので、わたしのがまんを無駄にせず、あなたの他の友人を大切にするために勇気をだしてほしいのですが。
- なんだかものすごい脅迫のような気がするのですが。しかし納得できない点を「納得できないまま」残しておくのは私の本分に反することですので、あえて反論させていただきたいと思います。以下はややこしくなるので私の改めての反論箇所を太字とさせていただきます。
- (1)延長されるべき特段の理由が説明されていない。
- >理由がなくてもテンプレはそれ自体で投票行動に影響を与えうる。理由があるかないかはこの際関係ない。
- 違う。上を見れば容易に確認できるし、訂正もできる。「権利に眠るものは保護されない。」
- 「権利に眠るものは保護されない。」という法諺は「認められている権利であっても行使しなければ保護されない」という意味で、ルールの上に眠っていたのは11日投票を容認した側ではないか。これは当たらない。
- 違う。上を見れば容易に確認できるし、訂正もできる。「権利に眠るものは保護されない。」
- (2)11日がよいなら、12日、13日と誤記したらそれも公定力をもつことになる(9日だって公定力を持ちうる~初出)。
- >これはケースバイケースの問題。はっきり言ってしまえば、今回11日投票に公定力が発生したとすれば、それは今回限りのものであって、あらゆる場合に発生するわけではない。よって、考慮しなくてよい。
- 違う。11日を認めたら前例をつくってしまい、不公平を残す。すでに作ってしまった。
- ウィキペディアは判例主義であったのか。今回限りという選択肢が取れない理由が明確でない。
- 違う。11日を認めたら前例をつくってしまい、不公平を残す。すでに作ってしまった。
- (3)今回救済するために11日はよくて12日以降は無効とするルールを作る必然性がない。
- >(2)への回答と同じ。あくまで今回の救済が目的であって、12日以降うんぬんはそういうケースが起こってない現状では、今回の解決を考える際に考慮する必要がない。
- 違う。今回のケースが参考になるので前例として運用される。ただし、スクリプトとか錯誤を事前に処置する方策を考えれば別。そういう意見は議論が終わったあとに出された。あなたからは、そのような具体的な解決策を聞いていない。(ちなみにそのような具体的な解決策があなたから提示されていれば今後のことについては、納得できないこともなかった。しかし、そうであっても過ぎてしまった今回には適用できない。)にもかかわらず、このようなことを主張するのはいかがなものか。
- ウィキペディアにおいて前例を覆すことは合意に基づけばそれほど困難なことは思われない。前例として運用しないことを合意とすればどうか。具体的な解決案については「ここで今いる関係者全員が運営委員なり運営制度なりを担当すればよいと思っています(ここにいる全員の回覧リストでも作っておいて、毎月1日になったら、気づいた人がリストに書かれた皆に声かけする。その程度のことで今回のような問題は回避可能だと思うのですが。そうすれば気づいた人が間違った形で作成してもすぐ修正されるでしょうし)。〔Kanbun 2007年12月15日 (土) 18:51 (UTC)〕」と述べた。
- 違う。今回のケースが参考になるので前例として運用される。ただし、スクリプトとか錯誤を事前に処置する方策を考えれば別。そういう意見は議論が終わったあとに出された。あなたからは、そのような具体的な解決策を聞いていない。(ちなみにそのような具体的な解決策があなたから提示されていれば今後のことについては、納得できないこともなかった。しかし、そうであっても過ぎてしまった今回には適用できない。)にもかかわらず、このようなことを主張するのはいかがなものか。
- (4)11日を認めると、10日までなら本来、新記事賞を受賞できた記事が、受賞できなくなり、それを救済しようとすると4位を認めざるを得なくなる。
- >11日まで実質的に投票行動が容認されていた段階で、10日時点での受賞記事とは結果が異なっている。どちらを認めるについても不公平が生じるのは同じ。
- 違う。本来のルールで10日までで決められているものが単なる誤記によって受賞できなくなるのは、明白な不公平。4位の発生の矛盾についても説明していない。それならわたしの妥協案になぜ賛成したのか?
- 4位の矛盾は今回のみ特例とすればよい。そもそも最初から私は10日案でも11日案でも「2段階」案でも妥協できる案で決めればよいと言っている。Siyajkakさんの妥協案に賛成するのは状況からして当然の結果。
- 違う。本来のルールで10日までで決められているものが単なる誤記によって受賞できなくなるのは、明白な不公平。4位の発生の矛盾についても説明していない。それならわたしの妥協案になぜ賛成したのか?
- (5)11日が誤記であることは容易に確認できる(削除依頼、統合、分割などさまざまな議論や作業で、方針文書の記述をみつけるのが慣れないと骨が折れるのに、10日23:59(JST)の記述はすぐ上で確認できる)
- >これは逆も同じ。10日に固執する人はなぜ自分でテンプレを直さなかったのか。なぜ自分で11日分を即座に無効にしてしまわなかったのか。あるいは票を付け足すなど。自分の正義を貫徹する行動を取っていないので、11日の投票行動を結果的に容認したと見てよい。
- 単なる見落としであれば11日に投票した人もおなじ。11日投票を認める必然性はない。上記の主張をみとめたら契約書に誤字があったら無効になるという主張と同じことになる。またコミュニティ全体の責任をここでだけ不問にし、個人の責任を主張するのは、本来は誤記を訂正すべきあなた自身の誤りを自分のその場の感情で認めず糊塗しているから無責任。また、1.-(1)で主張したように公定力はない。
- (1)で述べたように誤記を訂正すべき全ての利用者に責任があるのは同じ。「上記の主張をみとめたら契約書に誤字があったら無効になるという主張と同じことになる。」ということについては、そもそもこれは契約と見るのか強制力の法規と見ているのか運用上のマニュアルと見るのかで大きく異なる問題です。で、私はこれをマニュアル程度にしか考えていません。「またコミュニティ全体の責任をここでだけ不問にし、個人の責任を主張するのは、本来は誤記を訂正すべきあなた自身の誤りを自分のその場の感情で認めず糊塗しているから無責任。」も以上のことから、全く正当な批判とは思えません。
- また、作業をおこなうにあたって、誤記が優先されてしまったら作業をする方に責任を負わせることになり、誤記であっても、自動的に10日が適用されるのであれば、誰にも責任を負わせずにすむ。更に、わたしの個人の責任については、この誤記について投票者に謝罪する提案をし(ただし、いかなくてもいいと止められたが)、また具体的な妥協案を提示したが、あなたは問題解決のために何もしていない。
- 誰にも責任を負わせずに済むというが、少なくとも今回の事態に対して何らかの責任を前提に解決しなければいけない点では、いっしょ。10日だとルールの公定力が働いて責任が消滅するというのは私には理解できない。
- 単なる見落としであれば11日に投票した人もおなじ。11日投票を認める必然性はない。上記の主張をみとめたら契約書に誤字があったら無効になるという主張と同じことになる。またコミュニティ全体の責任をここでだけ不問にし、個人の責任を主張するのは、本来は誤記を訂正すべきあなた自身の誤りを自分のその場の感情で認めず糊塗しているから無責任。また、1.-(1)で主張したように公定力はない。
- (2)たとえ方針文書が見つけづらくてもアカウントを持つ利用者には当然適用され、完全には知っていなくても遵守することが求められる。
- >今回の件については方針文書に十分妥当する事例なし。よって方針の例外が生じているため、それに完全に従う必要もないし、逆に今回の件に対して、ルールが公平に作用するとは言えない。
- 利用者が方針文書を適用する場合を述べているのであって、方針文書が適用できるケースを言っているのではない。誤解しているので反論の体をなさない。更に、法律上の明認方法について理解できていない。例えば、あまり字の細かい契約書は、法的に禁じられている。今回の誤記は容易に確認できる。もっと勉強して出直すべし。
- この点についてはそもそも新記事賞の方針文書にどの程度まで規制力があるかによって違う。私は無前提に「遵守することが求められる」類のものではなく、あくまで運営上の手続きを円滑化するためのマニュアル程度のものとしか考えていない。「今回の誤記は容易に確認できる。もっと勉強して出直すべし。」についてはおっしゃる意味がわからない。
- 利用者が方針文書を適用する場合を述べているのであって、方針文書が適用できるケースを言っているのではない。誤解しているので反論の体をなさない。更に、法律上の明認方法について理解できていない。例えば、あまり字の細かい契約書は、法的に禁じられている。今回の誤記は容易に確認できる。もっと勉強して出直すべし。
- (3)加えて、アカウントを持っている利用者は1.-(5)の作業や議論についてかなり周知していると推定され、現実にコミュニティの構成員である。したがって編集「行為」にあたっては、「善意の第三者」ではない。
- >これはテンプレ作成者・10日投票支持派も含めて皆一緒。逆に言えば、テンプレの状況を確認しないで、今回は10日締め切りなのだとする方も同じ論法で行けば「善意」に基づいているとは言えない。
- 「善意の第三者」について理解できていない。「善意の第三者」は、基本的には、wikipediaの閲覧者、利用者である場合は、他人の記事の閲覧者の場合である。他人の記事にうそがあってもうそだと見抜けないと、責任が発生する。編集している当事者としての利用者は、ただ単に見落としているだけで「善意の第三者」ではない。これについては、コミュニティの全員に適用される。
- 11日投票者が「善意の第三者」でないことは、参加者全員の責任を何ら和らげるものでもないですし、10日締め切り案を格段支持するものとは思えません。
- 「善意の第三者」について理解できていない。「善意の第三者」は、基本的には、wikipediaの閲覧者、利用者である場合は、他人の記事の閲覧者の場合である。他人の記事にうそがあってもうそだと見抜けないと、責任が発生する。編集している当事者としての利用者は、ただ単に見落としているだけで「善意の第三者」ではない。これについては、コミュニティの全員に適用される。
- (4)新しい項目については、推薦は初版投稿後3日以内となっている。ただし、ノートを確認しないと72時間だとわからないが、削除のお知らせが来る。一方、月間新記事賞の場合、11日と書いてあっても同じページなので上をみれば10日の誤記であることは容易に確認できる。
- >これは今回「新しい項目」のような運営がされていないのだから、論外。それを遵守する運営が実際になされていて初めて通じる論法。逆に言えば、「新しい項目」でも72時間をこえて除去されずに残り、それが上位に選ばれた場合、テンプレに載ることも十分ありうる。
- これもやはり、明認の方法とその差異をどうあつかうかがわかっていない。3日と72時間を錯誤する場合が、除外されるのだから、単なる誤記の11日の投票が無効になるのも感受すべきだし、やむをえない。
- そもそも投票の方針はそれほど明示され、周知されていたのか。テンプレ作成も含めて今回のような事態が発生したことは、前提となる運営の裏付けがない以上、明認の方法を問題にするならむしろそこが問題だ。「3日と72時間を錯誤する場合が、除外されるのだから、単なる誤記の11日の投票が無効になるのも感受すべきだし、やむをえない。」というのは違う投票の運営を挙げて、実態の異なる新記事賞に当てはめようとしている点で現実に即していない。
- これもやはり、明認の方法とその差異をどうあつかうかがわかっていない。3日と72時間を錯誤する場合が、除外されるのだから、単なる誤記の11日の投票が無効になるのも感受すべきだし、やむをえない。
- >以上の点から、11日投票の人が「善意の第三者」とはいえないとしても、状況に際して何ら不当な行為をしていないことは明らかです。逆に言えば、今回の他の参加者の対処が不十分で正当性を欠いていたということができ、結果的に11日投票は容認されうる可能性は十分にあると結論づけることが出来ます。
- 以上の点から、11日投票の人が「善意の第三者」ではないので、ルールの適用を免れる合理的な理由がない。
- 以上の点から11日投票の人が「善意の第三者」であろうとなかろうと、ルールの適用は合意によって十分斟酌しうる。
- 以上の点から、11日投票の人が「善意の第三者」ではないので、ルールの適用を免れる合理的な理由がない。
- >よって、以上2点より11日の投票行動は十分容認でき、かつSiyajkak さんの論拠が全く今回の実情に即していないことを指摘させていただきました。ここにまとめたのでいちいちどこに書いたとは言いませんが、Wikipedia‐ノート:月間新記事賞/投票でも同様の内容は繰り返し私が述べたところです。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 03:32 (UTC)
- よって、なんら合理的な反論がなされていないので11日の投票行動を認める特段の理由はない。
- よって、新記事賞の方針文書のルールが合意を超えて適用されるべきという理由はないので、合意があれば十分11日の投票行動は認められうる。
- よって、なんら合理的な反論がなされていないので11日の投票行動を認める特段の理由はない。
- 以上返答いたします。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 11:56 (UTC)
siyajkakはルールに固執していたか?
[編集]あなたには、「もう少し人の意見を真摯に聞き、理解を示してくださる方思っておりました。」ということばを下記のレスとともにそっくりお返しします。
- >これは私から見ると、Siyajkakさんの「ルール通り」案にそのような印象を持っていました。
- >自説に固執している
と某所に書いてあるようですが、事実ではありません。わたしは、当初は、早急な議論の収拾をはかるため、ルールの話はしませんでした。
「今回は無効のほうがいいかもしれません。というのは、11日に菌輪に2票はいったことによって本来10日までなら新記事賞になったアメリカ合衆国の独立が受賞できなくなることになってしまうからです。Siyajkak 2007年12月11日 (火) 16:32 (UTC)」
「いや微妙にはならないですよ。というのは、11日まで有効とすると菌輪が3位になり、「アメリカ合衆国の独立」と「封建領主」が両方とも次点となり、いずれにしても「封建領主」が次点であるのは変わらないのですから。Siyajkak 2007年12月11日 (火) 23:01 (UTC)」と発言し、
- そこへ
ろう(Law soma) D Cさんが、11日に公定力があると12月12日 (水) 05:06 (UTC)にいいだしました。それを説得する努力をしつつ、
「議論の一日も早い収束を願っています。Siyajkak 2007年12月13日 (木) 03:36 (UTC)」
2007年12月15日 (土) 09:55 (UTC)には、「せっかく記事や画像を投稿した方を待たせてしまいたくないというのが願いです。」と発言しています。
- また、
- 本来ならすんなり受賞しているはずの「アメリカ合衆国の独立」を普通に受賞させるために、妥協案として「2段階で認定」案を認めざるを得ないかなと考えていましたが、、Ariesmarineさんのように「票を投じなかった」という投票行動の保護ということまで考えると・・・(中略)・・・そのために11日と表示されていれば有効で、12日以降はだめなどというルールをつくるとすると本末転倒だということです。一方ルールがなければなあなあでそのたびに受賞の基準が揺れ動くことになってめちゃめちゃです。そう考えれば自ずから結論が見えてくると思うのですが…
と2007年12月14日 (金) 09:08 (UTC)と書いて呼びかけたのですがなんら返事がありませんでした。
12月15日 (土) 17:50 (UTC)まで11日有効論者から返事がなく、16日(日)04:08 (UTC)まで歩み寄りの提案は見られませんでした。この間ほぼ2日間の遅れがでています。Tantalさんが明確にわたしを支持する意見を2007年12月15日 (土) 10:29 (UTC)に出しているので、もし自分が遅らせているとしたら、この時点で誠意をもって返事を待たず、11日無効でさっさと作業をすればよかったという点のみです。この点を非常に後悔しています。
- 12月15日 (土) 17:50 (UTC)まで11日有効論者から返事がなく、16日(日)04:08 (UTC)まで歩み寄りの提案は見られませんでした。この間ほぼ2日間の遅れがでています。Tantalさんが明確にわたしを支持する意見を2007年12月15日 (土) 10:29 (UTC)に出しているので、もし自分が遅らせているとしたら、この時点で誠意をもって返事を待たず、11日無効で半ば無断でさっさと作業し、事後報告をすればよかったという点のみです。
- ただ、それでは、あなたがおさまらないでしょうから、「足踏み」などといわれる理由はありません。むしろ過去のレスを熟読せず、「議論に途中から割り込んで好き放題言っている」態度で「私はやはり言い過ぎた感がありますので、皆様に思いを残しつつ、ここは身を引いて事態を見守る方が自分の分に適っているのだと思いました。では、失礼します。」といいながら長文の投下を繰り返した行為はどう説明するのでしょうか。
真摯に人の意見を聞き、理解を示せないのは誰か
[編集]- それから、あなたは他人に対して「自説に固執する」と批判しますが、Ariesmarineさんもご指摘になっていますが、問題の解決に具体的な努力をしていません。議論が始まったのは、12月11日 (火) 01:05 (UTC)で、あなたの初投稿は、2007年12月15日 (土) 17:50 (UTC)です。しかも「議論に途中から割り込んで好き放題言っている」と自らおっしゃっているように、また、Ariesmarineさんも疑念を示しているように、過去のレスを読んでいないで発言していることを暗に指摘されて、正直になれないのは非常に首を傾げます。
そのような方が「もう少し人の意見を真摯に聞き、理解を示してくださる方思っておりました。」「結果に対して責任を貫徹している態度とは思えません。」などという発言がなぜできるのでしょうか。
- わたしは、妥協案をだしましたし、少なくともコンセンサス形成のためあの場では「こらえ」通しました。あなたに対する質問も
- >Siyajkakさんが具体案を持っているなら、・・・(中略)・・・それじゃあどうするの?ってなってしまいます。
という部分で議論の進行に関する部分のみです。
- それから
- >説明責任から私へのメッセージに答えるべきと考え、
- といいますが私が回答を求めたとしたら
- >Siyajkakさんが具体案を持っているなら、
- >それじゃあどうするの?ってなってしまいます。
- の引用で始まる節の部分のみであってそれ以外の回答を求めた覚えはありません。
- 「私はやはり言い過ぎた感がありますので、皆様に思いを残しつつ、ここは身を引いて事態を見守る方が自分の分に適っているのだと思いました。では、失礼します。--Kanbun 2007年12月16日 (日) 14:29 (UTC)」と発言しているのに、わたしが回答を求めてもいない部分について説明責任があるのでしょうか。
---Siyajkak 2007年12月20日 (木) 12:01 (UTC)
誠意ある対応がなされない場合は一切返答いたしません。非常に残念です。
- 私にも批判されるべき点は当然あり、その点については謝罪を述べたつもりですが。私にはSiyajkakさんの「怒り」は十分理解できるのですが。「過去のレスを読んでいないで発言していることを暗に指摘されて」云々については私の真意を誤解されておるのかなと思います(私は過去のレスを読まずに話しているつもりは毛頭ありませんし、読んでいないという指摘も違っているなと思ったのです。もちろんそういう印象を与えたことについてはあちらで謝罪した次第です)。誠意ある対応とおっしゃられますが、私も、私とて譲れぬ部分はあります。明確に違うと思う点については違うと述べるのみです。少なくともご気分を害したのであれば、その点については謝罪いたします。申し訳ありませんでした。しかし、それ以外の自分の考え方については主張を変えるつもりはありません。ただ私は合意ができれば、自説に固執することなく、誠実にそれに従う所存です。
- 私の行動が誠意あるものに見えなかったのでしたら、ひとえに私の不徳の致すところです。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 12:19 (UTC)
- 了解いたしましました。実は、KanbunさんとGreenland4さんのやりとりをみて、涙が出てしまって、Kanbunさんのノートに書き込むことができませんでした。この人とは何とか和解できないものかと思い、また議論がまとまるように怒りを抑えてきました。わたしも大人気なかったと思います。再反論の連鎖でお互い納得できないまま喧嘩別れするのか、と思うと非常に悲しく思いました。その連鎖を断ち切ったことに敬意を表します。また、結局怒りを我慢しきれなかったことをお詫びします。今後も、お互いいい記事や加筆をしていきましょう。---Siyajkak 2007年12月20日 (木) 12:32 (UTC)
- いえ、私のほうこそ申し訳ありません。私の言い方もやはりまずかったのです。というのは、私はSiyajkakさんが「もう期限がない。10日どおりでやろう。それで通す。」と言ってくだされば、むしろ他の方々の説得に回ってその案で通してしまおうと考えていたのです。私は10日も11日も「2段階」案も皆考え尽くされていると思い、優劣を付ける形ではなくて、あくまでそれらを平等に考慮した上で別の選択肢もありうるという形にしたいと思っていたのです。そうすれば皆納得できるかなと。私もついSiyajkakさんに必要以上の期待といいますか、この人はわかってくれるという安易な思いこみがあったんだと思います。Siyajkakさんのことを大変尊敬している気持ちは今も全然変わっておりません。どうか言葉の至らない私をお許しください。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 12:55 (UTC)
おー、よかった。多少なりと仲裁にならないかと文章を書きながら、次の投稿が反論だったらブロックも辞さないと眺めておりました。
のんびり風呂でも入ってゆっくり休んでくださいですー。--Ks aka 98 2007年12月20日 (木) 12:50 (UTC)