利用者:Sinhako/1990年ソビエト連邦大統領選挙
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1990年ソビエト連邦大統領選挙(1990ねんソビエトれんぽうだいとうりょうせんきょ、Президентские выборы в СССР 1990 год)は、1990年3月14日に行われた、ソビエト連邦の国家元首である大統領を選出するために行われた選挙である。
概要
[編集]ソビエト連邦では、1985年にソビエト連邦共産党書記長となったミハイル・ゴルバチョフが提唱したペレストロイカによって、経済・社会を中心とした改革が行われてきたが、やがて、ソビエト連邦共産党による一党独裁体制そのものへと範囲を広げることになる。
まず、1989年には人民代議員大会が新設され、常設の立法機関となった最高会議は共産党の影響力を脱することに成功するが、1977年に制定された憲法では、共産党による一党独裁体制を保障する第6条が残されていた。
しかし、1990年3月に召集された第3回人民代議員大会では、第6条の全面改正(による一党独裁体制の放棄と複数政党制への移行)を盛り込んだ憲法改正法案[1]が採択され、それまでの最高会議議長に代わる国家元首として新設された大統領を選出することが決まった。
なお、憲法改正法では直接選挙で大統領を選出する[2]ことになっていたが、初代大統領に限って、人民代議員大会による間接選挙で選出される[3]ことになった。
選出手続き
[編集]1990年3月14日、憲法改正法が人民代議員大会で採択され、即日発効した。それを受けて、初代大統領を選出する選挙への立候補者推薦手続きが行われた。
当時、2245人いた人民代議員が推薦した候補者は以下の3名である。
このうち、ルイシコフ首相とバカーチン内相はそれぞれの職務を離れることを嫌がり、立候補辞退を申し出たため、最終的に候補者として残ったゴルバチョフ最高会議議長への事実上の信任投票の様相を呈した。
推薦手続きの終了を受けて投票が行われ、3月15日午前に結果が発表された。結果はゴルバチョフが投票用紙を受け取って投票した2000人の人民代議員のうち、59.2%にあたる1329人の支持を獲得し、大統領に選出された[4]。
脚注
[編集]- ^ 憲法改正法の正式名称は、「ソ連邦大統領のポストの創設ならびにソ連憲法の改正および追加に関するソ連邦の法律」(Об учреждении поста Президента СССР и внесении изменений и дополнений в Конституцию (Основной Закон) СССР)
- ^ 1977 Soviet Constitution with amendments of 1989—1990. Chapter 15.1: President of the Soviet Union
- ^ Soviet Law from 14 March 1990 N 1360-I "On establishment of the Presidency of the Soviet Union and amendments and additions to the Constitution (Basic Law) of the Soviet Union". Article III
- ^ ソビエト・システムの崩壊と大統領制の誕生:1990年第3回ソ連邦人民代議員大会の展開