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近藤 義武(こんどう よしたけ、生年不詳 - 1638年)は、安土桃山、江戸時代の武将。通称、吉左衛門。松前慶広盛広公広の三代に仕えた。近藤季常の末裔。

猪熊事件に連座した花山院忠長が流謫の身となって蝦夷に送られてきた時、蠣崎作左衛門と共に饗応役を担当、忠長はその後満福寺に移ったが、義武はこれに随従して忠長の世話をつとめた。慶長19年に忠長は帰京するが、義武は藩主の命令によって供奉をつとめ忠長を京都まで見送った。この時、義武は忠長から信国の太刀と長刀を拝領している。

大坂夏の陣では藩主に随従して豊臣方と戦う。合戦中、喉の渇きを潤すために、乗馬の腹を引き裂いて血を啜ったという伝説を持つ。

参考文献

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