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利用者:Sh.pittella/sandbox

宮原 克平(みやはら かつへい、1942年‐ )は日本の建築家。埼玉県建築士事務所協会元会長

人物・経歴

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埼玉県出身。建築評論家黒沢隆の紹介で1964年まで東京大学教養学部で教鞭をとっていた生田勉の下で研究生として在籍した後、1967年日本大学理工学部経営工学科建築専攻卒業。観光企画設計社に入社。DUSIT THANI HOTEL(バンコク)、O.U.E MANNDARIN HOTEL(シンガポール)、O.U.E CAR PARK(シンガポール)、Hotel Okura Amsterdam(アムステルダム)、HOTEL OKURA GUAM(グアム)、ホテル ヴィレッジ (草津)、ホテル ヴィレッジ別館(草津)、ホテル水上館(水上市)、サンルートホテルチェーン(東京・郡山・福島・松本・四日市・鹿児島・沖縄) など国内外のホテル設計に従事しながら日本大学で非常勤講師として設計指導を行う。1975年から日本新都市開発に勤務。鳩山ニュータウン湘南ライフタウン、市原国分寺台ニュータウン、中郷ニュータウン、椿峰ニュータウンのニュータウン計画を手掛けた。鳩山ニュータウンにおける住宅開発では、木造建築の工期短縮を目的に施工過程における接合部の加工を事前に施すプレカット工法を考案・開発し、プレカット工法が日本で初めてが採用されたニュータウンとなった。その後、役員として鳩山新都市・新都市工業への出向を経て、1989年にアーバン一級建築士事務所を設立。2009年、アーバン設計を共同設立し、2006年から埼玉県建築士事務所協会会長、 日本建築士事務所協会連合会副会長を務めた。2017年より埼玉県建築士事務所協会名誉会長。[1]

プレカット工法の開発

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1960から1980年の切実な住宅ニーズに対し、大量に住宅を供給することが求められるニュータウン計画において、住宅建設の工期短縮は喫緊の課題であった。当時、住宅(木造軸組住宅)の建設で木材の墨付けや接合部にあたる継手仕口は、大工の手刻み加工による現場作業が主流であった為、大工の加工時間が工期に直接影響していた。そこで宮原は、墨付け継手仕口の加工を事前に工場で仕上げることで、大工が現場での組み立て作業に専念できるプレカット工法を考案し、住宅建設の工期短縮を図った。開発は、現在一般的に流通している集成材と異なり、製造過程において、形状が微妙に変化する当時の流通材である無垢材を対象に行われた。開発に至っては、レーザーによる墨付け位置の設定や機械加工による複雑な継手の形状を実現するにあたり、プレカット工法の開発チームを発足し、1年間、昼夜を問わず試行錯誤を重ねた結果、生産システムの開発に成功。[2]約2000棟が鳩山ニュータウンで採用された。開発に携わった協力会社の技術的特許を除き、考案自体に特許を出願しない方針とした結果、全国の木造建築にプレカット工法が採用されるようになり、現在、住宅(木造軸組住宅)におけるプレカット工法の普及は90%以上となっている。[3]

主な受賞歴

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建設大臣賞(中郷ニュータウン計画)

建設大臣賞(鳩山ニュータウン計画)

埼玉県景観賞(鳩山ニュータウン計画)

埼玉県知事表彰

国土交通大臣表彰[4]

黄綬褒章(平成30年春の褒章)[5]

脚注

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  1. ^ “【埼玉】県建築士事務所協会が定時総会”. 日本工業経済新聞社. (2016年6月27日) 
  2. ^ “春の褒章21人2団体 木造住宅の工法を開発”. 読売新聞. (2018年4月28日) 
  3. ^ 80万戸時代のプレカット”. 日刊木材新聞社. 2022年3月3日閲覧。
  4. ^ 平成28年建設事業関係功労者等国土交通大臣表彰の受賞について | 一般社団法人 日本建築士事務所協会連合会”. www.njr.or.jp. 2022年3月1日閲覧。
  5. ^ 平成30年春の褒章受章者名簿 : 日本の勲章・褒章 - 内閣府”. www8.cao.go.jp. 2022年3月1日閲覧。