利用者:Setu/アトランティス
ウィキペディア上で作業をすると、リンクが簡単に張れるので便利。個人的な文章だけど、ここに置かせてもらう。まとまったら記事にするかも。
アトランティスの正体は、メソポタミアの初期の文明:シュメール文明じゃないかと思いはじめている。
シュメールは、チグリス川とユーフラテス川が流れ込むペルシャ湾岸から始まって内陸に向かって広がって行ったのだが、紀元前20000年から紀元前3000年の間に、海面が上がったり下がったりしているので、今のペルシャ湾の中にシュメールの始まりの文化が沈んでいる可能性がある。
ワインやビールを発明したのはシュメール人で、紀元前3000年ころにワインとビールがエジプトに伝わっている。エジプトが統一された理由にメソポタミア=シュメールへの脅威があるといわれているが、紀元前3000年にはシュメールはエジプトよりもはるかに進んだ文明でした。
青銅の発明はシュメールである。僕はエジプトはシュメールの植民地として始まったのではないかしらと感じる事もある。これは調べてみようと思っている事。
ペルシャ湾にあったシュメールの初期の都市は、海の上昇とともに海の中に沈んで行ったと言う訳。海は一度上昇したあと、又下降している。この年代的な数字はこれから調べて見る予定。
ギルガメシュは、実際に存在した紀元前2600年または紀元前2700年のシュメールの都市国家:ウルクの王だった。この王の冒険の話が、発掘された[[粘土版が解読された『ギルガメシュ叙事詩』であるが、話の終りの頃に大洪水の話があって、これが旧約聖書の洪水の話とそっくりだ。
紀元前3000年頃に、シュメールからエジプトへのワインを含む文化の流入が始まったとすると、まあ、きっかけが地元に問題が起きたのでエジプトに逃げて行く人も多かったって見ても良いかも知れない。
多くの人が、エジプトはアトランティスを受け継いでいると感じているが、
- 『シュメールからエジプトへの文化の流入は歴史や証拠が見付かっている』という点と
- 『シュメールで洪水があった』という点
の二つが揃うので、とりあえず間違いないと僕は感じる。
また、シュメールとインダスの間の交流は結構早かった様子。
シュメールには鉱物資源が少なかったため、鉱物資源はインダスから輸入していた。インダスがシュメールの植民地だったという予想や、民族が不明になっているシュメール人は、インダスと同じ民族だったという予想もある。
また、シュメール人は西からやって来て、メソポタミアで文明をはじめたというのは、定説の様だ。はじめた当時は、緑にあふれ、土も肥えていて、農業の生産性の高さは現在にも負けなかった。
これで、インドの文明との繋がりも見えてくる。シュメール人は、メソポタミアが砂漠と化した後土地を捨てて行ったようだ。
ということで、『古代イラク文明 = アトランティス』ということになる。
イラクの意味は、『河の間』ということで、メソポタミアの意味と同じ。アラブ人は、メソポタミアをさして、イラクと呼んでいたらしい。
現在イラクが大きなポイントになっているのと、アトランティス文明の復活とは関係があると思われる。
あと思っている事で、関連しているのが、古代インドでバラモン教により作られた階級制度であるカーストの起源で
ではないかと言う感じ。
で、
ではないかと感じる。
これは、未確認なのでインドの青銅と鉄の歴史を見てみたい。当然、青銅や鉄の技術はグループ内の秘密とされたと思われる。それらは力なのだ。