利用者:Satoshi mikami/sandbox
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金峯山寺 | |
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所在地 | 大阪府大阪市東豊浦町 |
宗派 | 金峯山修験本宗 |
鞍馬山護国院(くらまさん ごこくいん)は、中村勝信が、天台宗総本山・比叡山延暦寺において「四度加行」等、約3年間の厳しい修行を満行し開山したお寺。 元住職は中村好覚。
略歴
[編集]- 1953年:宗教法人として認可される。
- 2010年:大阪府東大阪市東豊浦町2番7号に本堂・主たる事務所を移転。
歴史
[編集]当院は、初代開山住職・中村勝信大阿闍梨(護国院釋勝信居士)が、1930年(昭和5年)に大阪市旭区に道場を建立したことに始まる。 遡ること三年、1927年(昭和2年)当時、開山住職は、法律家として大阪北浜において弁護士事務所を運営するとともに、証券会社経営など実業家としても活動していた。 当時の世相は、1923年(大正12年)に発生した「関東大震災」の復興途中であり、その過程で、3月から始まる所謂「昭和金融恐慌」の嵐が吹き荒れていた。 そうした中で、国民の生活は疲弊し、街には「失業者」が溢れ、殺伐とした状況であった。一方、開山住職・中村勝信師の経営する、法律事務所並びに証券会社等も大きな打撃を受けていた。そこで開山住職は、衆生の救済に立ち上がるのであるが、実は、幼少期よりの霊能力者であり、その能力を活かし、以前より大阪・京都において、近親・近縁の人々の救済を行っていた開山住職の母・中村とみ(淨安院釋妙富大姉)の導きによるものであった。 まず始めに、当時母中村とみと親交のあった、京都の鞍馬寺の管長さまとご縁を頂戴し、当寺で修行の道に入行させて戴き、その後、天台宗総本山・比叡山延暦寺において「四度加行」等、約3年間の厳しい修行を満行し、「鞍馬山護国院」を開山する。 また当時、天台宗系であった「金峯山寺蔵王堂」に派遣され、今日の「金峯山修験本宗」の法主猊下とともに当寺の興隆に寄与させて戴いた。 一方、昭和5年に大阪市旭区に開山した自坊である「鞍馬山護国院」は、開山住職、霊能者・中村とみ、開山住職の妻・中村とし子(正願院釋妙俊大姉)三名の僧侶で、戦前・戦中・戦後と信者の教化、衆生済度の聖業に精進する。 そして、戦後の新憲法・宗教法人法の下、昭和28年9月16日、「鞍馬山護国院」は、正式に宗教法人として認可される。 その後、開山住職の孫である中村好覚が、総本山・金峯山寺並びに別格本山・東南院に於いて修行を重ね、「鞍馬山護国院」住職に就任する。そして、平成22年1月6日、現在の大阪府東大阪市東豊浦町2番7号に本堂・主たる事務所を移転し、活動を強化している。
ご本尊
[編集]金剛蔵王大権現 役行者神変大菩薩 不動明王 毘沙門天 護法魔王尊
交通
[編集]外部リンク
[編集]- 金峯山修験本宗 鞍馬山護国院(公式サイト)