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利用者:Sadmadjane/windrush 1

来航

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第二次世界大戦後、多くのアフロ・カリビアン英語版北アメリカおよびヨーロッパ、とりわけアメリカ合衆国カナダ、イギリス、フランスオランダに移住した。第二次大戦による労働力の喪失を補うために、イギリス政府は、かつての大英帝国およびコモンウェルスからの大規模な移民を奨励しはじめた[1]1948年イギリス国籍法英語版によって、大英帝国とその植民地に住む全ての人々にイギリス市民権およびイギリスへの入国権と定住権が付与された。多くの西インド諸島住民が、「母国」としばしば称されるイギリスでのより良い暮らしへの期待に心を寄せていた。

1948年6月22日、エンパイア・ウィンドラッシュ号英語版が、802人の移民を乗せて、ロンドンにほど近いティルベリー港英語版に到着した[2][3] 。ウィンドラッシュ号は軍隊輸送船であり、休暇中の軍人を迎えに行くため大西洋を渡ってオーストラリアからイングランドまで向かう道すがらで、ジャマイカのキングストンに入渠した[4]。このころ、ジャマイカのある新聞に、イギリスで働きたい人向けの安価な移動手段を提供する旨の広告が載った。イギリスに戻ってイギリス空軍に再入隊するために乗船した多くの元軍人がいた一方で、イングランドが実際はどのようなところなのか見るために乗船を選んだ人もいた[4]。彼らは、イングランドに到着すると、ブリクストンコールドハーバーレーン英語版から約3キロ離れたところに位置する、ロンドン南西部にあるクラッパムサウス英語版地下シェルターに一時的に収容された。彼らの中には、イギリスに数年と留まらずカリブへと戻っていった者も多かったが、大多数はイギリスに永住する道を選んだ[4]。1948年6月22日のウィンドラッシュ号の乗客の到来は、現代イギリス史における重要なランドマークとなり、西インド諸島出身者がウィンドラッシュ号のタラップを一列に進むイメージは、現代イギリスが多文化社会として歩む道のりのはじまりを象徴するようになった[4]

西インド諸島からの移民の到来は、イギリス政府の予期したものではなく、そしてまたイギリス政府は彼らを歓迎しなかった。労働・徴兵担当大臣英語版であったジョージ・アイザックス英語版は、議会で、彼らを真似て移民を試みようとする人々への援助を用意することはないと述べた。1948年6月、11人の労働党員が、クレメント・アトリー首相に対し、移民の過剰への不平を送った。同月、植民地大臣アーサー・クリーチ・ジョーンズ英語版は、内閣の覚書に、ジャマイカ政府が合法的に出国を阻止できないこと、イギリス政府もまた合法的には入国を阻止できないことを記している。しかしながら、彼は、イギリス政府はこの移民に反対していること、植民地省とジャマイカ政府は移民を阻止するため可能な限りの手段を取ることを述べている[5]

1950年6月、「イギリス植民地から本国への有色人種の移民を食い止めるために採用しうる方法」を見つけるとの付託条項英語版付きで、内閣委員会が設置された。1951年2月、委員会は、規制は必要ないとの報告書を提出した[6]。そこには、戦後イギリスは多くの仕事があり、また国鉄国民保健サービス、公共交通機関といった諸産業が、ほぼ独占的にジャマイカやバルバドスからの移民を雇用していたという事情がある[7]。アフロ・カリビアンの人々は、継続して行われたイギリス政府による移民キャンペーンに突き動かされてイギリスに渡航したが、到着した先では、白人社会による偏見と不寛容と人種差別とに耐え忍ばなければならなかった[3]。この経験は、長きにわたり、アフロ・カリビアンの人々とより広いコミュニティとの関係を特徴づけるものだった[8]。初期のアフリカン・カリビアンの移民たちは、人種を理由に民間の雇用や住宅への入居を拒否された。労働組合がアフリカン・カリビアンの労働者に手を貸さないこともしばしばで、パブ、クラブ、ダンスホール、教会などの中には、黒人の入場を禁止しているところもあった[3]。また、戦時中の爆撃によって住居が不足しており、そのことが既存の白人コミュニティとの衝突を引き起こした。衝突は1950年代に入っても続き、それどころか悪化し、ロンドン、バーミンガムノッティンガムなどの都市で暴動が発生した[1]1958年、ロンドンのノッティング・ヒルで発生した、白人の若者による襲撃により、白人コミュニティとアフロ・カリビアン住民との関係が悪化した。翌1959年、アフロ・カリビアンコミュニティによるポジティヴな応答として、ウェスト・インディアン・ガゼット英語版の編集者であるクラウディア・ジョーンズが企画した屋内カーニヴァルイベントがセント・パンクラスタウンホールで開催された。これが、後に毎年開催されることになるノッティング・ヒル・カーニヴァル英語版の前身である[9]。人種差別や不寛容の中には、オズワルド・モズレー連合運動英語版帝国忠誠同盟英語版白人防衛同盟英語版国民労働党英語版などのファシスト運動や反移民運動に焚き付けられたものもあった。この種のプロパガンダに影響され、テディ・ボーイズの集団が時として黒人を襲撃することがあった[3]。歴史家のウィンストン・ジェームズは、このように人種差別に耐えてきた経験が、所属していた階級やどの島の出であるかがバラバラだったにも関わらず、移民たちに広く「カリブ系」というアイデンティティを自認させるに至った大きな要因であっただろう、と論じている[10]

社会地理学者のセリ・ピーチ英語版は、西インド諸島出身のイギリス在住者は、1951年段階では15,000人だったが、1961年には172,000人にまで増えたと概算している[11]1962年、イギリスは1962年コモンウェルス移民法英語版を制定し、移民の入国を制限した[1]。そして1972年までに、就労ビザを持っている者か、親か祖父母がイギリスで出生した者以外は入国できないようになった。これにより、カリブ系の移民は大幅に抑制されることになった[12]

資料

[編集]
  • bbcwho Lucy Rodgers & Maryam Ahmed (2019年6月21日). “Windrush: Who exactly was on board?”. BBC news. https://www.bbc.com/news/uk-43808007 2022年1月13日閲覧。 
  • encyclopedia Childs, Peter; Storry, Mike, eds. (2002). "Afro-Caribbean communities". Encyclopedia of Contemporary British Culture. London: Routledge. pp. 11–14.
  • passengers Mike Phillips (2011年3月10日). “Windrush - the Passengers”. BBC online. https://www.bbc.co.uk/history/british/modern/windrush_01.shtml 2022年1月13日閲覧。 
  • hansen Hansen, Randall (1 June 2000). Citizenship and Immigration in Postwar Britain. Oxford University Press, USA. p. 57. ISBN 978-0-19-158301-8. https://books.google.com/books?id=qj8GEjW91oEC 
  • parliament Immigration (Hansard, 19 March 2003)” (英語). api.parliament.uk. 2022年1月13日閲覧。
  • birminghamBirmingham's Post War Black Immigrants”. Birmingham.gov.uk. 2006年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月13日閲覧。 これそんなこと説明してなくないか
  • bbcracism Cindi John (2005年12月13日). “Four decades of UK race law”. BBC. http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/4510062.stm 2022年1月13日閲覧。 
  • bbccarnival “Carnival's roots”. BBC. (2008年8月11日). https://www.bbc.co.uk/london/content/articles/2005/07/25/carnival_history_feature.shtml 2022年1月14日閲覧。 
  • JAMES, W. "migration, Racism and Identity - the Caribbean Experience in Britain." New Left Review, no. 193, 1992, pp. 15-55.
  • peach Peach, Ceri (1986). “Patterns of Afro-Caribbean Migration and Settlement in Great Britain: 1945–1981”. In Brock, Colin. The Caribbean in Europe: Aspects of the West Indian Experience in Britain, France and the Netherlands. London: Frank Cass & Co.. pp. 62–84. ISBN 978-0714632636 
  • citizenship Citizenship 1906-2003”. イギリス国立公文書館. 2022年1月14日閲覧。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c “Short History of Immigration”. BBC news. http://news.bbc.co.uk/hi/english/static/in_depth/uk/2002/race/short_history_of_immigration.stm 2022年1月11日閲覧。 
  2. ^ Lucy Rodgers & Maryam Ahmed (2019年6月21日). “Windrush: Who exactly was on board?”. BBC news. https://www.bbc.com/news/uk-43808007 2022年1月13日閲覧。 
  3. ^ a b c d Childs, Peter; Storry, Mike, eds. (2002). "Afro-Caribbean communities". Encyclopedia of Contemporary British Culture. London: Routledge. pp. 11–14.
  4. ^ a b c d Mike Phillips (2011年3月10日). “Windrush - the Passengers”. BBC online. https://www.bbc.co.uk/history/british/modern/windrush_01.shtml 2022年1月13日閲覧。 
  5. ^ Hansen, Randall (1 June 2000). Citizenship and Immigration in Postwar Britain. Oxford University Press, USA. p. 57. ISBN 978-0-19-158301-8. https://books.google.com/books?id=qj8GEjW91oEC 
  6. ^ Immigration (Hansard, 19 March 2003)” (英語). api.parliament.uk. 2022年1月13日閲覧。
  7. ^ Birmingham's Post War Black Immigrants”. Birmingham.gov.uk. 2006年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月13日閲覧。
  8. ^ Cindi John (2005年12月13日). “Four decades of UK race law”. BBC. http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/4510062.stm 2022年1月13日閲覧。 
  9. ^ “Carnival's roots”. BBC. (2008年8月11日). https://www.bbc.co.uk/london/content/articles/2005/07/25/carnival_history_feature.shtml 2022年1月14日閲覧。 
  10. ^ JAMES, W. "migration, Racism and Identity - the Caribbean Experience in Britain." New Left Review, no. 193, 1992, pp. 15-55.
  11. ^ Peach, Ceri (1986). “Patterns of Afro-Caribbean Migration and Settlement in Great Britain: 1945–1981”. In Brock, Colin. The Caribbean in Europe: Aspects of the West Indian Experience in Britain, France and the Netherlands. London: Frank Cass & Co.. pp. 62–84. ISBN 978-0714632636 
  12. ^ Citizenship 1906-2003”. イギリス国立公文書館. 2022年1月14日閲覧。