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利用者:Sabulyn/ネルソン (戦艦)控え

ネルソンは本国艦隊の旗艦となった。第二次世界大戦の開戦後、ネルソンはドイツ海軍の巡洋艦・駆逐艦部隊の出撃に備えて北海に出動し、10月30日にオークニー諸島近海で潜水艦U-56の雷撃で魚雷3本が命中したが爆発せず、損傷をまぬがれた。しかし、12月にネルソンは潜水艦U-31が敷設した機雷に触雷し、修理を行った。1940年8月に復帰したネルソンはドイツ軍のイギリス上陸(アシカ作戦)に備えてイギリス海峡に配置された。

その後、1941年4月から大西洋で船団の護衛任務に従事し、戦艦ビスマルク追撃戦の知らせが来ると、フリータウンからジブラルタルに移動してビスマルクの大西洋進出に備えた。1941年6月にはH部隊(H フォース)に配属され、地中海で作戦行動を行った。同年9月27日にネルソンはイタリタ空軍機の雷撃で損傷し、本国に戻って修理を実施した。

1942年8月にH部隊旗艦としてジブラルタルに戻り、ペデスタル作戦に参加してマルタ島への船団護衛の任に就いた。その後も地中海でトーチ作戦に参加し、1942年11月のアルジェリア上陸、1943年7月のシシリー上陸、1943年9月のサレルノ上陸などを支援し、上陸地点の沿岸へ艦砲射撃を行った。1943年9月29日にネルソンの艦上でアイゼンハワー将軍とピエトロバドリオ元師によるイタリアとの休戦の調印が行われた。

ネルソンは修理と対空火器と増設のため、1944年11月にイギリスに帰還した。改修工事の完了後、艦隊に復帰してノルマンディー上陸作戦を支援したが、1944年6月18日に機雷2個に触雷し、修理のためフィラデルフィア工廠(ペンシルバニア州)に向かった。

1945年11月に本国艦隊の旗艦に復帰し、1946年7月に練習戦艦へ類別変更、1947年に除籍。1949年2月にスクラップとして売却され、1949年3月15日に解体を開始した。