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利用者:Ryouma0501/sandbox

味生池

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味生池の大蛇 

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池上町に昔、妙観山、独鈷山、万日山に囲まれる所(池上小学校北側)に「味生池」があった。池には夫婦の大蛇が棲み、人畜に害をなし村人は困り果てていた。ある日、百貫港(小島町)で大亀が捕まったのを池上の村人は聞き、これ幸いとその大亀を買い取り大蛇を追い払おうと池に放した。すると静かだった池がたちまち荒れ、大亀と大蛇の大格闘がしばらく続き、村人が固唾を呑んで見ていると水面が静かになり、双方食いついたまま浮かび上がって死んだ。村人はこれで安心かと思っていると、残りの一匹が連れを殺された怨みで前以上に暴れ出した。困った村人はどうしようもなく庄屋と共に熊本城に行き、城主加藤清正に訴え助けを求めた。

すると清正は「カブトバナ」という毒草を多量に集めて池に入れよと命じた。村で早速総出で毒草を集めてその汁を池に流し込んだ。しばらくすると大蛇はこれは堪らんともがき、黒雲を招きこれに乗って昇天しようとするのを、清正は待ち構えていた大砲で打ち落したという。その後、大蛇が落ちて埋めた所を「おれせんだん」と言い、後に「蛇畑」(産交田崎車庫)、尻尾が落ちた所が尾崎(谷尾崎町)、尻尾の先端が落ちた所が谷尾崎(同町)、頭が落ちたのが田崎(田崎町)の地名になったという。

また、村人は大亀に感謝して池屋神社を祀り、大蛇にも供養の堂を建立したとも伝えられる。田崎の「蛇畑」では「七種類の野菜を作らねばならぬ」と言っていたが、これは大蛇の供養だったという伝承もある。

『 新熊本市史 別編第二巻 民俗文化財 』より

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