利用者:Razgrad/sandbox
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挙母劇場 | |
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情報 | |
開館 | 1882年 |
閉館 | 1994年 |
用途 | 映画館 |
所在地 | 愛知県豊田市神明町 |
位置 | 北緯35度05分09.8秒 東経137度09分36.7秒 / 北緯35.086056度 東経137.160194度座標: 北緯35度05分09.8秒 東経137度09分36.7秒 / 北緯35.086056度 東経137.160194度 |
挙母劇場(ころもげきじょう)は、かつて愛知県豊田市にあった劇場・映画館。前身は1882年(明治15年)に劇場として開館した祝栄座(しゅくえいざ)。後に宝集座(ほうしゅうざ)と改名し、1934年(昭和9年)に挙母劇場と改名した。1994年(平成6年)頃に閉館した。
歴史
[編集]1882年(明治15年)には西加茂郡挙母町最古の劇場として祝栄座が開館[1]。1913年(大正2年)には川島興業社によって、竹生通を児ノ口公園方向に入った場所に挙母町2館目の劇場として大正座が開館している。祝栄座は後に宝集座に改名され、1934年(昭和9年)に挙母劇場に改名された[1]。
挙母劇場は映画館としての設備も有しており、1938年(昭和13年)には松竹、日活、新興、東宝の4社の作品の上映権を持つ劇場となっている[1]。同年の地方紙『加茂時報』には、挙母劇場が発声装置(音響設備)を設置する予定であると報じている[1]。この頃の挙母劇場は700席から800席を有した[2][3]。休日には大変な賑わいだったという[4]。
挙母劇場や昭和劇場は設備が古く、また名古屋市の映画館などと比べて新作の公開が遅れていたことから、1951年には喜多町発展会の有志を中心として株式会社組織のアート座が開館している[5][6]。
1975年(昭和50年)には鉄筋コンクリート造3階建の建物に建て替えた[2][3]。1994年(平成6年)頃に閉館した[2][3]。挙母劇場に使われていた鬼瓦は豊田市郷土資料館の庭に展示されている[7]。
かつて豊田市中心部にあった映画館
[編集]画像 | 館名 | 所在地 | 営業年 |
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挙母劇場 | 豊田市神明町 | 1882年-1994年頃 | |
昭和劇場 | 豊田市久保町4丁目1番地 | 1913年-????年 | |
アート座 | 豊田市喜多町2丁目38 | 1951年-1991年 |
脚注
[編集]- ^ a b c d 豊田市郷土資料館『マキノ映画の時代 豊田市郷土資料館所蔵映画資料目録』豊田市教育委員会〈豊田文化財叢書33〉、1996年、pp.20-21
- ^ a b c 中日新聞本社編『写真集 愛知百年』中日新聞本社、1986年、p.190
- ^ a b c 「豊田時間旅行 瓦屋根の映画館 挙母劇場」『広報とよた』2017年4月15日号、第1419号
- ^ 神谷力(監修)『豊田いまむかし』名古屋郷土出版社、1989年、pp.72-73
- ^ 『アート座のあゆみ』p.8
- ^ 「花びらに映画屋魂 アート座元株主 桜の木など70本 豊田 スタジアム完成祝い市に 植樹された並木見学」中日新聞、2001年7月5日
- ^ 豊田市近代の産業とくらし発見館 「明治・大正・昭和・平成 まちなかの変遷」
参考文献
[編集]- 「豊田時間旅行 瓦屋根の映画館 挙母劇場」『広報とよた』2017年4月15日号、第1419号
- アート座『株式会社アート座のあゆみ』アート座、1996年
- 豊田市郷土資料館『マキノ映画の時代 豊田市郷土資料館所蔵映画資料目録』豊田市教育委員会〈豊田文化財叢書33〉、1996年
- 豊田市郷土資料館『挙母 資料にみる明治大正昭和のあゆみ』豊田市教育委員会〈豊田文化財叢書25〉、1995年
- 神谷力(監修)『写真集 豊田いまむかし』名古屋郷土出版社、1989年
- 石館徹(監修)『ふるさと豊田』郷土出版社、2011年