利用者:Raycy/sandbox
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ノートの引用関連
[編集]ある特定個人の意見メッセージが載っていたりするのがここのノートの特徴。他人の意見を編集しますか?朱入れ添削とか?_どなたかは__私の意見のバージョンを4巻戻してからのち__そのマイナス4バージョンの版へコメントを寄せた(1人の利用者による、間の4版が非表示)
[編集]記事の引用ってのは 英語版の翻訳版なのかな
You should not cite any particular author or authors for a Wikipedia article, in general. Wikipedia is collaboratively written. However, if you do need to find the list of authors of a particular article, you can check the Page history. Authors are listed only by IP address or chosen user name; you normally cannot verify and often cannot even guess at their identities.
百科事典項目 記事 たぶんそういう意味じゃないかと思うんですけれども、 大勢の手になる GFDLだかCC-BY-SA このSAだか共同編集文書だから どこかの部分を取り出して そこが Dさんが書いたものであったとしても 何重にも書き換えられて それらを経て その書かれた中には 過去のAさんの文言やら Bさんのやら Cさんのやら そうゆうのが積もり重なって たまたま取り出した版のその部分の記述者がDさんであったってだけで その記述には AさんやらBさんやらCさんやらの記述の貢献が 時には 目に見える形で あるいは 目には見えなくとも はいっていたりもするからってことではないのかなあ と 思ったりするのだが。 GFDLやらCC-BY-SA文書の性質上。
ノートでのコメントは ショートメッセージでの意見表明ならば メッセージ発話者の手で書き換えられることはあっても、
任意のNさんのメッセージを いやそれはちがう あなたの意見は こう書き換えたほうがよいよ と GFDL一般の事典項目風に 他人が手を入れて改変するっていうのは へんではないでしょうか? 朱を入れるような行為だが、。
だから ある時点でのNさん個人の考えが ある時点の意見なりが その記述には書かれてあると 解釈できると思います。なので 多人数の思い貢献が乗ってる 事典記述とはちがう。
だが ノートを 自分の意見記述を容易に訂正・修正しなおせないほかの場所に持ち出すのに 問題があるのは 確かでしょう。 いつでも訂正できる安心感もあって また 持ち出されることを想定していないからこそ 書けるって感じもあるでしょう。
あっ、ちがってた やっぱり直そうってことで 直す。 もっとこうしとこうってことで。
なので 私は 書き直しました。 しかし、安岡孝一先生は 履歴を 巻戻しました。 いわば私が自身でよりよいと思い改版した より最新版を 破棄させて 数版前の版まで戻してから 私の過去の記述の版に戻してから それに基づいて 安岡孝一さんの次のコメントを寄せていただいたわけです。「提訴」ですか
ノート:黒澤貞次郎:版間の差分 移動: 案内、 検索 2012年12月12日 (水) 07:04時点における版 (編集) Raycy (会話 | 投稿記録) (→黒沢貞次郎がニューヨークに居を移した時期) ←古い編集
2012年12月12日 (水) 22:28時点における版 (編集) (取り消し) 安岡孝一 (会話 | 投稿記録) (「お急ぎならば ご提訴ください」に対する返答) 新しい編集→ (1人の利用者による、間の4版が非表示)
それで 私は書きました なるほど、(そうきましたか、、って このカッコ内は書いてないです、)
Wikipediaでの意見表明局面
[編集]掲示板の意見表明局面において 自分の意見を 同一性保持権だか 改変権利を放棄してアップさせられてるとは 到底信じがたい。 自身の意見メッセージを 他人に編集権 与えて アップする そんな義務になっているのかな?
それともそのあたりは 倫理的に マナー的に解決することにしているのかな? 法的やら規約的ではなく、、 すべてがCC-BY-SAにのっとってアップされてるんだろうか たとえば ここ いまこれ。
ある人の意見は 主観記述であり それを客観に直す必要があるか?
主観記述を戦わせ つきあわせ 合意なり 落ち着きどころへもっていく、それは 記述者本人が記述の姿勢を変容していくことによって起こるべきである。 他人の発言を編集することによってではなく、ってそこまで待てない?
Wikiを掲示板状に使った場合に見られる編集合戦?
[編集]先に見た バージョンを巻戻しての こう言ったじゃないか ってのは、Wiki形式特有なのかな どうなのかな、まあ、書いたのは確かなんですけれども 書くに至った経緯を見ていただくと 頭が朦朧としていただろうことが 見て取れるかもしれません。今も 睡眠時間2時間程度で また書いてる、 てのもあるが。 私の「ご提訴」書き込みが たぶん朝7時ごろで その前は 例の GFDL遵守違反転載とかってんで 徹夜気味だったような、、 履歴をチェックしてみます。そのあと 一眠りして 昼過ぎに さめた頭で ようやっと 思い直してだったかどうだったか、、 履歴はどうなってたっけか、 自サイトでの書きこみもしてたっけか どうだっけかな、
ご提訴-提訴あたりの履歴
[編集]Wikipedia
転載&改変か 引用か 19日がリミット
[編集]いよいよ来ました。 ちょっとへんなことはあったなあ。
- 「Raycyさま」に呼びかけて 葉仮名raycy記事への GFDL&CC-BY-SA準拠措置要請 また スラド 三省堂WWWの 転載手続き要請
- 葉仮名raycyの記事が引用である旨の主張を Raycyが展開
- Raycyの「提訴」提案記述を拾っ(たやにみせ)ての 葉仮名raycy 提訴
- 葉仮名raycyへの申し立てメールに Raycyなる人物との記載
- で ありながら Raycyと 葉仮名raycyとを 一体となった連絡体 とは見做さず、、
いったい どのように見ているのか、、 ますます深まる なぞな 認識構造
安岡孝一先生ご指摘(2012年12月6日 (木) 08:50)に答えるための下書き
[編集]1 黒沢貞次郎がニューヨークに居を移した時期(<a href="/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E9%BB%92%E6%BE%A4%E8%B2%9E%E6%AC%A1%E9%83%8E&diff=prev&oldid=45271196" title="ノート:黒澤貞次郎">差分</a>) <a href="#.E9.BB.92.E6.B2.A2.E8.B2.9E.E6.AC.A1.E9.83.8E.E3.81.8C.E3.83.8B.E3.83.A5.E3.83.BC.E3.83.A8.E3.83.BC.E3.82.AF.E3.81.AB.E5.B1.85.E3.82.92.E7.A7.BB.E3.81.97.E3.81.9F.E6.99.82.E6.9C.9F">→</a>黒沢貞次郎がニューヨークに居を移した時期: GFDL違反の転載を警告)
はてなブログ系への 日本語版Wikipedia引用の要件と 三省堂WWWコラム引用の要件、、
安岡孝一先生が 2012年12月6日 (木) 08:50、Raycyに対して GFDL違反の転載を警告
[編集]2012年12月6日 (木) 08:50 GFDL違反の転載を警告 ( [「ノート:黒澤貞次郎」の変更履歴])
Raycyさん、あなたがリンクしている先のページの一つ[2]に、私(安岡孝一)がこのノートに書いた文章が転載されているのを見つけました。これは私がWikipediaに投稿した文章ですので、転載するのならGFDLとCC-BY-SAに、きっちりと則った形でお願いします。ただし、私が三省堂ワードワイズ・ウェブやスラッシュドットに書いた文章は、もちろんGFDLではないので、その点もちゃんとクリアした形で、転載をお願いします。--安岡孝一(会話) 2012年12月5日 (水) 23:50 (UTC) --ノート:黒澤貞次郎([2012年12月6日 (木) 08:50の版])
安岡孝一先生、貴殿より 拙記事における 掲載物の扱いが 法令や規約に違反している旨
- Wikipediaの一部記事掲載が GFDLとCC-BY-SAに違反している
- 貴殿がお書きになられた 三省堂ワードワイズ・ウェブやスラッシュドットに書いた文章 の 拙ブログへの掲載は著作権法に違反である。なぜなら 貴殿が掲載を承認した覚えがないからである。
以上 ご警告をいただいたのだと 承りました。
私は これらは 転載ではなく 引用であると認識しております。
個別にまず
Wikipediaからの引用部分に関してですが、 引用箇所は はてな記法の 自動リンク記法によっております。
表示状態は引用符
の枠内にありノート:黒澤貞次郎 - Wikipediaが付されて表示されております。
これにより
- 参照事典の言語: 日本語版Wikipediaの
- 項目タイトル「ノート:黒澤貞次郎」
が引用元であることがわかります。
自動リンクに関係のあるソースは およそ (一部タグの括弧を<>に書き換えました。)
<blockquote title="ノート:黒澤貞次郎 - Wikipedia" cite="http://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E9%BB%92%E6%BE%A4%E8%B2%9E%E6%AC%A1%E9%83%8E&oldid=44004845"> 私の日記にも書いたのですが、黒沢貞次郎がニューヨークに渡ったのは、1898年になってからのことだと思われます。ただ、これを私が書くと、どう考えても独自研究なので、「ページ」の変更は、どなたかの判断におまかせいたします。--安岡孝一(会話) 2012年9月1日 (土) 06:15 (UTC) <cite><a href="http://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E9%BB%92%E6%BE%A4%E8%B2%9E%E6%AC%A1%E9%83%8E&oldid=44004845" target="_blank">ノート:黒澤貞次郎 - Wikipedia</a></cite></blockquote>
となっており
が示されており
- 版id oldid=44004845もわかります。
リンク先をたどれば
- 版の編集日時 2012年9月1日 (土) 15:15
も知れます。
引用日時は明示されていませんが ブログ日付 2012-11-21 から その直前あたりの取得であった可能性が推定できます。
一般にも、
ー引用ー
「"タイトル"」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より。
"最終日付(更新日付)" UTC
URL: http://ja-two.iwiki.icu/
--[ウィキペディアの「無難な」正しい引用方法:なんとなしの日記:]
程度が示されていればよいであろうと思われているようです。
Wikipedia事典項目からの引用ガイドラインでは 幾つかが示されている。日本語版における一例を示せば、
MLA方式(英語版)
Wikipedia contributors. "黒澤貞次郎." Wikipedia. Wikipedia, 20 Nov. 2012. Web. 11 Dec. 2012.
--[引用 MLA方式]
この場合には 英語版にはあった the free encyclopedia が 除いてあります。
安岡孝一先生、貴殿が問題とする拙記事のうち Wikipedia日本版の 引用部に関しては
- 引用日の明示が無いこと:
- これは、ブログ記事作成日から ある程度推定できる。
- 「フリー百科事典」ないし"the free encyclopedia"の明記がないこと:
- これは、日本版のMLAテンプレートには ない。なので 無くともよいと 日本語版が考えているのかも。現在 Wikipedia日本語版に 対処法を確認中。もしくは はてな側での対応になるか。
- 版日付の明記がないこと:
- これは、版idからたどって 取得できる
が 推奨からそれている点かもしれません。ですが 許容範囲かもしれず、現在確認作業中です。
「三省堂ワードワイズ・ウェブやスラッシュドットに書いた文章」からも 引用させていただいております。引用ですので なんら断る必要は無いのだとは思いますが、
- 三省堂WWWには引用した旨 なるべく連絡を入れるようにしておりますし
- スラッシュドットにも コメントに付して ブログ側に書いたことを 随時伝えることもしております。http://slashdot.jp/comments.pl?sid=577793&cid=2274099
- また、こうして 日本語Wikipediaの利用者-会話の側からも 結果としてお伝えすることとなったわけです。利用者‐会話:安岡孝一
日本語版Wikipediaを引用する場合の表示要件。 とくに はてな向けを重点的に考える
[編集]要件は 3点 の模様。
- free encyclopedia もしくは: フリー百科事典 との表示を入れよとのこと。 単にWikipediaだけでは 不足。
はてなブログ系に引用する場合 自動リンクで ある程度いけないものか? free encyclopediaと Wikipedia側のページタイトルに入っていれば ひとつ解決する。 要件は 他に
- 引用日: これは版指定でどうなのか 英語版に議論があるようなので それを調べたい。
- url表示: これは ソース中にcite元のurlが 書かれてあるので これでいけないのかどうなのか 英語版等の議論を調べてみたい。
日本語版Wikipediaのページタイトルに free encyclopediaを加えてはどうか?
[編集]はてなの自動リンクで英語版を引用利用したとすれば、 、cite先表示に ”Wikipedia:Citing Wikipedia - Wikipedia, the free encyclopedia” と入る。 日本語版では「Wikipedia:ウィキペディアを引用する - Wikipedia」 までで、 "the free encyclopedia" あるいは 「: フリー百科事典」の表示が入らない。 http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20121210/1355149396 日本語版のページフォーマットだか何かで 日本語版Wikipediaを はてな等に web引用して自動リンクしたときに the free encyclopedia あるいは: フリー百科事典 と入るようにできないか?--Raycy (talk) 14:53, 10 December 2012 (UTC)
あるいは、 日本語版での 引用表示例では Wikipediaとあるのみで the free encyclopediaの文言が入っていないものがある。 これでもいいのか?--Raycy(会話) 2012年12月11日 (火) 03:33 (UTC)
Wikipediaを引用するテンプレートで , 日本語版では"The Free Encyclopedia"が抜けている のでは?
[編集]Wikipediaを引用するテンプレートで 英語版では Wikipedia, The Free Encyclopedia 。が、 日本語版には Wikipediaとのみ。抜かしてはいないのでしょうか? 引用規則には フリー百科事典 もしくは The Free Encyclopediaも記載するように 求めていなかったでしょうか?
ノート安岡孝一先生へのご連絡書き込み
[編集]独立した2者以上が 異なる観点から まず主張および 次いでクロスチェックされれば それで 一主張者による独自研究段階を脱して 異説レベルに格上げされるのではないでしょうか。 定説になるまでには もっと学会等評価機関内での賛同者シェアを獲得する必要がありそうに思われますが。
[編集]【連絡】ノート:黒澤貞次郎#黒沢貞次郎がニューヨークに居を移した時期に、書き込みしました。
[編集]- 黒澤貞次郎が1896年 シアトルにずっと在留していたかを確認できないものでしょうか。
- “シアトルの日本人YMCAの記録”(黒沢貞次郎の伝記 - yasuokaの日記 - スラッシュドット・ジャパン)
- シアトル地方紙での 記事の本文中での言及状況
- 私は まだ 記事目録(John R. Litz氏作成の 記事見出しおよび人名目録。Seattle Post-Intelligencer分およびSeattle (Daily) Times分。)しか見ておりません。
ノート黒沢貞次郎への下書き
[編集]- 黒沢貞次郎からのWeb引用に
とあるので、この1896年を一応当たってみたい。まず シアトルに居ない時期が想定しうるかどうか、これならば 現存資料から 何らかが 言えるかもしれない可能性がある。当時のシアトルあたりの日本人に言及した記事(John R. Litz作成の 記事見出しおよび人名目録に依拠。Seattle Post Intelligencer分およびSeattle (Daily) times分。)によれば、1896年3月[1] および1897年後半ごろ(City Directry 1898による)には、黒沢はsecretary of Japanese Y. M. C. A. の幹事か何かであったかもしれなので、もし シアトルに在留中であれば シアトルの日本人YMCAの記録にも 事あるごとに secretaryの名として出てくるかもしれない。安岡孝一先生ご確認の(二一) 1896年ニューヨルク在留中に「エリオット、ハッチ」の工場で段々と研究をつづけ(黒沢貞次郎『タイプライターの沿革』)
においては、1896年4月から1897年11月にかけての、このあたりの secretaryやKurosawaに関する言及は いかがなってますでしょうか? また シアトル地方紙での 記事の本文での言及状況では このあたり いかが推定されるでしょうか。(私は 記事本文自体を まだ確認していませんもので。)
あと、
これの時期ですが、西部西海岸のシアトルあたりからニューヨークへ25ドルの運賃は 1894年に記録されている (および その前年にも 一時的には 非常なダンピングがあった)ようなので 黒澤貞次郎がニューヨーク方面へ発った可能性のある時期としては このころから ありえたかもしれないとしてWatchしておくべきとも思われる。--Raycy(会話) 2012年11月23日 (金) 00:43 (UTC)時恰も紐育行きの鉄道が三線共に競争をはじめ,東へ東へ二十五弗という宣伝であったから此の時とばかり紐育に向った。 (「弔辞」中村幹治)