利用者:Rabit gti/work05
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批評・批判
[編集]日本社会党に関する主な批評・批判には以下がある。
- 日本共産党は日本社会党に対して、前身政党は侵略戦争に加担したため名称変更した[1]、1946年の憲法案は「主権は国家に在り」として主権在民に触れなかった[2][3]、新左翼などの「暴力集団」を「同盟軍」と位置づけた[4]、1980年の社公合意で従来の社共共闘から社公民路線に転じた[5]、などと批判している。
- 丸山眞男は著作で、日本社会党が国会で「三分の一のカべ」を超えられない理由として「保守党の大企業偏重を裏返しにした形で、社会党は大労組偏重に陥っている」と記した[6]。
- 岡田一郎は著作「日本社会党:その組織と衰亡の歴史」で、労組依存体質、左派と右派の対立、構造改革論への反発、野党陣営の多党化と中ソ対立の影響、組織論なき路線転換、などを記した[7]。
- 木下真志は著作「転換期の戦後政治と政治学:社会党の動向を中心として」で、1950年代には逆コースや再軍備への国民の広範な反対に対して社会党左派・総評左派・社会主義協会の「左派連合」の結束により躍進したが、1960年代にはこれらが争点ではなくなり社会党は衰退した、と記した[8]。
- 森裕城は著作「日本社会党の研究書 - 路線転換の政治過程」の中で、「政権獲得へ向けて社会党が戦略的な行動をとりえなかった(とらなかった)」として、その理由を分析した[9]。また依田博は当書籍の書評の中で、日本社会党は政権担当政党としての信頼を有権者から得られなかったが、自由民主党と同様に「一枚岩ではない組織構造を持った政党」としては有権者の共感を得ていた、と記した[9]。
- ^ 日本共産党創立84周年記念講演会 - 日本共産党
- ^ 日本共産党創立78周年記念講演会 - 日本共産党
- ^ 憲法制定にいたる時期の政党状況は? - 日本共産党
- ^ 中核・革マルは共産党の分派なの? - 日本共産党
- ^ 1980年の「社公合意」とは? - 日本共産党
- ^ 「丸山眞男集 第八巻」(丸山眞男、岩波書店、2003年)424p
- ^ 「日本社会党:その組織と衰亡の歴史」(岡田一郎、新時代社、2005年)
- ^ 「転換期の戦後政治と政治学:社会党の動向を中心として」(木下真志、敬文堂、2003年) 第二部
- ^ a b 書評・日本社会党の研究書 - 路線転換の政治過程」(森裕城) - 依田博