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日本大学保健体育審議会馬術部(にほんだいがくほけんたいいくしんぎかいばじゅつぶ、Nihon Univ. Equestrain Team)は、日本大学の馬術部。
概要
[編集]1924年(大正13年)、当時学生だった鈴木勝(日本大学第6代総長)他、馬術同好の学生有志の手によって創部されたとされている。[1]後藤浩二朗、岩谷一裕、細野茂之といったオリンピック日本代表選手を輩出し、2013年には学生大会での団体優勝合計回数が400を超え、この数字は学生馬術界のトップである。[2]
歴史
[編集]昭和初期は、陸軍の援助など、国内の学生馬術が活発化した時期であり、日大も高杉耕治など学生馬術の代表選手の活躍もあり、活発な活動を見せた。しかし戦争が本格化するに従い練習環境が悪化。学徒動員などで1944年には休部を余儀なくされた。 戦後は、1947年に現在の文理学部の焼跡に馬房を建設し部を再建。1952年には、東京獣医高専が日本大学との合併により日本大学農学部(現生物資源科学部)となり、その際、馬術部も統合された。[3] その後は馬術部施設を原因とした公害による馬場移転問題[4]が起こり、一時は部の存続すら危ぶまれる事態となり、1957年の東都リーグ戦勝利を最後にしばらく低迷期となる。 1965年にOBである後藤博志が監督に就任すると、1967年に10年ぶりに各大会で勝利を挙げ、その後は現在まで途切れることなく毎年勝利数を積み重ねている。 以降、卒業生の国際大会での活躍も目立ち、1988年のソウルオリンピックから2000年のシドニーオリンピックまでの4大会連続で日大馬術部OBが日本代表選手として出場した。
現在
[編集]2003年よりOBの諸岡慶が監督に就任。2011年には全日本学生馬術三大大会三種目総合で優勝し、18年ぶりに学生日本一となる。その後は連覇を重ね、2016年10月時点で5連覇中。[5]学生大会の合計勝利数は2016年3月時点で442勝。
成績
[編集]主な成績
全日本学生馬術大会三種目総合 | 19回 |
同賞典障害飛越競技 | 11回 |
同賞典馬場馬術競技 | 18回 |
同賞典総合馬術競技 | 21回 |
関東学生馬術大会三種目総合 | 27回 |
関東学生馬術女子競技大会団体総合 | 37回 |
関東学生馬術争覇戦 | 19回 |
東都学生馬術大会総合団体 | 41回 |
近年の成績は以下のとおり。
年度 | 勝利数 | 全日本学生馬術大会 | 監督 |
---|---|---|---|
2007年 | 7 | 諸岡慶 | |
2008年 | 14 | 総合馬術 | 諸岡慶 |
2009年 | 8 | 諸岡慶 | |
2010年 | 14 | 総合馬術 | 諸岡慶 |
2011年 | 15 | 三種目総合 | 諸岡慶 |
2012年 | 14 | 三種目総合、馬場馬術、総合馬術 | 諸岡慶 |
2013年 | 15 | 三種目総合、馬場馬術、総合馬術 | 諸岡慶 |
2014年 | 15 | 三種目総合、総合馬術 | 諸岡慶 |
2015年 | 17 | 三種目総合、馬場馬術 | 諸岡慶 |
歴代監督
[編集]1946年以前の監督は不明
- 高杉耕治(1947年~1956年)
- 山川光雄(1956年~1965年)
- 後藤博志(1965年~2003年)
- 諸岡慶(2003年~現在)
主な出身者
[編集]- 鈴木勝(創部者、日本大学第6代総長)
- 高杉耕治(ミュンヘンオリンピック馬術監督)
- 後藤博志(1986年アジア競技大会監督、バルセロナオリンピック・アトランタオリンピック強化担当)
- 植田元(モントリオールオリンピック日本代表)
- 鈴木瑞美子(日本人女性初のクロスカントリー出場、インターナショナルジャッジ取得者)
- 宮崎栄喜(1986年アジア競技大会・ソウルオリンピック・バルセロナオリンピック日本代表)
- 渡辺弘(ソウルオリンピック日本代表)
- 岩谷一裕(ソウルオリンピック・バルセロナオリンピック・アトランタオリンピック日本代表)
- 後藤浩二朗(1986年アジア大会総合馬術団体金メダリスト・個人銅メダリスト、バルセロナオリンピック日本代表)
- 細野茂之(2002年アジア大会総合馬術団体金メダリスト[6]、アトランタオリンピック・シドニーオリンピック日本代表、リオデジャネイロオリンピック馬術監督[7])
所在地
[編集]- 神奈川県藤沢市亀井野840 日本大学馬術部合宿所