利用者:Q8j/下書き/30
アメリカ合衆国大統領代行とは、臨時で大統領の代わりに権限を行使することができる人のこと。決められた順番があり、現職大統領が4年の任期中に職務遂行能力を失ったり、死亡、辞任、免職(アメリカ合州国下院により訴追され、その後上院により有罪判決を受ける)された場合、次期大統領が就任式までに選出されなかった場合、あるいは資格を失った場合はその順位に従って大統領の職務を遂行する。
大統領の継承は、アメリカ合衆国憲法第2条第1節第6項、修正20条、修正25条に規定されており、副大統領のみその役職名が大統領継承者として言及されている。議会は第2条の継承条項により副大統領が継承することができない場合にどの役職者が継承するか指定することができるが、今までその事態は起きていない。現行の大統領継承法は1947年に制定され、最後に改訂されたのは2006年である。継承順位は、副大統領、下院議長、上院仮議長、そして国務長官をはじめとする内閣の一員であるアメリカ合衆国連邦行政部の長の順。
大統領が死亡し、辞任し、または免職された場合、副大統領が自動的に大統領に昇格する。同様に、大統領当選者が就任前に死亡するか、就任を拒否した場合、副大統領当選者が就任式の日に大統領となる。また、副大統領は大統領が職務を遂行できなくなった際は大統領代理となるが、大統領と副大統領が共に空席となった場合、法的継承者は大統領とはならず、大統領の職務を遂行するのみである。現在までに、二人の副大統領(ジョージ・H・W・ブッシュとディック・チェイニー)が大統領代行となったが、継承順位がそれより下のものが大統領の職を遂行したことはない。
憲法の規定
[編集]有資格者
[編集]大統領代理に求められる資格は大統領と同じであり、憲法第2条第1節第5項に3つ定められている。就任時に、米国生まれの米国人であり、35歳以上であり、14年以上アメリカ合衆国に居住していることである[1]。
これらの要件を満たしていても、下記のいずれかに該当するものは、憲法上資格を失う。
- 第1条第3節第7項により、アメリカ合衆国上院は弾劾裁判を経てある個人が公職につく権利を将来にわたって剥奪することができる[2]。
- 修正14条第3節により、憲法遵守を宣誓した後にアメリカ合衆国に反乱を起こしたものは大統領になることができない。ただし、この制限は両院それぞれの2/3の賛成で解除することができる。
- 修正22条の規定により、何人も、2回を超えて大統領になることはできない(他の選出された大統領の任期中、2年以上大統領であった、または大統領の職務を遂行したものは1回)。
継承
[編集]第2条第1節第6項により、副大統領は継承順位の1番と定められている。また、同項により、議会は法律で大統領・副大統領が共に職務遂行ができない際の継承順位を定めることができる。 二つの憲法修正条項により、継承対象者が詳細に定められ、時を経て明らかになった元の条項のギャップが埋められている。
- 修正20条第3節は、次期大統領が任期前に死亡した際、次期副大統領が就任式の日に大統領になり、本来の任期満了まで大統領として職務を遂行すること、就任式の日までに次期大統領が選ばれないか大統領の資格を満たさない場合、選出されるか資格を満たすまでの間、次期副大統領が大統領としての職務を遂行する旨を定めている。また、議会は次期大統領、副大統領が共に資格を満たさない場合の大統領を決めることができる。
- 修正25条第3、4節は、大統領が一時的、あるいは永久にその職務を遂行できなくなった場合について規定している。
歴史
[編集]修正25条制定前
[編集]1841年4月4日、就任後わずか1ヶ月でウィリアム・ハリソンが死亡する。彼は在任中に死亡した初の米国大統領だった。その後、大統領権限継承の規定の曖昧さを巡って憲政の危機が続いた(第2条第1節第6項)。
ハリソンの死後間も無く、彼の内閣は会合を開き、副大統領であったジョン・タイラーが「大統領代理を務める副大統領(Vice-President acting President)」として大統領の職を引き継ぐことを決定した。しかし、タイラーはこの肩書を受け入れず、憲法は彼に無条件、無資格の大統領権限を与えたと主張し、大統領として宣誓を行い、これは大統領死亡の際の権限移行の先例となった。にもかかわらず、例えば代議士で元大統領のジョン・クィンシー・アダムズなど議会の複数のメンバーは、タイラーは一時的な大統領代理に過ぎないか、副大統領のままでいるべきと考えた。ヘンリー・クレイ議員はタイラーは副大統領であり、彼の大統領職務は単なる「摂政」であるとみなした。
タイラーは一貫して彼は大統領としての地位を持ち、大統領の全権限を使えると主張した。この1841年の先例はその後、修正25条第1節が制定される前に現職大統領が死亡した7回に渡り踏襲された。
大統領が死亡した際の継承に関する先例ができた後も、「inability(職務遂行能力欠如)」に関する疑問は解消されないままだった。Inabilityとは何か?誰がその有無を決定するのか?その場合副大統領は残りの任期に大統領になるのか、あるいは単に大統領として職務を遂行するにとどまるのか?これらが明確でないために、後の副大統領は大統領の職務遂行能力を失った時、権限を主張するのを躊躇った。
特に2回、大統領が職務を遂行できないと宣言する規定が憲法にないことで行政運営が妨げられた。
- 1881年、ジェームズ・ガーフィールドが銃撃された7月から死亡する9月までの80日間。院内総務は副大統領のチェスター・A・アーサーに大統領が職務を遂行できない間、大統領としての職務を遂行するよう求めたが、簒奪者と呼ばれることを恐れた彼は、これを拒絶した。彼は自身が繊細な立場におり、行動が監視されることを認識していたため、夏の間ほとんどニューヨークの自宅に引きこもっていた。
- 1919年10月から1921年3月、ウッドロウ・ウィルソンが脳卒中に苦しめられていた間。ほとんど盲目で、一部は麻痺していたため、彼は大統領任期の最後の17カ月をホワイトハウス内で人目に触れずに過ごした。副大統領のトーマス・R・マーシャル、内閣、国民は大統領の重症さについて数ヶ月間知らされないままだった。マーシャルは権力を熱望していると非難されるのを恐れ、ウィルソンの症状を聞くことや閣議を主催することを露骨に拒んだ。
修正25条制定後
[編集]第89回議会により提案され、その後1967年に州により批准された修正25条は職務遂行能力欠如の基準やその場合の継承についての手続きを明確化した。大統領が自主的に副大統領に権限を譲渡することを認めた第3節は二人の大統領により3回適用された(職務遂行能力欠如の宣言を自ら出すことができない/出すことを拒んだ場合について定めた第4節は施行以来一度も適用されていない)。
名前 | 政党 | 日付、時刻と理由 | ||
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ジョージ・H・W・ブッシュ | 共和党 | 1985年7月13日(11:28 - 19:22): ロナルド・レーガン大統領が大腸癌の麻酔治療を行っている間、ジョージ・H・W・ブッシュ副大統領が大統領代行を務めた。 | ||
ディック・チェイニー | 共和党 | 2002年6月29日(7:09 - 9:24): ジョージ・W・ブッシュ大統領が鎮静状態で大腸内視鏡を行っている間、ディック・チェイニー副大統領が大統領代行を務めた。 | ||
2007年7月21日(7:16 - 9:21): ジョージ・W・ブッシュ大統領が鎮静状態で大腸内視鏡を行っている間、ディック・チェイニー副大統領が大統領代行を務めた。 |
- ^ “ARTICLE II Executive Branch” (英語). the Interactive Constitution. 2020年6月14日閲覧。
- ^ “Article Ⅰ” (英語). USLegal, Inc.. 2020年6月14日閲覧。