利用者:Pooh456/sandbox原隊
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原隊(げんたい)は、大日本帝国陸軍において、陸軍現役将校を志願して陸軍士官学校に入校した者が、士官候補生および見習士官として隊附勤務を行い、陸軍少尉に任官した際に所属していた部隊のこと。
概説
[編集]帝国陸軍において、陸軍現役将校となるには陸軍士官学校を卒業することが必須であった。
大正9年8月に、陸軍中央幼年学校が陸軍士官学校予科に改組され、陸軍幼年学校または中学校を経て、陸士予科を卒業して士官候補生となり、陸軍士官学校本科を経て陸軍現役将校となるシステムが固まった。
大正10年に陸士予科に入校した陸士37期以降、陸軍現役将校を志望する者が陸軍少尉に任官するまでの流れは、下記のとおりであった。1937年(昭和12年)に「陸軍士官学校予科」が「陸軍予科士官学校」に、「陸軍士官学校本科」が「陸軍士官学校」に改称され、1938年(昭和13年)には陸軍航空士官学校が分離している。また、修業期間には変遷がある。
- 「(A) 陸軍幼年学校(東京・仙台・名古屋・大阪・広島・熊本)の卒業生(無試験で陸士予科生徒に採用される)」と「(B) 陸軍部外者で、陸軍現役将校を志願する者(中学4年修了程度、16歳以上20歳未満。徴募試験に合格して陸士予科生徒に採用される)」が[注釈 1]、毎年4月に陸軍士官学校予科に入校する。一般に「陸軍士官学校を受験する」という場合は、(B)の区分で陸軍士官学校予科を受験することを指した。
- 陸士予科の課程は2年間。卒業の100日前に、兵科(歩兵科・騎兵科・砲兵科・工兵科・輜重兵科・航空兵科)と、隊附勤務をする部隊(歩兵連隊、工兵大隊[注釈 2]など)が決まる。この際に隊附勤務をする部隊が原隊であり、陸軍将校としての「本籍地」となる[3]。
- 4月に陸士予科を卒業すると士官候補生となり[注釈 3]、6か月間の隊附勤務を経て、陸士本科に入校。
- 陸士本科の課程は1年10か月。7月に卒業し、見習士官として隊附勤務。
- 見習士官として隊付勤務を3か月行った時点で、部隊の将校団の詮衡を経て、陸軍少尉に任官(1940年(昭和15年)に兵科が廃止されるまでは、「陸軍歩兵少尉」「陸軍輜重兵少尉」などと兵科が入る)。
- 部隊将兵全員の前で、部隊長が「命課布達式」を執行し、新少尉は部隊の将校団の一員となる。
「見習士官としての隊付勤務」と「陸軍少尉への任官」は原隊で行うのが原則であった。
原隊の重要性
[編集]原隊の消滅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 「(C) 陸軍現役下士官で、陸軍現役将校を志願する者(26歳未満)」と「(D) 陸軍現役兵・操縦候補生・幹部候補生(甲種・乙種)で、陸軍現役将校を志願する者(25歳未満)」も、陸士予科生徒を志願して採用されれば、(A)の陸幼組・(B)の中学組と以後は対等に扱われたが、(C)と(D)の数はごく限られていた[1]。
- ^ 昭和10年度まで、歩兵科・騎兵科・砲兵科の連隊に相当するのが、工兵科と輜重兵科の大隊であった[2]。
- ^ 『陸軍補充令中ヲ改正ス』(大正12年3月21日)に「陸軍補充令(明治44年10月26日勅令第270号、改正 大正3年第206号、大正4年第197号、大正6年第97号)」が添付されており、「第4条 士官候補生は陸軍士官学校予科を卒業したる者を以て之に充つ」とある[4]
出典
[編集]- ^ 藤井 2015, pp. 75–86, 第二章 幼年学校という存在-兵科将校の補充源
- ^ 藤井 2015, pp. 129–135, 第II部 重視されるべき指揮官の人事-軍の命運を握る各級部隊長人事-連隊長人事のかたより
- ^ 笹 2015, 位置No. 205/262, 第一章 若き戦術家-歩兵第三十二聯隊に配属
- ^ “陸軍補充令中ヲ改正ス (レファレンスコードA13100623600)”. アジア歴史資料センター (1923年2月27日). 2018年6月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 笹幸恵『沖縄戦 二十四歳の大隊長 陸軍大尉 伊藤孝一の戦い(Amazon Kindle版 Version1.0)』学研パブリッシング、2015年。
- 秦郁彦 編著『日本陸海軍総合事典』(第2)東京大学出版会、2005年。
- 藤井非三四『日本軍の敗因』学研パブリッシング、2012年。
- 藤井非三四『陸軍人事』光人社(光人社NF文庫)、2013年。
- 藤井非三四『昭和の陸軍人事』光人社(光人社NF文庫)、2015年。
- 藤井非三四『陸軍派閥』潮書房光人新社(光人社NF文庫)、2018年。
- 山口宗之『陸軍と海軍-陸海軍将校史の研究』(増補)清文堂、2005年。