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利用者:Pixan/提言:「余談」を書いてはならない

ある程度熟成された記事や、多角的に捕らえられた記事を読むと、「余談だが、・・・」という記述に遭遇する。余談とは、簡単に言えば「どうでもいい話、理解の助けになる見込みのない話」である。ウィキペディアは知識の集約を目指すプロジェクトなので、どうでもいいような話を書くのは、ウィキペディアを作っていく作業としては明らかな違反である。さらに、他人にどうでもいいような話を読ませるのは失礼な行為である。

しかしいくつかの余談を読んでみると、記事の流れに適合していたり、理解を助けるものがある。そのような良いものを書いておきながら、その部分に対して「余談」という低劣な扱いを行うのは矛盾であり、自分でやっている行為を自分で否定していることといえる。

「余談だが、・・・」で文を始めれば、前後の整合性をとらずに書けるという一時的なメリットが発生する。そのメリットのみ自分で受けて、記事の質を下げることは不公正な行為ではなかろうか。

どんな情報でも、じっくりと調べて考えていけば「余談」のレベルにとどまることはないだろう。考える作業は面倒かもしれないし、参照できる資源の量や書き手の知識や文章構成能力などで限界にぶち当たる可能性はある。よって、いくら考えても余談以上はならないと思ったら、書かないようにすべきである。これは簡単で、誰でも確実にできることである。--pixan 2006年7月8日 (土) 14:23 (UTC)