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きねや やきち

杵屋彌吉(8代目)
杵屋彌吉 8代目
生誕 1939年8月1日
日本の旗 日本・東京都台東区浅草
死没 2022年5月24日(82歳没)[1]
日本の旗 日本・東京都台東区浅草
国籍 日本の旗 日本
職業 長唄三味線杵屋彌吉派家元
配偶者 丹羽淳子(1965年-2022年)
子供 九代目 杵屋彌吉
受賞 1991年文化庁芸術祭芸術祭賞受賞[2]
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杵屋彌吉(8代目)

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八代目 杵屋彌吉(はちだいめ きねや やきち、1939年(昭和14年〉8月1日-2022年〈令和4年〉5月24日〉は、日本の長唄三味線方家元。 本名は、鈴木勧容(すずき かんよう)。1984年 東京藝術大学音楽学部邦楽科・邦楽専攻課程修了。

来歴・人物

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小学四年生より三味線を習い始め、中学三年生より初代彌一郎(のちの七代目彌吉)に師事し、彌二郎を名乗った。東京藝術大学音楽部邦楽科では、山田抄太郎、菊岡裕晃に師事。1993年(平成5年)1月、二代目彌一郎を襲名、1996年(平成8年)国立劇場小劇場にて同襲名披露。1997年(平成9年)12月18日、八代目家元杵屋彌吉を襲名、2000年(平成12年)3月26日、国立劇場小劇場にて同襲名を披露した。

私生活においては、縁あって和歌山富十郎の門弟、1965年(昭和40年)3月、丹羽淳子と結婚、二人の男子をもうけ、深く興味を示した次男が長唄唄方として、九代目彌吉を継承した。生涯、家庭は円満であった。

浅草を、こよなく愛したため、浅草長唄との関係の研究に熱心であった。
1978年から稀音家六多郎につき、稀曲の習得に力を尽くし、1986年になって長唄唄方の稀音家義丸と長唄の古典稀曲の研究発表のための長唄双樹会を結成。1991年10月16日、同会の証券会館ホールで行った演奏会で文化庁芸術界に参加し、演奏した四代目杵屋六三郎作曲の「田舎女」と「十二段」によって、芸術賞を受賞した。語り物を得意とし、古曲・稀曲の研究と習得に熱心であった。長岡協会理事、東洋音楽学会会員、長唄研究会会員等であり、彌門会、金鈴会、彌芽の会を主催した。


受賞

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1961年 東京藝術大学在学中に東京新聞社主催の作曲コンクールに入賞。
1962年東京藝術大学 安宅賞を受賞。
1991年 稀音家義丸と共に1991年文化庁芸術祭芸術祭賞受賞。

脚注

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主な作曲作品[3]
曲名 作詞者 作調者 発表・初演時 場所・主催・その他
一音ずつ上るための三楽章 無し 無し 1961年 白木屋ホール・東京新聞作曲コンクール入賞
女の朝(受胎告知) 大西信行 無し 1970年 ガスホール・東音創作会
おもかげ 大越彩豊子 無し 1973年6月 日刊ホール・東音創作会
富士太鼓 長田午狂 望月長左久 1974年7月 埼玉会館・若柳晴代リサイタル
金龍の舞大薩摩 金子清司 無し 1978年10月 浅草公会堂・浅草観光連盟の依頼
恋幽霊 長田午狂 梅屋福太郎 1986年4月 国立劇場・若柳雅彦リサイタル
平城賦 長田午狂 堅田喜三久 1993年 歌舞伎座・若柳鵬翁名披露目会
絆(きづな) 伊織ひかる 堅田喜三久 1993年 町田市民会館・多摩市市政百年の行事の一環
千草の花車 熊沢堅太郎 藤舎呂雪 1996年 国立劇場・藤蔭文香リサイタル
華厳 大越靖雄・西川泰右 望月太喜雄 1997年12月 青森ホテル・中村虎治襲名披露パーティー
七面龍女 田中勝 藤舎呂雪 1999年7月 国立劇場・藤蔭静樹の依頼
朱鷺の栄 長田午狂 仙波宏祐 1999年9月 国立劇場・藤間紫寿和東京新聞舞踊会
  1. ^ 東京新聞 2022年5月24日記事https://www.tokyo-np.co.jp/article/179194
  2. ^ 文化庁平成3年度(第46回)芸術祭賞一覧https://www.bunka.go.jp/seisaku/geijutsubunka/jutenshien/geijutsusai/pdf/s61_h7.pdf
  3. ^ 植田隆之助『杵屋彌吉歴代について』八代目 杵屋彌吉、2000年3月26日、23頁。