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利用者:Peperoncha/sandbox/1

八島 光、新井光子、岩松智江八島 光


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本名 笹子智江
誕生日 1908年10月11日
出生地 東京
死没年 1988年12月7日
死没地 アメリカ合州国ロサンゼルス
国籍 日本の旗 日本アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
配偶者 八島太郎(岩松淳)
信(まこと、俳優・マコ岩松)、モモ(女優・ドキュメンタリー映画監督)
運動・動向 プロレタリア美術家運動
流派 プロレタリア美術家同盟
芸術分野 画家、絵本作家、市民運動家
教育 文化学院美術部
出身校 神戸女学院
代表作 油彩画≪胴あげ≫(1930年)
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八島光(やしま みつ. 笹子智江として出生。新井光子、岩松智江。1908年10月11日ー1988年12月7日)は、日本のプロレタリア美術運動に参加し、ファシズム政権の弾圧から逃れるために渡米、その後、生涯アメリカで暮らした女性画家・市民運動家である。

経歴

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1908年、八島光はクリスチャン一家の二女として東京に生まれ、父の勤務先だった瀬戸内海の因島と神戸で何不自由なく育った。第一次世界大戦後の不況下で、造船技師だった父の謹が労働者を大量首切りするのを目の当たりに見て、やがて社会や父親にも疑問を抱くようになる[1]。1926年神戸女学院を卒業後、東京の文化学院美術部で与謝野晶子や石井柏亭に学び、社会主義と出会った。1929年春、文化学院を卒業し、プロレタリア美術家同盟に参加し、闘う農民や労働者の姿を精力的に描いた。

1930年秋から1931年にかけて八島光は、全国農民組合東京府連合会(全農東京府連)の書記として葛飾区青戸地区で農民組合活動に従事し、児童絵画を積極的に取り入れたピオニール運動を指導した。そのかたわら、油彩画やポスターなどを積極的に描いて、プロレタリア美術展に参加する。第二回目の展覧会(1929年)から第五回展まで毎回参加した(4回で12点)。    1933年、プロレタリア作家の小林多喜二が虐殺され、通夜に参加した八島光は、数か月後、夫の八島太郎(岩松淳)とともに検挙される。排泄の自由もない劣悪な環境の獄中のなかで、妊娠中だった彼女は、やむなく転向の手記を書いて出獄し、信(のちの俳優・マコ岩松)を出産した。だが、釈放後も特高の監視は続き、1939年春、夫とともにアメリカに逃れた。渡米後、二人は八島光・八島太郎の名前を名乗り、太郎は絵本作家として成功した。

1968年、長年夫のDVを我慢してきた八島光は、娘モモが成人したのを区切りに離婚し、ロサンゼルスからサンフランシスコへ引っ越す。60歳を過ぎてからの決断と新たな人生である。ベトナム反戦運動や学生運動などの新しい息吹に触れて、彼女は再び社会運動に積極的に参加し始めた。絵を教えて生計を立てつつ、ベトナム反戦運動に参加し、日系コミュニティのためのグループ「気持会」で一世と三世をつなぐ懸け橋となった。1988年、左肺癌のため逝去。反戦を貫き通した一生だった。

代表作

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油彩画≪胴あげ≫(1930年)は、第3回プロレタリア美術展覧会に出品した八島(新井光子名)の代表作である。画面には、女性労働者たちが工場で自分たちを監視する男性幹部を胴上げし、上からも女たちが彼を棒で叩く場面を描かれている。女性労働者たちの心意気がユーモラスに伝わって来る。この女たちの戦いは決して夢想ではなく、1930年に東京の東洋モスリン工場で大量解雇に反対して起こった実際の労働争議を描いたものである。だが、世界恐慌下の合理化反対闘争を代表する東洋モスリン闘争は敗北し、八島の参加したプロレタリア文化運動も激しい弾圧を受けて、壊滅状態に陥った。 渡米後、八島光は日系アメリカ人のコミュニティ運動にも参加したが、アジア系アメリカ人たちが発行する月刊紙『The New Dawn 新しい夜明け』(1974年11月号)には、八島光の特集が企画され、同号の表紙に≪胴あげ≫が掲載された。

出典

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  1. ^ 八島光「父を憶ふ」『母の友 8月号』福音館書店、1974年8月1日、p.59頁。 


参考文献

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日本語文献

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  1. 宇佐美承『さよなら日本ーー絵本作家八島太郎と光子の亡命』晶文社、1981年。
  2. 北原恵「新井光子(八島光)研究(1)ーー昭和初期、プロレタリア美術運動に参加した女性画家」『待兼山論叢』第54号日本学篇、2020年12月、pp.1-30.
  3. 野本一平『八島太郎ーー日米のはざまに生きた画家』創風社、2008年。巻末に八島太郎の年譜所収。

英語文献

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  1. Valerie Matsumoto, ""A Living Artist with Opens Eyes": the Transnational Journey of Mitsu Yashima," ADVA (Asian Diasporic Visual Cultures and the Americas, (6) 2020.