利用者:Pararinpooh/sysload
サーバー負荷に関してガイドがあるか探してみたのですが、見つかりませんでした。前部見たわけではないですが。
一般には、ユーザビリティとシステム負荷はトレードオフです。相反(あいはん)します。ユーザビリティをよくすればシステム負荷は増大します。
(以下、自分としては論理的に意見を展開してみるつもりです。強い口調になっているように思われたらごめんなさい。shikai shawさんご本人への言い方ではなく、自分では一般論を展開しようとおもっていますのでちょっと断定的に書きます。)
Wikipedia以外のシステムでも往々にしてサーバー負荷を理由に作業への制約言い訳にすることはあります。しかしながら、それは通常一時的なものであり、本来的にはもしサーバーに負荷をかけるような機能があるのであれば、緊急的にでも、もしくは恒常的に、システム管理者がその機能自体を止(と)めるのが仕事だと思います。システム管理上の問題であるのにそれをユーザーの問題とするのはシステム実装上の問題を回避していることになると思います。一方、その機能が実装されているということから考えれば、その必要性があるからです。必要な機能を装備していながらその機能をつかわせたくないのであれば機能をオフにするべきです。オフにできない理由があるのであれば、必要な部分だけに修正するのがシステム屋の仕事となります。
一方、ではシステム負荷というシステム内のすべての動作が影響する事柄に対して、ある機能をやめるべきとガイドするには、システム内の個々の機能のどれがどのくらい負荷をかけているのかという指標が提示されていなければ論理的に説得力がありません。個人的には、カタログの機能のほうがリダイレクト以上に負荷がかかっているのではないかなと感じることがあります。しかしそれらはユーザーとしての感覚にすぎないので、システム負荷という観点では、システム管理者から情報が提示されない限りわかりません。利用者の動作がシステムにどのくらいの影響度をあたえているのかはわからないですから。
一般に、ある機能がシステム負荷を増大させるものだとすれば、その機能をつかわないか、その機能の性能を上げて軽負荷にすることのどちらかです。その機能をつかうと決断した場合、その機能についてどのくらいの制約をかけるかは、まずその機能自体に装備される機能だと思います。つまり、たとえば、管理者しか使えない機能にするとかです。その機能を一般に使用できるようにしているという状態であるなら、それはシステム負荷を理由に一般のユーザーにガイドするものとは思えないのです。
一方、コンテンツの使い勝手からすると、Wikipediaはその編集者が一から構築していくものです。こつこつこつこつと手作業です。とすると、その編集方針というものは長くおこなわれればおこなわれるほど、個人に焦点をあてれば、クセとなり習慣となり、全体に焦点をあてれば、慣習となり文化に近いものになります。つまり、ガイドはWikipedia文化をつくっている根底となるものと思います。これがサーバー負荷、システム負荷というもので規定されるのは、本末転倒と思うものです。「あることをやりたい」という要望があって、それを実現するためにシステムを作ったのですから、やりたいことを縛るためにガイドをつくると、それが長い間にユーザーを規定していき、Wikipedia文化の一部となることでしょう。
もし、「Wikipediaにシステム管理者というのがいない、それはユーザーであり、編集者だ。」というのであれば、もちろんユーザーへのガイドにもシステム管理ガイドがなければいけないことになります。
もうひとつ、実態はよくわからないでいいますけれども、サーバーはUSに移動しているんですよね。それで改善されたということは、USのシステムと同居しているということですよね。ただ場所を同じにしたのではなく大きな一つのサーバーにUSと一緒にいれられたのであれば日本でいくらセーブしたからといって、あちらがいっぱいつかったら同じことなのではないでしょうか。それとも日本への割り当て分として制限があることに変わりないのでしょうか。この辺はユーザーにはわからないですよね。
いずれにしても、システム負荷を理由にするのは、ユーザビリティとまったく反対のプライオリティになる上に、システムがどんなものか知らないユーザーには「神の声」とおなじで、「この世界とはそういうものなのだから、従え」というふうに聞こえる場合も多いのではないでしょうか。システムといわれると、水戸黄門の印籠みたいに思う人もいるようなので。上記したように、本当はどのくらい負荷がかかっているのかという情報提示がないかぎり正確な情報ではありません。私は、運用部門が正式に依頼しているのであれば、それはガイドとなっているはずだとおもいます。そうでなく、口伝えであるような情報であれば、それは出所が怪しい、と思ってしまいます。システムの企画開発および運用態勢という、本来ユーザーと関係のないところでおこなわれるものが、直接ユーザーに対して発せられるようなシステムは、非常に足元が危うく将来にも不安があります。Wikipediaがそのようなシステムとはいまのところ思えないのですが。
と、ここまでが理由です。これこそ長文で申し訳ないです。わたしがリダイレクトがシステム負荷の張本人であると知らないことから述べている理由です。もし、張本人なら、システムが改善されない限りリダイレクト機能をつかえないようにするほうが賢明の策だと思います。
それとも、そうはいかない理由があるのでしょうかねえ。でもそこまでユーザーが考えないといけないシステムなら、ちょっと考えてしまいます。