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こぐま たつや

小熊 達弥
生誕 日本の旗 日本 東京都
国籍 日本の旗 日本
職業 キーボードプレーヤー、サウンドアーティスト
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小熊達弥は、日本のキーボードプレーヤー、サウンドアーティストである。


人物

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 日本のキーボードプレーヤー、サウンドアーティスト。
 東京生まれ、東京理科大学工学部建築学科卒、同大学院建築学科修士課程卒、一級建築士の資格を持つ。


 1969年、第6回ヤマハエレクトーンコンクール、菊池ひみこと共に最高位優秀賞。
 1973年、財団法人ヤマハ音楽振興会エレクトーンプレーヤーとして契約、その後1976年~1980年までにヨーロッパ、北欧、東南アジア、南米など13カ国で演奏活動を行い各国で好評を博した。
 その後も国内外で演奏指導活動を行い1999年契約終了。


 1977年~1999年、専門学校東京コンセルヴァトワール尚美、エレクトーン部門講師として奉職。
 ルイルイ・ハルディ・パンダナ、熊埜御堂可奈子をはじめとするエレクトーン演奏者、指導者を多数排出。
 また尚美主導の各種コンサート、イベント、著作も多数。


 1980年、旧平河町全共連(全国共済農業組合連合)ビルで銀座松屋(株式会社松屋)子会社、アターブル松屋が展開する披露宴会場『平河町松屋サロン』に本格進出。
 披露宴会場における演奏者派遣、音響再生オペレーター派遣、披露宴オリジナル音源リース、披露宴会場音響企画設計等を行う。
 1986年平河町松屋サロンリニューアル音響設備設計施工、1987年東京大神宮音響設備設計施工、同オリジナル音源リース、音響再生オペレーター派遣開始、1989年江戸川区民センターオリジナル音源リース、音響再生オペレーター派遣開始、銀座エノテーカ・ピンキオーリブライダル奏者派遣開始、1995年お台場カンティネッタ披露宴会場音響企画設計施工、音響再生オペレーター派遣開始。
 そのような流れで現在も東京大神宮にて披露宴演奏者派遣、音響再生オペレーター派遣、DVD再生オペレーター派遣、村上音楽事務所管轄の披露宴会場にて音響再生オペレーター派遣を継続中。


 1983年、エレクトロニクスキーボードと音響の可能性を追求すべく中野に自ら24ch.オタリマルチトラックレコーダーを中心としメジャーレコーディングスタジオと完全互換性を有するスタジオを開設、その後2000年には業務用ProToolsシステムによるオールデジタルスシステムにヴァージョンアップ。
 スタジオには各種デジタル音響機器、多種多様なキーボード、数万種のデジタル音色がセットアップされており、特に3D音響に関しては日本でも最も進んだ音響システムを有し映画、TV、ライブ、CDコンテンツ等において3D音響のパイオニアとして数々の実績を積み重ねている。


 1985年、昭和の代表的作曲家音楽家、内藤法美氏(婦人は昭和の大スター越路吹雪)の依頼により東京、大阪で開催の鴻池組新社長就任イベントで内藤法美オーケストラにエレクトーンFX-1で参加。
 その流れで当時内藤法美マネージャー若林峑生氏(現内藤音楽事務所会長)、当時東芝EMI学芸部部長、佐藤方紀氏(桐朋音楽大学創設者の一人、井口基成]]氏の妹、ピアニストでありピアノ教育家井口愛子]]氏の令息)、ドリフターズ関連作品作曲、マンドリン楽曲編曲多数の作編曲家、たかしまあきひこ氏と共に音楽事務所、株式会社ミューズに役員として資本参加。
 その流れで(有)サウンドインターフェイスは最先端のレコーディングシステム、最高級シンセサイザー十数台を擁する株式会社ミューズの音響スタジオ部門として設立された。


 1990年~1999年、旧ジャスコ(現イオン)展開のカルチャーアイテムショップ『株式会社ブックバーン』の専任コンサルタントに就任、特にCDコンテンツの解説、販売実績の動向分析、全国ショップの品揃え、ポップ表示等の活動を行う。


 演奏作編曲活動から、音響制作、音響設計、音響企画、演奏者、音響オペレーター派遣に至る音響音楽の多様なシーンで独創的な活動を続けているサウンドアーティストである。


主要制作履歴

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■1969年
 第6回ヤマハエレクトーンコンクール、菊池ひみこと共に最高位優秀賞。


■1977年
 ヤマハエレクトーンプレーヤーとして、1977年〜1980年までにヨーロッパ、北欧、東南アジア、南米など13カ国で演奏活動を行う。


■1979年
 日本の伝説フュージョンバンド、カシオペアをバックで自らプロデュースしたオリジナルアルバム『スパイアラルフュージョン』を発表。東芝EMI TP-60352。その後もカシオペアバックの国内演奏活動多数。


■1980年
 松竹 映画、野村芳太郎監督、芥川也寸志音楽監督『震える舌』のシンセサイザー音響音楽担当。
 後の2017年、松竹120周年オリジナル・サウンドトラック化映画に選定され『震える舌』オリジナル・サウンドトラックCDとして松竹よりリリース。


■1982年
 東芝EMIより、エレクトーンープレーヤー、小熊達弥、塚山エリコ南部昌江、幅しげみ、日野正男エレクトーン演奏の5枚組レコード『エレクトーンポピュラー大全集、ニューラブサウンズ』 をプロデュース。
 一万セット以上を売上げ1983年東芝EMIよりゴールドディスクヒット賞として認定表彰される。 


■1983年
 芸術祭賞受賞の舞踏家安藤哲子主催、安藤哲子ユニークバレー団リサイタル公演『白鯨、モービーディック』。
 芸術監督 三島 彰、舞踏監督 安藤哲子、主演 田中 泯、音響音楽 小熊達弥が担当し、シンセサイザー組曲として制作、当日もエレクトーン演奏を行う。
1986年に再演。


■1984年
 エレクトーン大全集、小熊達弥プロデュース、東芝EMI制作、LPレコード23枚、カセットテープ12本、曲集5冊、解説書1冊、定価 ¥126,000。エレクトーン全盛期のエレクトーンプレーヤー演奏の集大成、金字塔。


 この大全集解説書中『はじめに』に寄せられた故斉藤英美氏の言葉。
『エレクトーン誕生後、25年目を迎えて発売される、このエレクトーン大全集の意味は、たいへん大きなものがあります。
 この全集に収録されたメンバーの皆さんはそれぞれ一流のアーティストばかりです。エレクトーン界のオリンピックとしての意味がこの大全集のすべてを物語っている気がします。〜』[1]


■1985年
 つくば万博(国際科学技術博覧会)協賛で建設された『コズミックホール』ミノルタプラネタリウムの上演プログラムのための10次元超立体音響の音響音楽制作。


 NHK美術センター内藤敏男プロデューサーのプロデュースにより同プラネタリウム オリジナル松本零士アニメ作品『アレイの鏡』音響制作、その後春夏秋のプラネタリウムプログラムの音響音楽制作を行う。


 博覧会終了後約10年にわたり同プログラムは継続使用。現在同プラネタリウムは最新のデジタルシステムに生まれ変わり現在も稼働中。


 '88さいたま博覧会ではエレクトロニクス館IBMブースの音楽制作及音響コーディネイトを行う。


奈良シルクロード博覧会、横河パビリオン『水と光と音のアートシアター』に於ける音楽制作及音響コーディネイトを行う。


 デジタルコントロール電磁弁による噴水ダンスにシンクロする音響音楽を奈良正倉院所蔵シルクロード琵琶の音律、ギリシャ時代の幻の楽器、水オルガンシュミレーションによる音響音楽制作。この後横河電気のテーマサウンドとして長期間使用された。


■1989年
 国際博覧会としての横浜博覧会ミートミート館における食をテーマとしたマジカルパフォーマンス用音楽制作及デジタル音響システムを構築。
 インスタレーションパフォーマンスに合わせてサウンド及びビートがライブリアルタイムに変動。当時としては画期的システムを構築した。


 日本ではじめて3D音響処理による「ビンの中のメッセージ」という衝撃的なドラマを完成させJ-WAVEでオンエア。


 2つのスピーカーで前後上下左右の音場をスピーカー外に再現する3D音響MIXと3Dマイク『アーへナコプフ・ダミーヘッドマイクロフォン』による鍾乳洞の空間録音による『百億年の交響詩』を東芝EMIからリリース。楽曲部分のシンセサウンドは当時のエレクトーン最高級機種HX-1、もはやエレクトーンのイメージを脱却したオルガン型シンセとなる。
 写真家浅井慎平プロデュースによるものでこの後も同氏のプロデュースでCDを2枚を制作する。
 日本で初めての商品としての3DCDである。


■1990年
 これまでの経緯の中でローランドテクノロジーの究極の音場プロセッサー、ローランド RSSシステム一式(当時のBMW一台分の価格、単品音響機器としては最高価格)を導入し、この成果を集大成した『ニューメディアクラシック“フランス小品群による空間音楽”』MW-056をリットウミュージックより同社のMIDIワールド対応CD-ROMソフトとしてリリースする。
 これは世界で初めて1枚のCD盤の中に音声情報とMIDI演奏情報を混在させ、しかもその音声部分に小熊制作3D音響が最大限使われているという究極のソフトである。


■1994年
 幕張新都心の新築の超高層イオンジャスコビルのアトリウムにおける3D音響デザインを行う。
3D音響による風、せせらぎ、鳥の囀り等を3系統再生機のタイムラグリピートによりナチュラルな自然音を創出、1月立っても同一にはならず。


 スーパーカー・ジオットキャピスタの3Dレコーディング。


 ヤマハ株式会社主催による全日本電子楽器教育研究会において『エレクトーン演奏表現に関する現状と諸考察』なる論文を発表。併せて同会場に於いて3D音場を実現したうえでの実験コンサートを尚美ブラスアンサンブル及びSEEとの共演で行う。


■1995年
 オタリRADAR24ch. デジタルハードディスクレコーダーを導入し名実共に24ch.デジタルレコーディングシステムを完成する。


 同年7月、上述の新システムをフル活用しNHKプロモーションとの共同プロジェクトとして究極の音響作品、インタラクティヴ・ヴァーチャルリアリティードラマ『哀しい気持ち』を完成。
 これはヘッドフォン定位内で前後左右上下の定位感を実現させた3D音響ラジオドラマであるが更にリスナーがパート別ストーリーを自由にチョイスして自らのオリジナルストーリーを構築できる当時としては画期的なゲーミングシステムでNHKから高い評価を受ける。


1999年までのスタジオ機材

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メジャースタジオとの互換性を有する24ch・ハードディスクレコーダー
24ch・ミキシングコンソール
MACコントロールによる3D音響システム
ダミーヘッドマイクロフォンシステム
他、各種デジタル音響機器、キーボード多種


脚注

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  1. ^ 斉藤英美.エレクトーン大全.朝日印刷株式会社,1984年