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レダ・バリャダレス | |
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Leda Valladares | |
バリャダレス肖像(1971年) | |
生誕 |
レダ・ネリー・バリャダレス・フリアス Leda Nery Valladares Frías 1919年12月21日 アルゼンチン、サン・ミゲル・デ・トゥクマン |
死没 |
2012年7月13日 (92歳没) ブエノスアイレス(アルゼンチン) |
国籍 | アルゼンチン |
別名 | マリー・ケイ |
職業 | 歌手、作曲家、音楽学者、民俗学者 |
活動期間 | 1940年-1999年 |
著名な実績 | 民族音楽大全『アメリカ・エン・クエロス』、アルゼンチンの文化復興運動「祖国の文化の再構築と発展をめざす運動」 、UNESCO名誉会員 |
代表作 | アルゼンチンの伝統的民族音楽の記録と集成 |
レダ・バリャダレス(西: Leda Valladares12月21日1919年–1913年2012年7月)はアルゼンチンの歌手で作曲家、詩人、音楽学者で民俗学者。サン・ミゲル・デ・トゥクマン生まれのバラデアスはヨーロッパ古典音楽と生まれ故郷の先住民の民族音楽に囲まれて育つ。幼い頃にピアノを習い始め、10代には兄とバンドを組んで民族音楽やジャズ、ブルースを演奏した。また詩人として生涯を通じてさまざまな作品を発表した。大学に進み国立トゥクマン大学英語学部に入学、1年後には専攻を哲学と教育に専攻を変えると1948年に卒業する。大学課程の途中で、一時、美術アカデミーに通って音楽を学んだり、伝統的な民俗音楽の演奏者を訪ねる個人的な研究に手を出したため、卒業が遅れる。
卒業すると教職につくもののすぐにパリに移り、1950年代初頭にマリア・エレナ・ワルシュと音楽デュオを結成する。ふたりでカフェやキャバレーをめぐり4年をかけて伝統的なアルゼンチンの民族音楽を歌い、1956年、アルゼンチンで自由革命が起こりフアン・ペロン大統領が辞任すると故国に戻る。当時のアルゼンチンでは民族音楽の人気は伸び悩んでおり、アルバム発表と演奏を続けてもファンの数は限られていた。1962年にデュオを解散、バリャダレスはアルゼンチンの伝統民族音楽を記録する仕事に乗り出し、1960年から1974年にわたり全国のさまざまな地域で録音し記録した民族音楽は、ドキュメンタリーシリーズ『アルゼンチンの音楽地図』(Mapa Musical de la argentina)として発表された。
バリャダレスは1970年代初頭からロックなど他のジャンルで人気のある音楽家と交流を始め、音楽の商業化を止めようと努めた。アルゼンチンの独裁政権が終わると「祖国の文化の再構築と発展をめざす運動」に参加、他の音楽家と協力して音楽遺産の演奏と保存に努める。
まとまった作品として最後となる「アメリカ・エン・クエロス」America en Cuerros(America in Leather、1992年)は南北アメリカ大陸から民族音楽400曲超を収録したもので、高い評価を受けたバリャダレスはユネスコの名誉会員に迎えられる。
受賞歴
[編集]- ノックス賞(Konex Award)1984年、1994年、2005年
- 第1回National Prize for Ethnology and Folklore 1996年
幼少期と影響
[編集]Her father was a writer, who published two books and was an amateur singer and poet.[1] As Tucumán was a border region, in addition to European classical music, Valladares was exposed to the folk music of the indigenous peoples living in the Calchaquí Valleys.[2] Both of her parents liked singing and often hosted musical evenings. From a young age, Valladares studied piano, initially with Sarah Carreras.[3]レダ・ネリー・バリャダレス・フリアスは レダ・ネリー・バリャダレス・フリアスは
Her father was a writer, who published two books and was an amateur singer and poet.[1] As Tucumán was a border region, in addition to European classical music, Valladares was exposed to the folk music of the indigenous peoples living in the Calchaquí Valleys.[2] Both of her parents liked singing and often hosted musical evenings. From a young age, Valladares studied piano, initially with Sarah Carreras.[3]レダ・ネリー・バリャダレス・フリアスは1919年12月21日、アルゼンチンのサン・ミゲル・デ・トゥクマンで母アウロラ・フリアスと父フェルミン・バリャダレスの間に生まれる[4][5]。母方はサンティアゴ・デル・エステロ州の貴族の血筋で、フェリックス・イグナシオ・フリアスとフェリックス・フリアス父子とも親戚である[4] [1]。父は作家で本を2冊出版し、また詩人でアマチュア歌手でもあった[1]。郷里のトゥクマンは先住民が住む地域との境にあり、ヨーロッパの古典音楽に加え幼少期からカルチャクイ渓谷に暮らす先住民族の民族音楽に日常的に触れていた[2]。両親はともに歌うことが好きで、しばしば家庭内でコンサートをひらくほどだったという。バリャダレスは幼い頃にピアノを習い始めたときはサラ・カレーラスに師事している[3]。
バリャダレスと兄のローランド「チーボ」バリャダレス はジャズやブルースを学び始めると[1]、10代でバンド「フィヨス」Fijosを結成、メンバーにアドルフォ・アバロス、マヌエル・ゴメス・カリージョ、グスタボ・「クーチ」・レグイサモン、エンリケ・「モノ」・バレガス、ロドリゴ・モンテロ、ルシア・クラウディア・ボロニーニ・ミグエスを迎える。同バンドはのちにLois Blue. に改称。芸名をアン・ケイト名乗ったバリャダレスはいずれも富裕な家庭育ちの仲間たちと演奏活動を通じてエリート社会の音楽の趣味に反旗を翻そうとした[6]。1939年には新設されたばかりの National University of Tucumán 第1期生として英語学部に入学、1年後に哲学と教育学.[5]に専攻を変えている。ヨーロッパ文学の作品を読みあさり、特にフランスとスペインの象徴主義およびシュルレアリスムに夢中になったほか、前衛的なアバンギャルドな詩にもひかれ[1] 、ドイツの哲学者について研究した対象はフランツ・ブレンターノ、インマヌエル・カント、オズヴァルド・スペングラーOswald Spenglerほかである[7]。
職歴
[編集]詩作とその後育・(1940年-1950年)
[編集]ここに翻訳元から手動で原文を転記して翻訳する予定。原因はCX2の訳出ができないため。
マリア・エレナ・ワルシュとデュオを結成(1952年-1962年)
[編集]民族学、音楽学(1959年-1999年)
[編集]アルゼンチンの独裁政権が1980年代初頭に終わり民主主義の統治に戻ると、バリャダレスは他の音楽家とともに「祖国の文化の再構築と発展をめざす運動」に加わる。人気歌手を集め、アルゼンチンの音楽遺産を祝うフェスティバルをシリーズ化して開催する。初期のアルバム『音楽地図』に続き、レオン・ヒエコやサンタオララと協力して発表したのが1985年の『デ・ウシュアイア・ア・ラ・キアカ』(ウシュアイアからラキアカまで)である[8] [9]。
1984年、1994年と2005年にはノックス賞を合計3回受けた[10]。
南北アメリカ大陸から400曲超の民族音楽を集めて収録した『アメリカエンクエロス』(ラテンアメリカの革、1992年)が最後の規模の大きな作品であり[9][8]、ユネスコの名誉会員に迎えられた[11]。アルゼンチンの音楽遺産を広く認め系統立てて記録した功績には第1回アルゼンチン民族学民俗学賞(1996年)が贈られ表彰を受けた[12] [13]。アルツハイマー病の合併症により1999年に公的な活動から引退している 。 [14]。
死と功績
[編集]バリャダレスは2012年7月13日にブエノスアイレスで亡くなる[15]。生誕100周年にあたる2019年には、アルゼンチン全国でお祝いをしており[4] [16]、アルゼンチンの民族音楽保存に貢献したバリャダレスをたたえ、ハンドドラムで歌う国の休日(Dia Nacional del Canto con Caja)制定が提言されている[17]。アルゼンチンで音楽家が多く育つ土壌に影響を与えたバリャダレスは、文化遺産および音楽遺産の保存における重要な人物として崇拝されている[18]。
主な作品
[編集]詩集
[編集]- Schultz de Mantovani, Fryda; Valladares, Leda; Duncan, Elena (1943) (Spanish). La estrella en la rosa; poemas. La Plata, Argentina. OCLC 31424432
- Valladares, Leda (1944) (Spanish). Se llaman llanto o abismo: poemas. Tucumán, Argentina. OCLC 28769499
- Valladares, Leda; Anderson Imbert, Enrique (1954) (Spanish). Yacencia. Mexico City: Cuadernos Americanos. OCLC 25360692
- Valladares, Leda (1964) (Spanish). Mutapetes: arranques de una lapicera. Buenos Aires: Editorial Ledares. OCLC 977586199
- Valladares, Leda (1972) (Spanish). Camalma; poemas y otros sondajes. Buenos Aires: Editorial Rodolfo Alonso. OCLC 1224516
- Valladares, Leda (1978) (Spanish). Autopresentación. Tucumán, Argentina: Centro de Historia y Pensamiento Argentinos, Universidad Nacional de Tucumán, Facultad de Filosofía y Letras. OCLC 12718087
音楽作品「レダ・イ・マリア」名義
[編集]- 1954: Chants d’Argentine (Le Chant du Monde LDY-M-4021).[4]
- 1955: Sous le ciel de l’Argentine [Bajo los cielos de la Argentina] (London International FS 123619/WB 9113).[4]
- 1957: Entre valles y quebradas, vol. 1 & 2 (Disc Jockey Estrellas 10071, 15052).[19]
- 1958: Canciones del tiempo de Maricastaña (Disc Jockey 77076).[19]
- 1959: Leda y María cantan villancicos (EP) (Disc Jockey TD 1007).[19]
- 1960: Canciones de Tutú Marambá (EP) (Disco Plin s/n)[19]
- 1962: Canciones para mirar (Disco Plin 102).[19]
- 1962: Doña Disparate y Bambuco (EP) (Disco Plin 103).[19]
- 1963: Navidad para los chicos (EP) (Abril Fonorama Bolsillitos 502).[19]
その他の作品
[編集]- 1964: El reñidero 1962年のSergio De Cecco作品に劇中音楽として楽譜を提供[20]。
- 1960–1974: Mapa musical de la argentina, Melopea Records directed by Litto Nebbia (re-released in 2001 by Discos del Rojas and Melopea):[14][21]
- vol. 1: Documental folklórico de la Quebrada de Humahuaca.[21]
- vol. 2: Documental folklórico de Tucumán: Cantores de patio y de los valles.[21]
- vol. 3: La montaña va a la escuela.[21]
- vol. 4: Manantiales del Canto Argentina en cerros y llanos.[21]
- vol. 5: Documental folklórico de Cuyo.[21]
- vol. 6: Documental folklórico de Salta.[21]
- vol. 7: Documental folklórico de Santiago del Estero.[21]
- vol. 8: Documental folklórico de la Provincia de Buenos Aires.[21]
- 1968: Canticuento – Seleccion de música infantil.[22]
- 1969: Pastor de cabras with Anastasio Quiroga.[23]
- 1971: Folklore de rancho y rascacielos with Anastasio Quiroga, Susana Lago and José Luis Castiñeira de Dios at the Teatro General San Martín.[23]
- 1985: Igual rumbo with Margot Loyola.[15]
- 1989: Grito en el cielo.[15]
- 1990: Grito en el cielo II.[15]
- 1992: América en cueros.[15]
脚注
[編集]注釈
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f Orquera 2017, p. 106.
- ^ a b c Orquera 2015, p. 2.
- ^ a b c Orquera 2015, pp. 4–5.
- ^ a b c d e Vitale 2019.
- ^ a b Orquera 2017, p. 105.
- ^ Orquera 2015, p. 5.
- ^ Orquera 2015, p. 8.
- ^ a b Orquera 2015, p. 21.
- ^ a b Durango 2019, pp. 4–5.
- ^ Konex Foundation 2020.
- ^ Durango 2019, p. 5.
- ^ Durango 2019, p. 4.
- ^ El Comercio 2012.
- ^ a b El Litoral 2019.
- ^ a b c d e Montevideo Comm 2012.
- ^ Novak 2019.
- ^ Durango 2019, p. 1.
- ^ Fernández Matti 2000.
- ^ a b c d e f g Diario La Mañana de Neuquén 2012.
- ^ Clarín 2009.
- ^ a b c d e f g h i La Nación 2001.
- ^ Alvarez 2014, p. 293.
- ^ a b Orquera 2015, p. 19.
===
参考文献
献さs
S
参考文献
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外部リンク
[編集][[Category:バイセクシュアルの女性]] [[Category:アルゼンチン出身のLGBTの人物]] [[Category:アルゼンチンの歌手]] [[Category:バイセクシュアルの音楽家]] [[Category:2012年没]] [[Category:1919年生]]