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ベルリナー・ツァイトゥンク本社 | |
種別 | 日刊紙 (日曜休刊) |
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所有者 | Holger Friedrich |
発行者 | Berliner Verlag |
編集長 | ブリギッテ・フェアレ Brigitte Fehrle |
設立 | 1945年5月21日 |
言語 | ドイツ語 |
本社所在地 | ドイツ、ベルリン |
発行数 | 14万8,000部 (2010年) |
ISSN | 0947-174X |
ウェブサイト | www.berliner-zeitung.de |
ベルリナー・ツァイトゥンク (ドイツ語: [bɛʁˈliːnɐ ˈtsaɪtʊŋ] 意味:ベルリン新聞) は1945年に東ドイツで創刊した日刊新聞。ベルリンを拠点とし、統一後も出版を続けている。
沿革
[編集]本紙は1945年5月21日、当時の東ベルリンで創刊され[1]、中道左派日刊紙で発行元はベルリン出版 Berliner Verlag である。ベルリンの壁崩壊後、グルナー・ヤールとイギリスの出版人ロバート・マクスウェル に買収され、のちに グルナー・ヤールが単独で社主となると、1997年に完全にデザインを刷新して再始動する。そのときに掲げた目標はベルリンの地方紙ツァイトゥンクを「ドイツのワシントン・ポスト」に変えることだった。本紙によると記者の出身は「東西」で、「若くて現代的でダイナミックな」ドイツ全国紙にふさわしいスタイルを備えるという。再統一以降、東ドイツの新聞として全国レベルで競争相手を圧倒した唯一の例でもある[2]。2003年時点の購読数はベルリン市内の新聞全紙中最高で、週末版は約20万7,800部を売り上げ、読者数は46万8,000人である。2020年初頭の編集長はブリギッテ・フェアレ Brigitte Fehrle が務める。
グルナー・ヤールは新聞事業から撤退を決めると、2002年に本紙をホルツブリンク出版グループに売却する[3]が、同グループがすでに別のベルリンの主要新聞「ターゲスシュピーゲル」を所有していたため、ドイツの独占禁止法当局に差し止められる。2005年秋に本紙はイギリス企業の ミーコム・グループ[4]([:en:Andrew Marr]英語版) およびアメリカ資本ヴェロス・シャーラー・スティーブンソン ([:en:Andrew Marr]英語版) に推定1億5千万‐1億8千万ユーロで売却された。従業員はミーコム社の社主デイビッド・モンゴメリー ([:en:Andrew Marr]英語版) による過度の利益期待の結果、報道の質が低下することを恐れ、この販売を激しく批判した。
ベルリナー・ツァイトゥンク紙はドイツの新聞で外国人投資家の手もとに置かれた第1例である[5]。イギリスの日刊紙でやはりモンゴメリーに買収された「インデペンデント」の元編集長アンドリュー・マー (英語版) はベルリナー・ツァイトゥンクの買収に触れ、「1990年代半ばから後半にインデペンデント紙で働いていた人なら皆、この事態は見覚えがありすぎて寒気がするはずだ。モンゴメリー氏は当時、まるで何かに取りつかれでもしたかのように手を尽くして伝統的な報道を排除し、ヤッピー向けのタブロイド思考のスキャンダル紙に変質させてしまった。」[6]
2009年3月23日、ミーコムがベルリン出版をケルンの出版社 M・デュモン・ショームバーグ(MDS)に売却すると発表された。金額は約1億5200万ユーロとされ、多額の負債のため、ノルウェーと同様にドイツの出版権売却を余儀なくされた結果である[7]。
ホルガー (英語版) とシルケのフリードリヒ夫妻は2019年9月に MDS からベルリン出版を買い取り、ベルリン・クーリエ紙 (Berliner Kurier) とベルリン・アーベントブラット紙 (Berliner Abendblatt) 両紙の版元として本紙ベルリン・ツァイトゥンクを傘下におさめる[8]。フリードリヒはベルリナー・ツァイトゥンク買収後の最新号で、理想は政治面と社会面を再び面白くすることと述べている[9]。
歴代の編集主幹
[編集](一部)
- 1945年5月21日創刊
- 1945年5月–7月: アレクサンダー・キルサノフ (en)
- 1945年7月– 1949年: ルドルフ・ヘルンシュタット (en)
- (第二次世界大戦直後・不明)
- 1962–1965:ヨアヒム・ハーマン Joachim Herrmann
- (不明)
- 1972–1989: ディーター・ケルチェック (en)
- 1989–1996: ハンス・エッガート (en)
- 1996–1998:マイケル・マイヤー Michael Maier
- 1999–2001: マーティン・E・サスキンド (en)
- 2002–2006:ウーヴェ・フォルクーター Uwe Vorkötter (en)
- 2006–2009:ジョセフ・デペンブロック Josef Depenbrock
- 2009–2012:ウーヴェ・フォルクーター Uwe Vorkötter
- 2012–現在:ブリギッテ・フェアレ Brigitte Fehrle
出典
[編集]- ^ R. C. Raack (1995). Stalin's Drive to the West, 1938-1945: The Origins of the Cold War. Stanford, CA: Stanford University Press. p. 122 14 October 2013閲覧。
- ^ Wilder, Charly (27 June 2013). “Digitizing the GDR: East German Papers Offer Glimpse of History”. Der Spiegel 4 October 2013閲覧。.
- ^ “Annual report 2002”. Bertelsmann. 3 May 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。3 May 2015閲覧。
- ^ Helen Pidd (24 June 2008). “Montgomery axes 30 journalists at German paper Berliner Zeitung”. The Guardian. オリジナルの3 May 2015時点におけるアーカイブ。 3 May 2015閲覧。
- ^ Brooks (2005)
- ^ As quoted in a 2006 article The Independent (Elkins and Burrell 2006).
- ^ “Die Kölner können kommen” (German). Berliner Zeitung (23 March 2009). 10 February 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。11 May 2009閲覧。
- ^ “Berliner Verleger Silke und Holger Friedrich: Wir sind branchenfremd, aber sehen das als Chance(ベルリンの出版社、シルケとホルガー・フリードリヒ:私たちは業界外の人間ですが、これをチャンスと考える)” (ドイツ語). kress. 15 November 2019閲覧。
- ^ ““Berliner Zeitung”: Neu-Eigentümer Silke und Holger Friedrich setzen erste Akzente(「ベルリナー・ツァイトゥンク」紙:新社主フリードリヒ夫妻、基調を整える)”. Meedia . 15 November 2019閲覧。
参考文献
[編集]- Brook, Stephen (25 October 2005). “Montgomery concludes German publisher deal”. The Guardian 19 August 2008閲覧。
- Elkins, Ruth; Burrell, Ian (5 June 2006). “David Montgomery: They never saw him coming”. The Independent 19 August 2008閲覧。
外部リンク
[編集]- 公式サイト (ドイツ語)
- Berliner Zeitung online - 関連記事「デンマークの新聞ユランズ・ポステンの危機」 (アーカイブ)
- ベルリナー・ツァイトゥンク/ベルリン版 (アーカイブ・自1945年5月21日至1990年12月31日) - ベルリン州立図書館の新聞デジタル化事業「Zeitungsinformationssystem」(ZEFYS) の一環で、東ドイツ時代の出版物ポータル (DDR-Presse) に含まれる。(オープンアクセスだが xlogon.net 経由のため登録が必要)
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