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利用者:Omotecho/ジョセフ・プランケット

ジョセフ・プランケット
Seosamh Pluincéid
肖像
生誕 1887年11月21日
アイルランドの旗 ダブリン
死没 (1916-05-04) 1916年5月4日(28歳没)
キリマインハム刑務所(ダブリン)
死因 銃殺
墓地 en:Arbour Hill Prison(ダブリン)
国籍 イギリスの旗
別名 Joseph Plunkett
教育
職業 en:Irish Volunteers
活動期間 1913年–1916年
雇用者 ダブリン中央郵便局
団体 Irish Volunteers ダブリン旅団
著名な実績 イースター蜂起の計画者
影響を受けたもの カトリック教
影響を与えたもの IRA
活動拠点 ダブリン
肩書き en:Commandant General
政党 アイルランド共和主義同盟英語版
運動・動向 アイルランド独立
宗教 カトリック教
罪名 反逆罪
刑罰 死刑
配偶者 グレース・ギフォード(1916年5月4日結婚)
  • ジョージ・ノーブル・プランケット 英語版(父)
  • マリア(母)
親戚 ホレス・プランケット(大おじ=父のいとこ)
家族
  • 妹:ジェラルディン(結婚後の姓はプランケット・ディロン)
  • ジョージ・オリバー・プランケット
  • ジャック・プランケット
補足
日本語資料
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ジョセフ・メアリー・プランケットアイルランド語: Seosamh Máire Pluincéid, 英語: Joseph Mary Plunkett, 1887年11月21日 – 1916年5月4日)はアイルランド共和主義者英語版で詩人、ジャーナリスト。アイルランド共和国独立宣言英語版の署名者7名の一人でありイースター蜂起(1916年)を指導した。処刑執行の7時間前にグレース・ギフォード英語版と結婚したことで知られる。

来歴

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ダブリンの最も富裕な地域に生まれる(Upper Fitzwilliam 通り26番地[1])。両親ともに素封家の出身で[2]、父ジョージ・ノーブル・プランケット(George Noble Plunkett)は伯爵英語版に叙せられた.[3]。幼少期に結核を患い、温暖な地中海地方アフリカ北部で療養生活を送る間に、アラビア語文学を学びアラビア語で詩作をした[4]

男子校のカトリック大学校(CUS)からイエズス会ベルヴェデーレ・カレッジ(ダブリン)に進んだのち、ランカシャーストーニーハースト・カレッジ在学中に将校訓練課程(Officers' Training Corps)で軍事の知識を少し学んだ。プランケットは生涯を通じて、アイルランドの伝統文化と言語に深い興味を寄せ、エスペラント語も学んでアイルランド・エスペラント協会設立(1907年)に尽くしたひとりである[5]


ゲール語連盟に加わったプランケットはともに演劇に興味を持つ詩人で終生の友となるトマス・マクダノー英語版に出会い、一緒に学んでいく。やがてふたりとも創設まもないアイルランド義勇軍英語版に加わると、暫定委員会に名前を連ねた。

プランケットがアイルランド民族主義に傾いていくと、やがて家族に広がって弟のジョージとジョンを引きつけ、やがて父もシンパになり、第一次世界大戦中にはダブリン南部のキメージ(Kimmage)にある所有地を使わせて、イギリス軍の徴兵逃れをしたアイルランド青年たちをかくまい、軍事訓練をするキャンプを運営させた。

IRB との関与

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1910年頃のジョセフ・プランケット
ジョセフ・プランケット(1910年頃)

プランケットがアイルランド共和同盟(IRB)英語版に入団したのは1915年のことで、その後すぐにドイツに滞在中のロジャー・ケースメントの元に派遣される。ケースメントは翌年の蜂起に備えてアイルランドを代表し、ドイツ政府と交渉中だったが、プランケットはその使節の役割を肩代わりしたいと申し出た。ところが当時、プランケットはIRBに加盟しておらず、指導部は対ドイツの交渉連絡係を任せるなら同盟の仲間しかいないと考えていた。

一方のプランケットの主張は武器調達と輸送である(それだけに限定したわけではない)。他方、ケースメントはドイツに抑留されたアイルランド人捕虜を集め、祖国のために戦う旅団を編成させてほしいとやっきになっており、アイルランドの民族主義者の一部は武器の調達を選び、捕虜を寄せ集めた旅団など使い物にならないと判断した。こうしてプランケットが交渉し、ドイツで武器を調達し、蜂起に間に合うように輸送するという約束を取り付けた。

アーネスト・ブライス英語版の記憶によると、プランケットは共和主義者ではあっても独自の論を唱える人物だったという。例えばアイルランド義勇軍主催の説明会(1915年1月)で述べた自説では、状況によってはドイツのカトリック教徒の王子がアイルランド王位を戴冠するとこの国の利益になると説き、出席者には反対を唱える者はいなかったという。あるいはまたイースター蜂起の真っ最中にプランケットとパトリック・ピアースデズモンド・フィツジェラルド英語版と話し、プロイセンのヨアヒム王子が国王に即位すると有益であると主張した[6]

イースター蜂起

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イースター蜂起はIRB 軍事委員会が計画し、プランケットは委員会創設の時から加わり、実行された計画の主な部分を提案している。蜂起の少し前に、プランケットは体の不調から入院した。

イースターの数日前に首の腺の手術を受け(おそらく甲状腺腫[要出典])、その後の活動に参加しようと無理をして病床を離れる。ダブリン中央郵便局の職場に包帯姿で戻ると蜂起を首謀したパトリック・ピアースやトム・クラーク(Tom Clarke)などに加わるが、まだ十分に回復しない病身では、一人前の仕事をこなすことはできなかった。

マーガレット・スキニダーは復活祭の間、「顔面蒼白で弱々しかった」ことと「まるで死人のよう」だったと記憶している[7]

マイケル・コリンズは「副官」相当の役目を果たした。

結婚と刑死

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降伏したプランケットの身柄はキルメイナム刑務所に移されて、軍法会議を待つ間に、蜂起直後の5月3日にトーマス・マクドナーの死刑が執行された。ジョセフの処刑が翌朝に決まったという知らせが届くと、グレースはダブリンの宝石商から指輪を買って司祭を訪れ、ジョセフが落命する前に結婚を司式するように頼み込んだ。死刑執行の数時間前にグレースはジョセフと刑務所礼拝堂で結婚した。

このとき、司祭のほかに結婚に立会った2人はジョン・スミスとジョン・ロッカーという名前で、いずれも看守であった。帰宅したグレースは午前2時に起こされて刑務所に連れて行かれると、看守が時間を計り、10分間の面会をする。その直後、ジョセフは他の指導者13人とともに処刑された。

事件後の言い伝え

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プランケットの詩の一節を刻んだ戦争記念碑(キルケニー)

イースター蜂起に加わった弟たちジョージ・オリバー(George Oliver Plunkett)とジャックは後に、IRAの重要人物となった。大おじのホレス・プランケット(父のいとこ Horace Plunkett)はプロテスタントで統一主義者であり、国家主義者との和解を目指して努めた人物であった。家屋敷はアイルランド内戦下にIRA反条約派英語版 に焼き払われた。

妹のジェラルディン英語版(結婚後の姓はプランケット・ディロン)は、兄の遺言執行人に指名されると、処刑から1ヵ月後の1916年6月に兄の詩集を出版している[8]

ウォーターフォードの鉄道駅はプランケット家に由来して命名され、バリーマン英語版にはジョセフ・プランケット・タワーという建造物もある(すでに解体済み)。キルデア州カラ・キャンプ英語版にある兵舎にも献名されている。

大衆文化

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アイルランドのバラード「グレース」は処刑前夜のプランケットがこぼした独白という設定で、妻となるグレースへの愛と、アイルランド独立の大義に寄せる情熱を表現する(ショーンとフランク・オメーラ作詩作曲[9])。ジム・マッキャン英語版がカバーした[10][11]

アイルランドではプランケットの宗教詩「I See His Blood upon the Rose」(仮訳=バラの上に宿る主の血潮よ)は『アイリッシュ・タイムズ』の行った最もよく知られた祖国の詩歌調査(1999年)にも上がっている[12][13] [注釈 1]

プランケットの名前はアイルランドの反逆歌「Seán South of Garryowen」[注釈 2]にも登場する。作曲家フローレンス・ターナー=マリー(Florence Turner-Maley アメリカ合衆国)は、作品「I See Him Everywhere」にプランケットの作詞を用いた[14]

脚注

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注釈

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  1. ^ 宗教詩 I See His Blood upon the Rose[13]
    I see his blood upon the rose
    And in the stars the glory of his eyes,
    His body gleams amid eternal snows,
    His tears fall from the skies.

    I see his face in every flower;
    The thunder and the singing of the birds
    Are but his voice—and carven by his power
    Rocks are his written words.

    All pathways by his feet are worn,
    His strong heart stirs the ever-beating sea,
    His crown of thorns is twined with every thorn,
    His cross is every tree.
  2. ^ アイルランドの反逆歌は仮訳「ギャリーオーウェンのショーン・サウス」(Seán South of Garryowen)。

出典

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  1. ^ O'Neill, Marie (2000). Grace Gifford Plunkett and Irish freedom: tragic bride of 1916. Dublin: Irish Academic Press. p. 18. ISBN 978-0-7165-2666-7. オリジナルの14 February 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170214220627/https://books.google.com/books?id=nYMiAQAAIAAJ&q=%2226,+Upper+Fitzwilliam+Street%22&dq=%2226,+Upper+Fitzwilliam+Street%22&hl=en&ei=ylfSTK3nBYj6sAOcyIGSAg&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=6&ved=0CDUQ6AEwBTgy 3 November 2016閲覧。 
  2. ^ Review Of 'All in the Blood'”. A&A Farmar Book Publishers. 29 November 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。4 November 2010閲覧。
  3. ^ [Count Plunkett] George Noble Plunkett”. Ricorso. 24 September 2015時点のオリジナルよりアーカイブ5 November 2010閲覧。
  4. ^ “Joseph Mary Plunkett: Ailing writer who shaped the rebellion”. en:Irish Independent. (29 October 2015). オリジナルの1 October 2016時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161001163036/http://www.independent.ie/irish-news/1916/thinkers-talkers-doers/joseph-mary-plunkett-ailing-writer-who-shaped-the-rebellion-34143663.html 27 September 2016閲覧。 
  5. ^ Modernism and Race. Cambridge University Press. (2011). p. 67 
  6. ^ Inside the GPO in 1916: Desmond FitzGerald’s eyewitness account Archived 16 November 2018 at the Wayback Machine., Irish Times, March 21, 2016
  7. ^ Skinnider, Margaret (2017). Doing My Bit for Ireland A First-hand Account of the Easter Rising. Luath Press Limited 
  8. ^ Dillon, Geraldine Plunkett (2006). O Brolchain, Honor. ed. All in the blood: a memoir. Dublin: A. & A. Farmar. ISBN 1899047263 
  9. ^ DT Correction: Grace (Frank & Sean O'Meara)”. Mudcat Café (May 16, 1998). 2 August 2020時点のオリジナルよりアーカイブJanuary 25, 2019閲覧。
  10. ^ Grace - Jim McCann - YouTube 2009年9月14日投稿[リンク切れ]
  11. ^ Jim McCannの「Grace」をApple Musicで』2008年11月1日https://music.apple.com/jp/album/grace/2985102962024年7月27日閲覧 
  12. ^ “I See His Blood Upon the Rose, Joseph Mary Plunkett”. Ireland Calling. オリジナルの23 September 2020時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200923100605/https://ireland-calling.com/i-see-his-blood-upon-the-rose/ 22 October 2020閲覧。 
  13. ^ a b Rising Poems: 'I See His Blood Upon The Rose' by Joseph Plunkett”. independent (29 October 2015). 12 November 2020時点のオリジナルよりアーカイブ22 October 2020閲覧。
  14. ^ Turner-Maley. “Christopher A. Reynolds Collection of Women's Song”. oac.cdlib.org. 2022年7月10日閲覧。

関連資料

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  • Augusteijn, Joost (ed.), The Irish Revolution 1913-1923 (Basingstoke 2002)
  • Boyce, George D., Nationalism in Ireland (London 1982)
  • Kee, Robert, The Green Flag: A History of Irish Nationalism (London 1972)
  • Kelly, Matthew, The Fenian Ideal and Irish Nationalism 1882-1916 (Woodbridge 2006)
  • Mansergh, Nicholas, The Unresolved Question: The Anglo-Irish Settlement and its Undoing (New Haven and London 1991)
  • Martin, F.X. (ed.), Leaders and Men of the Easter Rising : Dublin 1916 (London 1967)
  • Novick, Ben, Concerning Revolution : Irish Nationalist Propaganda during the First World War (Dublin 2001)
  • O Brolchain, Honor, Joseph Plunkett (Dublin 2012)
  • Plunkett Dillon, Geraldine (edited Honor O Brolchain): All in the Blood (A. & A. Farmar)
  • Townshend, Charles, Easter 1916: The Irish Rebellion (London 2005)

外部リンク

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