利用者:Omotecho/ジャネット・サペ
ジャネット・サペ | |
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Janet Kaki Sape | |
肖像(2015年9月) | |
生誕 |
1959-??-?? パプアニューギニア、en:Wabag |
死没 | 2017-07-28 |
職業 | 実業家 |
ジャネット・カキ・サペ (英: Janet Kaki Sape1959年 - 2017年7月28日)は、パプア ニューギニア出身の元国際的なネットボール選手。コーチ、マネージャーを務めるかたわら実業界に転じた。国内で女性のエンパワーメントの課題解決に積極的に取り組み、賞を受けた。
幼少期
[編集]サペは、エンガ州の州都ワバッグ で生まれ育ち、スポーツ界を引退後、最初は教師の道を目指した。その研修を生かして女性向けの起業アドバイスの仕事を始めた[1][2][3][4]ところ、自分には会社経営の才能があると気づき、キャリアの軌道を変えた[4]。
子供は6人、2012年時点で孫は2人だった[5]。サペは 2017年7月28 日に病没、白血病であった[1]。
ネットボール選手として
[編集]1980年代、サペはラエを拠点とするネットボールクラブの「DSAシスターズ」を設立した。クラブ名の由来は、所属選手のほとんどが姉妹だったからである[6]。
ナショナルチームに選ばれたサペは、1987年の世界ネットボール選手権大会 (スコットランド)と、オセアニア域内のトーナメントに出場した[1][4]。中でもパシフィックゲームズ[7]の実績があり、キャプテンも務めた[7]。国際的な舞台から引退したのは1989年である[7]。サペは1999年にネットボールの国内連盟の会長職につく(任期は2001年まで[1][4][8])。
コーチ時代の実績として、1995年南太平洋大会(PNG)でパプアニューギニアを銀メダル獲得に導いている[7]。選手生活引退後も指導者として競技界にとどまった[1][4][8]サペは、同大会1991年開催でネットボールの競技解説者も引き受けていた[7]。国際レベルで指導した選手にギャミニ・コロカ(Gamini Koroka)選手がいる[7]。
スポーツ行政
[編集]2013年以降は農村部の少女たちにスポーツ参加を奨励するイニシアチブに取り組み、プロジェクトの旗振り役を買って出た[9][7]。また、政府がラグビーユニオン男性選手枠の開発に資金を出しており、それができるなら、女性向けのネットボールの開発にも投資ができないはずがないと同年にコメントしている[10]。この種の発言は何度も繰り返しており、たとえば前年の2012年、パプア・ニューギニア(PNG)ネットボール連盟の年次募金ダンスパーティーの前夜、メディア発表で指摘した[8]。
2000年、 PNGSF と NOC は、2000年開催の国際女性スポーツ会議に続いて、女性スポーツ委員会を設立し、サペは当時、パプア・ニューギニア(PNG)ネットボール連盟会長として委員に選ばれた[11]。
スポーツ管理に携わる女性を引き続き支援したサペは、2016年のポートモレスビーのスポーツ界女性指導者 に出席した[12][出典無効]。
実業界
[編集]女性に向けたビジネス指南の道へ進む以前、サペは教師として研修を受けていた[1][2][3]。教育界から実業界に進路を変えると、小規模ビジネスの立ち上げと管理について女性を指導し、その後、2005年にはパプア・ニューギニアの女性起業家をつなぐ支援のネットワークとして「Women in Business」を設立している。当初は女性ばかりおよそ50名の小さなグループであったが、加盟者は2015年には1万5千を超え、2017年に2万人に達した[13][4][14]。サペは組織の代表兼事務局長を務めている[15]。
パシフィックゲーム(パプア・ニューギニア(PNG))などのイベントは、商品やサービスの国際的なプラットフォームに女性起業家が実績を披露する機会だと信じ、運営委員会に働きかけ、自国でオリンピックが開催されるときに備えて、多くの女性が商品販売の屋台を設置するよう説得した[14]。また、女性の事業経営者には、自分自身で資金や借金などのリソースを管理するよう奨励し、特に農村地域の女性に力を与えようとした[16]。
「パプア・ニューギニア女性実業家協議会」(PNGWiB=Women in Business Foundation)の設立会長も務め(2006年[17])、その代表として2014年に国際女性実業家会議( Women in Business Conference に出席している[18]。2014年に女性対象のマイクロファイナンス機関「ウィメンズ・マイクロバンク」(Women's Microbank)を設立し、この種の金融機関として南太平洋地域初の試みを手がけた。世界では4例目となる[13][4][17][18]。 NCD の Powes Parkop はサペにあてた弔辞で、マイクロバンクの創設における努力を称えた[15]。サペはまた、
政治と活動
[編集]パプア・ニューギニア国内でサペの名前は、女性のエンパワーメント活動と結びついて記憶されている[4]。国政選挙に出馬した2002年以来、4回出馬し、初回には地方の投票所32ヶ所で得票率5位だった。2017年7月のポートモレスビー総選挙では北西部代表議席に立候補した[13][4]。ポート・モレスビー知事戦(2006年)では2位[5]、2012年に再挑戦すると3位に終わった[5]。同年、サペは国会に女性を送り込もうとする努力の一環として、パプア・ニューギニア(PNG)女性実践議会に参加[5]、国営ラジオで取り上げられた[5]。
首都地区委員会の委員を務め、女性と少女の利益を代弁した[4]。2014年にはNCDCのコミッショナーを務めている[19]。
幼少期
[編集]サペは、エンガ州の州都ワバッグ で生まれ育ち、スポーツ界を引退後、最初は教師の道を目指した。その研修を生かして女性向けの起業アドバイスの仕事を始めた[1][2][3][4]。自分には会社経営の才能があると気づき、キャリアの軌道を変えた[4]。
子供は6人、2012年時点で孫は2人だった[5]。サペは 2017年7月28 日に病没、白血病であった[1]。
受賞
[編集]脚注
[編集][[Category:白血病で亡くなった人物]] [[Category:2017年没]] [[Category:1959年生]] [[Category:パプアニューギニアの実業家]]
- ^ a b c d e f g h Keslep, Simon. “Former netball president passes away [元ネットボール連盟会長、亡くなる — パプア・ニューギニア代表チームの元キャプテン、元同国ネットボール連盟会長ジャネット・サペ訃報]” (英語). postcourier.com.pg. Post Courier. 2017年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月5日閲覧。
- ^ a b c d Eric Tlozek (PNG Correspondent) (2015年11月4日). “Financial educator Janet Sape named PNG's Outstanding Woman of the Year” (英語). ABC News. 2022年10月5日閲覧。
- ^ a b c “Sape’s legacy ‘will live on’ - The National” (英語). The National. (2017年8月3日) 2017年11月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m “Westpac hails Sape’s contribution to business - The National [ウェストパック銀行、サペの実業界への貢献を讃える(弔辞)]” (英語). The National. (2017年8月3日). オリジナルの2022年7月25日時点におけるアーカイブ。 2022年10月5日閲覧。
- ^ a b c d e f “Playing the political game in PNG”. ANNUAL PROGRESS REPORT 2012. United Nations (2012年). Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ “Club Profile”. LAE NETBALL NEWSLETTER. (June 2011)
- ^ a b c d e f g “Arts, crafts can benefit: Sape - The National [芸術、工芸に有益:サペ]” (英語). The National. (2015年2月26日). オリジナルの2022年7月19日時点におけるアーカイブ。 2022年10月5日閲覧。
- ^ a b c “President of PNG Netball concerned about lack of government support [PNGネットボール連盟会長、政府補助金の欠落に懸念を表明]” (英語). en:Radio Australia. 2017年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月5日閲覧。
- ^ 南太平洋大会は地域の女性芸術家や工芸家のセクターにとってビジネスチャンスだとサペは発言した。サペはパプア・ニューギニア女性実業家協会の会長である。零細ビジネスや農村起業家にとって大会は多くの観客や関係者を誘致することから、大会開催期間中の販売を見込めるという。
- ^ “Sape supports programme - The National [サペ、プログラムを支持 - パプアニューギニア代表チーム]” (英語). The National. (2013年2月18日). オリジナルの2022年7月12日時点におけるアーカイブ。 2022年10月5日閲覧。
- ^ “PNG Women in Sports Commission [PNG女性部門、スポーツのコミッション入り]” (英語). News. Sportcal. 2017年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月5日閲覧。
- ^ “Women sports leaders meet in Pom” (英語). Sunday Chronicle: PNG's Weekly Newspaper. (2016年12月11日) 2017年11月4日閲覧。
- ^ a b c “Janet Sape” (英語). Pacific Community. (2017年8月18日) 2017年11月4日閲覧。
- ^ a b “Women traders set out stalls for the Games - ONOC Media - SportsTG” (英語). SportsTG. 2017年11月4日閲覧。
- ^ a b “Smol Melanesian Na Pasifik Nius Digest # 1011 | Voice of Melanesia” (英語). www.voiceofmelanesia.com. 2017年11月4日閲覧。
- ^ “Kuni Women’s group – EMTV Online” (英語). www.emtv.com.pg. 2017年11月4日閲覧。
- ^ a b “Papua New Guinea's Women's Directory” (pdf). US State Department. 2021年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月5日閲覧。
- ^ a b “Smol Melanesian Na Pasifik Nius Digest # 1048 ( Sunday 30 November 2014 ) | Voice of Melanesia” (英語). www.voiceofmelanesia.com. 2017年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月4日閲覧。
- ^ “Smol Melanesian Na Pasifik Nius Digest # 1045 ( Monday 17 November 2014 ) | Voice of Melanesia” (英語). www.voiceofmelanesia.com. 2017年11月4日閲覧。
- ^ “WOW Awards winners for 2016” (英語). Loop Vanuatu 2017年11月4日閲覧。