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利用者:Omotecho/カプート城

カプート城
テンプリン湖と城の眺め」(1795年頃)ヨハン・フリードリッヒ・ネーゲル作、ガッシュ
舞踏場
選帝侯の前室
「カプート城を背景にハーフェル川に浮かぶミコアイサ」(1685年前後)ウィレム・フレデリク・ファン・ロイエン作。選帝侯妃の城の前庭、城の最古の景色がわかる。
選帝侯の寝室とアルコーブ
2人のプットによる天井画

カプート城: Caputh)は、ブランデンブルク州都ポツダム近くのシュヴィーロフゼー市にある城。テンプリン湖畔に面したカプート地区にあ理、16世紀後半から17世紀後半までブランデンブルク選帝侯が夏の離宮として使った。現在はベルリン・ブランデンブルク宮殿庭園財団(Stiftung Preußische Schlösser und Gärten Berlin-Brandenburg(ドイツ語))が管理する。

歴史と建物

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カプート城は、ポツダムの現在の文化的景観で唯一、フリードリヒ・ヴィルヘルム大選帝侯ブランデンブルクの初期バロック時代に由来する。1995年から1999年にわたり、プロシア宮殿庭園財団コーネルセン文化財団を中心に助成金を取り付け、950万ドイツマルクを費やして修復した[1]

創設期

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1594年、選帝侯妃カタリーナフォン・ロチョウ家(ドイツ語)からカプートの騎士館を贈られた[2]。選帝侯妃がしつらえた夏の離宮も三十年戦争で破壊され、1662年になると、大選帝侯フィリップ・ド・チーセ(ドイツ語)(フィリップ・デ・ラ・チーゼとも)が選帝侯妃に与えた。この時代に建てた窓軸が2-9連なる寄棟切妻屋根のカントリーハウスの形式は、現在も外観を形作っている。

大選帝侯とドロテア妃

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1671年、大選帝侯は東プロイセンのメメルデルタ(ネマン川)にある150ヒューフェン (約2,600 ヘクタール)の土地と引き換えにブドウ園付きの地所を買い戻し、初期のバロック様式の離宮を2番目の妃ブランデンブルクのドロテアに与えた。離宮は3翼の複合施設で、大部分が現存する。拡張工事は中央投影法を使って設計し、当時のテンプリン湖の正面玄関として北側に湾曲した二重階段を備えさせた。南側の2隅にそれぞれ四角いパビリオンを足すと、小さな中庭を設けた。選帝侯妃ドロテアは当時の流行にならい窓枠に耳の形をした鼻隠しを施し、同様に、外壁は田舎らしさを演出する濃い黄土色で彩った。

東側の舞踏場の天井を高くするため、中2階のある宮殿に半階分の屋根裏部屋を増築した。選帝侯妃ドロテアも内装を豊かに整え、特に1688年に選帝侯が亡くると、もっぱら夏の離宮に居住した。拡張工事が済んだ1684年頃の様子は、舞踏場の暖炉と、唯一の署名と日付入りで選帝侯の前庭を描いた天井画(Samuel Theodor Gericke作、1687年)から読み取れる。

後継

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1689年にドロテア妃が死去すると、先妃の息子フリードリヒ3世(のちのプロイセン王フリードリヒ1世)は異母兄弟からこの城を取り戻した。翌1690年には亡父をまねて妃ゾフィー・シャルロッテに与えたところ、妃は1705年からリーツェンブルク宮殿(現シャルロッテンブルク宮殿)の建設に力を注ぎ、4年後にこちらの離宮を選帝侯に返している。

こうしてフリードリヒ・カプートのお気に入りの住居として、最も輝かしい時期が訪れる。家具を入れ替え、祝祭と狩猟を楽しむ滞在先らしく装飾を整えた中に、前庭に面した上階や磁器の間など、一部の部屋はアカンサスの強い葉で漆喰を塗り直した。

その息子で後継者のフリードリヒ・ヴィルヘルム1世は通称〈兵士の王〉とも呼ばれた。城はもっぱら狩猟のために用い、また有名な「タイル張りの広間」(Fliesensaal_Schloss_Caputh)を設けた。次のフリードリヒ2世の代には、トルコの繊維染色工場とモールスキン工場に施設を貸し与えた。庭園は18世紀後半から19世紀後半にかけて果樹の圃場(ほじょう)に転用されている。

1820年、プロシアのアウグスト・フォン・チューメン中尉は城を買い受けると、息子のヴィルヘルム(Wilhelm_von_Thümen)はペーター・ヨセフ・レンネに再生計画を立てさせ、庭園の改修を進めた。解放戦争のシーンを描いた石膏のレリーフが、舞踏場のドア開口部の上部に加わったのも、この時代にである。跡取り娘のポーリン・フォン・チューメン(1823年–1905年)は1853年にエルンスト・フォン・ウィリッヒと結婚し、不動産の所有権は1908年、遺贈を受けたフォン・ウィリッヒ家に移る。

カプートの最後の地主は、次男アルフレッド・フォン・ウィリッヒ(1862年-1941年)と、妻ヘルタ(旧姓フォン・セルヒョー、1874年-1847年)。アルフレッドは聖ヨハネ騎士団の名誉騎士であった[3]。ノイランガー・ウィッシュ邸も保有した夫妻には、娘が3人と1人息子のニコラウス(1898年–1946年)があり[4]、父に代わ理、その生前から財産の管理を始めた[5]。また、母方のシレジアの辞書の管理も任された[6]世界的な経済危機を迎えるまで、ウィリッヒ家がカプートと周辺に保有した不動産は合計625ヘクタールあった[7]

城は第二次世界大戦期にドイツの農地改革施行で国庫に没収され、建物群は1947年以降、職業訓練施設に転用された。ベルリン・ブランデンブルク宮殿庭園財団は1995年11月にこの地所を引き継ぐと、大規模な修復作業を施し、1998年からカプート城として一般公開を始めた。城と騎士館と庭園、付属の建物物のある農場は、<a href="https://de.wikipedia.org/wiki/Denkmalschutz" rel="mw:ExtLink">ドイツの歴史的建造物</a>に登録済みである。

内装

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タイル張りの大広間

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壁面はタイル貼り

大広間と地下のタイル張りの大広間(ドイツ語)の装飾は見事で、食堂は壁とアーチ型の天井などが見どころである。1720年頃にフリードリヒ・ヴィルヘルムが狩猟の集まりに備えて特注したファイエンス・タイル(オランダ)をおよそ7500枚貼り、絵付けをした青と白の釉薬に彩られる。国内最高のタイル貼りの壁面はオラニエンバウム城(ヴェルリッツ近郊)が著名で、カプート城はそれに次いで古い。金庫室もある点から、ドイツ国内ではこれらの要素が揃った最重要の例に数える。丸天井はコンクリートの梁で補強してある。欠けたり割れたりして傷んだタイルは100枚超をまとめて修復し、特製タイルは200枚ほど買い増した。

選帝侯時代の内装

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選帝侯の居屋は宮殿の東部の舞踏室に隣接し、宮殿の西側を占める寝室4間と居間と執務室2間よりも狭い。選帝侯ドロテアの時代に寝室と前室、舞踏室にバロック様式の天井スタッコと天井画を描いた宮廷画家はサミュエル・テオドール・ゲリケ(Samuel Theodor Gericke )とオーガスティン・テルウェステンで、ほぼ完全に保存されていえう(部屋番号18、23、24) 。客室はもともと貴重な革の壁紙と壁装材で装飾されていた。漆塗りの家具や磁器、ファイアンス焼きで飾り、選帝侯ドロテアが集めた彫刻はポツダム宮殿とベルリン宮殿から運ばせている。公開してある芸術作品から、宮廷と芸術の発展、1700年頃の王子のライフスタイルを感じ取ることができる。テーブルにはハート型の象牙を暗色のエボニーに組み込んだ象眼細工が施され、ベルリン市庁舎から移設した。

西の角のパビリオンには、ドロテアが作らせた磁器の部屋がある。ブランデンブルク城に住んだ最初の妃ルイーズ・ヘンリエットの磁器を揃えた飾り棚と双璧をなす。

絵画コレクション

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「オウムと女性」ウィレム・ファン・ミエリス

庭園

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レストランに転用したかつての騎士館(Kavaliershaus)
居城の庭園部は面積約3.5ヘクタールでバロック様式を採用、テンプリナー湖のほとりに佇む。レンネの美化計画は1830年から始まり、南端のハーフェル川のほとりまで、彫像や噴水、テラスガーデンを設け、果樹園を植えて修景した。川と宮殿に挟まれた庭は植栽した木は豊富だが間隔をゆったりと取り、川が見えるようにしてある。庭園の半分は野菜畑が占め、密生する茂みや低木で視線から隠してあった。レンネの原案には、実はバロック様式の修景は盛り込んでいない。わけてもシンボルツリーのように育ったの大木は後世に植えたものである。城を後継したフォン・チューメンはまた、城と川の間に騎士館を建て増した。

主な出来事

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悟り

1709年7月8日のエピファニーの一環として、ヨーロッパの王位継承者で首長の3人がカプート城に集まる。デンマーク王フレデリク4世アウグスト2世は壮大な艦隊を率いて訪れ、迎えるプロイセン王フリードリヒ1世に対し、招客2人はスウェーデンとの同盟を交渉するものの、友情を確かめ中立の協定を結んだものの、数日かかっても政治的な実効はほぼ上げないまま解散した。

文芸と城

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城はテオドール・フォンターネ作『マーク・ブランデンブルクを歩く』に詳しい評価がある。作家は城を訪問し、沿革を述べ個人的な印象を細かく述べ、冒頭は次の行から始まる。

[1]

Wer hat nicht von Caputh (so heißt das Dorf) gehöret,

Das, in verwichner Zeit, die größte Zier besaß,
Als Dorothea sich, die Brandenburg noch ehret,
Das Schloß am Havelstrom zum Witwensitz erlas.
カプート(の村名)を耳にしたことがない人よ、
時間の流れの中、最高の装飾を備え、
選帝侯ドロテアがブランデンブルクを称えた御代に、

ハヴェルストロムの城を未亡人の住居として与えた。
テオドール・フォンターネ、Wanderungen_durch_die_Mark_Brandenburg、渋谷 寿一『フォンターネ 湖に消えた町 : 「マルク・ブランデンブルク周遊記」より』東洋出版、1994年。ISBN 480967083X、 CRID:1130000794197511168。

参考文献

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  • Hans F. W. Fieck: Schloß Kaputh bei Potsdam. In: Zeitschrift für Bauwesen. Jahrgang 61 (1911), Sp. 247–260, Tafeln 25–27. Digitalisat (pdf) Bestand der Zentral- und Landesbibliothek Berlin.
  • Theodor Fontane: Wanderung durch die Mark Brandenburg. 第3巻: Havelland.
  • Generaldirektion der Staatlichen Schlösser und Gärten Potsdam-Sanssouci (Hrsg.): Der Große Kurfürst als Sammler und Mäzen. Potsdam 1888.
  • Generaldirektion der Staatlichen Schlösser und Gärten Potsdam-Sanssouci (Hrsg.): Potsdamer Schlösser und Gärten. Bau- und Gartenkunst vom 17. bis 20. Jahrhundert. Potsdam 1993.
  • Harri Günther: Peter Josef Lenné. VEB Verlag für Bauwesen, Berlin 1985.
  • Tita Hoffmeister: Caputh. Nicolaische Verlagsbuchhandlung, Berlin 1991, ISBN 3-87584-423-8.
  • August Kopisch: Geschichte der Königlichen Schlösser und Gärten in Potsdam, Berlin 1854.
  • Hellmut Lorenz (Hrsg.): Berliner Baukunst der Barockzeit. Die Zeichnungen und Notizen aus dem Reisetagebuch des Architekten Christoph Pitzler. Berlin 1998.
  • Gerd Schurig: Der Park des Schlosses Caputh. In: Nichts gedeiht ohne Pflege. Die Potsdamer Parklandschaft und ihre Gärtner. Ausstellungskatalog SPSG, Potsdam 2011, S. 24–29.
  • Gerd Schurig: Garten, Caputh. In: Bund Heimat und Umwelt in Deutschland (Hg.): Weißbuch der historischen Gärten und Parks in den neuen Bundesländern. 2. überarb. Aufl., Bonn 2005, ISBN 3-925374-69-8, S. 51 f.
  • Gerd Schurig: Caputh Schlossgarten. In: Peter Joseph Lenné, Parks und Gärten im Land Brandenburg, Werkverzeichnis. Hrsg. BLDAM und SPSG, Wernersche Verlagsgesellschaft Worms 2005, S. 40–43.
  • Claudia Sommer: Das Schloß Caputh. In: Carmen Hohlfeld: Caputh und die Caputher. Ein kulturhistorischer Streifzug. Ed. Gemeindeverwaltung Caputh, Caputh 1992, S. 22–32.
  • Stiftung Preußische Schlösser und Gärten (Hrsg.): Königliche Schlösser und Gärten in Brandenburg: Schloss und Park Caputh, 執筆:Claudia Sommer, Petra Reichert, Gerd Schurig. Deutscher Kunstverlag, Berlin/ München 2009, ISBN 978-3-422-04011-3.
  • Peter Jochen Winter: Staunen wo einst die Majestäten zechten. Phönix aus Potsdam: Das restaurierte Schloß Caputh öffnet die ersten Räume. フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング. vom 16. Oktober 1998.

外部リンク

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脚注

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  1. ^ Schmidt, Julia (1999年9月10日). “Sanierung kostete neun Millionen Mark-Erstmals alle Räume zugänglich. Schloss Caputh wird wieder eröffnet.”. Berliner Zeitung. 2015年12月20日閲覧。
  2. ^ Adolf Friedrich August von Rochow (1861). Nachrichten zur Geschichte des Geschlechts derer von Rochow und ihrer Besitzungen. Ernst und Korn. pp. 64. http://diglib.hab.de/wdb.php?dir=drucke/alv-f-10-2f&pointer=71 
  3. ^ Liste der Mitglieder der Brandenburgischen Provinzialgenossenschaft des Johanniterordens 1935. Eigenverlag. (1935). pp. 18. http://kvk.bibliothek.kit.edu/view-title/index.php?katalog=STABI_BERLIN&url=http%3A%2F%2Fstabikat.de%2FDB%3D1%2FCHARSET%3DISO-8859-1%2FIMPLAND%3DY%2FLNG%3DDU%2FSRT%3DYOP%2FTTL%3D1%2FSID%3D1cad20c7-3%2FSET%3D1%2FSHW%3FFRST%3D1&signature=F8jrPrlb7NO3-2-Y6q5us1G6kxRSuPNUJGSYjrDQbdM&showCoverImg=1 
  4. ^ Walter v. Hueck (1985). Genealogisches Handbuch des Adels B. XVI. C. A. Starke. pp. 492-493. http://d-nb.info/850828252 
  5. ^ Siegfried von Boehn, Wolfgang von Loebell, Karl von Oppen (1970). Zöglinge der Ritterakademie zu Brandenburg a. H.. Teil: Forts. u. Erg. 2., 1914 - 1945. Gerhard Heinrigs. pp. 60. http://d-nb.info/720252679 
  6. ^ Schlesisches Güter-Adreßbuch. Verzeichnis sämtlicher Rittergüter sowie der größeren Landgüter der Provinzen Nieder- und Oberschlesien (15. ed.). Wilh. Gottl. Korn. (1937). pp. 696. https://www.google.de/books/edition/Schlesisches_G%C3%BCter_Adre%C3%9Fbuch_Oberschle/lCMSEAAAQBAJ?hl=de&gbpv=1&dq=Nikolaus+von+Willich+Caputh&pg=PA696&printsec=frontcover 
  7. ^ Ernst Seyfert, Hans Wehner (1929). Landwirtschaftliches Adressbuch der Rittergüter, Güter und Bauernhöfe der Provinz Brandenburg. VII. (4. ed.). Reichenbach. pp. 171. https://martin-opitz-bibliothek.de/de/elektronischer-lesesaal?action=book&bookId=0010141-4-1929#lg=1&slide=212 

座標: 北緯52度20分56.8秒 東経13度0分2.57秒 / 北緯52.349111度 東経13.0007139度 / 52.349111; 13.0007139 (DE-BB)ランドマーク [[Category:17世紀の建築]]