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利用者:Nishou888/sandbox

五十稲荷神社
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所在地 東京都千代田区神田小川町3-9
位置 北緯35度41分39.3秒 東経135度45分43.3秒 / 北緯35.694250度 東経135.762028度 / 35.694250; 135.762028 (Nishou888/sandbox)座標: 北緯35度41分39.3秒 東経135度45分43.3秒 / 北緯35.694250度 東経135.762028度 / 35.694250; 135.762028 (Nishou888/sandbox)
主祭神 倉稲魂命
社格 (旧村社)
創建 不明
本殿の様式 木造切妻造
別名 栄寿稲荷神社
例祭 4月15日
地図
五十稲荷神社の位置(東京都内)
五十稲荷神社
五十稲荷神社
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五十稲荷神社(ごといなりじんじゃ)は東京都千代田区神田小川町に鎮座する[1]稲荷神社である。慶長年間に伏見稲荷大社より分霊し祭られたのが発祥であり、安産祈願の神社として知られ、徳川家からも信仰された。別名、栄寿稲荷神社

概要

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祭神は倉稲魂命(ウカノミタマ)である。発祥は京都府伏見稲荷神社から分霊、慶長の頃より神田小川町に鎮座する。正徳の頃、戸田家によって、旧戸田領栃木県足利市雪輪町御陣屋大門に奉られていた稲荷大神をも合祀する。 俗称である五十稲荷の名称は、旧戸田領足利市の織物市が五、十の日に行われており、、この両日と初午祭に一般の参詣者を招き入れたことに由来する。

社殿の焼失と再建

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1923(大正12)年の関東大震災により全焼したが、東京市土地区画整理が行われたことにより、昭和3年、現小川町3-9に移転し、本社が再建される。同20年の空襲により再び全焼、同21年に仮社殿・社務所が再建される。その後、同37年に鳥居建立、境内地ブロック塀も建設され、同54年には鳥居が再建された。

境内

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境内の面積は132m²(40坪)と非常に小さく、神保町駅の東南に位置する。 また、境内には木造二階建ての社務所と、いくつかの狐像がたたずんでいる。この狐像は、五十稲荷を含め、多くの建物が消失した空襲を生き延び、この神社を見守っている。

周辺

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参考文献

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  • 千代田区教育委員会『千代田区の稲荷:区内報告書』千代田区教育委員会、2008年
  • 『新撰東京名所図会』第二十編 神田区之部上巻
  • 東京都神社庁『東京都神社名鑑 上巻』東京都神社庁、1986年
  • 佐藤テツ『東京街角 お地蔵・稲荷・石塔めぐり‐散策地図付き‐』廣済堂、2013年
  • 『東京名所図曾 神田区の部』睦書房、1968年

脚注

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  1. ^ 鈴木謙一 2013, p. 23.