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田原 玄周(たはら げんしゅう、文化12年 (1815年)- 明治2年10月8日 )は、幕末の長州藩士、萩の蘭医で西洋軍学者。別名は絅、尚郷、周蔵。父は三田尻の医者である萩藩医秀安。子の玄章は好生堂舎長。箕作阮甫、伊東玄朴に師事する。「簡明」の校者でもあり、吉田松陰に蘭学の初歩を伝授したという。松陰の弟の杉敏三郎は耳が聞こえなかったが、治療を担当したという手紙が残っている。