利用者:Nekosuki600/いわゆる暴言なるものについて
いわゆる暴言なるものについて
[編集]なんかここのところ「Nekosuki600の暴言」を理由とするブロック依頼だのコメント依頼だのが続出しております。それらの依頼についておれは個々にリアクションをする必要性を感じていませんが(「面倒だから放置」と述べたところ「対話拒否」とか言われてしまい頭を抱えていたりしますが(=^_^;=))、まあいろいろ疑問に思っている方がおいでになりそうなので、スタンスの説明をしておきます。
対話をする際にどういう口調で行うのが良いのかについては、これまでにもいろいろ話題が出ていました。どこでどういう意見が出ていたかを精査するのは面倒なのでそれはパスします。で、おれとは意見が異なるのは「常に礼儀正しい口調でなければならない」とする側なので、そういう主張に反対する意見についてのみ言及しますが、まとめるとおおまかなところこんな感じだったでしょうか。
- ざっくばらんな口調が常に否定されるべきものだとは思わない。
- 常に慇懃な表現でなければならないと言われたら息が詰まる。
おれはまあ、意見としては前者。フォーマルな会議とかを苦手としているわけでもありませんので。
でだ。しばしば見かけることなのだが、とおれは受け止めているのだが、「意見が対立し、他につっこみようがなくなったときに、口調を問題とする批判・攻撃が行われる」という現象におれは注目しています。言い換えれば「とにかく言い方が気に入らない」ってやつだね。
まあ「相手方に批判の口実を与えるな」というおれに向けた批判があることは知っており、その批判には一定の耳を傾ける価値があるとは思っていますが、口調問題ってそれ以上のものではないと、おれは受け止めています。
おれは思うんですがね。じゃあ慇懃な口調で厳しい批判を受けたなら、口調が慇懃だという理由でそれに納得するのか。しないと思うんですよねえ。同じ内容のことを「ざっくばらんな口調」と「慇懃な口調」で言われたとき、「ざっくばらんな口調ならば納得しないが、慇懃な口調なら納得する」という差がある場合には、口調問題は重要かもしれません。しかし「いずれにせよ納得しない」んだったら、口調問題は関係ないような気がする。
Wikipediaなんてもんは「記事ページに情報をどれだけ有益な提供できるか」が問題となる場所のはずです。そのためにはさまざまな意見交換が必要になるだろう。その意見交換は、その時々の雰囲気や参加者を基盤に置いて適宜やれば良いものであり、常に慇懃にやらなきゃならんというものではないだろうと、おれは思います。ついでに、常にストレートにやらなくちゃいけないものだとも思わない。特にお子様案件なんかでは顕著なんだが、間違いを真正面から間違いだと指摘してやりこめちゃうような方法論が好ましいものなのかどうかもわかりません。ざっくばらんな口調から慇懃な口調までの広いダイナミックレンジの中から適切なものを選び、また穏やかな妥協から厳しい対立までの広いダイナミックレンジの中から適切なものを選び、その中で意見交換を行い合意を形成していきゃいいんじゃないんでしょうか。
おまけ。
よくわからないんですが、「命令形(例:スタブタグでも貼っておけ、など)」や「常態表現(例:それは違う、など)」をもって「暴言」と受け止めているらしい方もときどき散見されます。このあたりになると、いったいどういう日本語教育を受けてきたのだろうという疑問で応じるよりほかはありません。
意見があればこのページのノートへどうぞ。全ての意見にいちいち丁寧に返事をするとは確約しませんが。--Nekosuki600 2009年7月26日 (日) 07:52 (UTC)