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松原神社(まつばらじんじゃ)は兵庫県西宮市にある神社(天満宮)である。
祭神
[編集]菅原道真公
由緒
[編集]古くから松原天神と呼ばれ、通称名は松原天満宮である[1]。松原神社の社伝には、九州筑紫に向かう途上の菅原道真公がこの松原の地で休泊されたこと、太宰府で薨去(こうきょ)された後、道真公を祀る祠が建てられ、道真公が好きだった梅の木は「梅林が賑わう」ほど多く植えられていたことが記されている。延喜元年(901年)、道真公は左遷され太宰府に向け船で移動していた。当時の松原は海辺が近く[2]、万葉集でも詠まれた松林が美しい入江の景勝地であった。
歴史
[編集]平安時代末期の治承年間(1180年前後)に後白河法皇が編者となって成立させた歌謡集「梁塵秘抄」には「南宮のお前に朝日さし、兒のお前に夕日さし、松原如来のお前には、官位昇進の重波ぞ立つ」と歌われている。この松原如来は松原天神のことだという[1]。
平安時代末期から鎌倉初期までに成立した古辞書・伊呂波字類抄(橘忠兼著)には松原大日と記されている。
治承4年(1180)、中山忠親が山槐記に「未の刻野田に着す西宮松原如来東北五六町にあり前ノ大相国御座なり雑事を申し承る」と記し、松原如来の近くを通ったことを書いている。
松原
[編集]平安時代、この付近は海近き津努の松原の地点であった[3]。国土交通省の資料では ”津門(つと)では海が入りくんでいた[2]” と説明されている。
万葉集でも松原が海辺にあったことが歌われている[4]。
第17巻3899番歌 海人娘子 いざり焚く火の おぼほしく 都努の松原 思ほゆるかも(現代語訳:海人の娘たちが夜釣りに焚く火のようにぼんやりと、角の松原が思われることだ[5]。)
松原は3巻に「角の松原」、17巻に「津努の松原」と詠まれた景勝地であった。「摂津名所図会」は津門・西宮の間にある古松二〇本ばかりの林を松原の旧跡とする[6]。
喜多向稲荷社と染殿池
[編集]松原神社の鳥居側の道路を挟んで南側に喜多向稲荷社があり、ここは漢織呉織伝承地(染殿池、小沢種春の句碑、喜多向稲荷社)として文化庁の調査で西宮市内の名勝地七ヵ所[7]の一つに選ばれている。大陸から生地染め・機織りの技術を持った女性たちの織工集団が渡来し、松林だった松原に上陸したと言い伝えられる。呉服神社(池田市)の社伝[8]にも同様の言い伝えがある。漢織・呉織が糸を染めたという染殿池が現存しており、稲荷社の前に石碑が立っている。この西宮の文化遺産を後世に残すべく、有志が歌『染殿池ものがたり』や動画を制作し公開している[9][10]。
主な祭事
[編集]境内社
[編集]現地情報
[編集]交通アクセス
[編集]周辺
[編集]- 廣田神社
- 西宮神社
- 津門神社 (西宮市)
- 海清寺(六湛寺町)
脚注
[編集]注釈
[編集]外部リンク
[編集]- ^ a b “松原神社”. 兵庫県神社庁. 2024年1月8日閲覧。
- ^ a b “六甲の川物語 - 夙川物語 (8頁目)”. 国土交通省近畿地方整備局. 2024年1月8日閲覧。
- ^ “えびす信仰資料 - 西宮神社の研究(97頁目)”. えびす宮総本社・西宮神社(公式). 2024年1月8日閲覧。
- ^ “万葉集(南西部)- 松原神社付近”. 西宮市. 2024年1月8日閲覧。
- ^ “万葉百科 - 歌詳細”. 奈良県立万葉文化館. 2024年1月9日閲覧。
- ^ “津門村”. コトバンク. 2024年1月9日閲覧。
- ^ “西宮市政ニュース 平成26年(2014年)5月25日”. 西宮市役所. 2024年1月10日閲覧。
- ^ “呉服神社について”. 呉服神社. 2024年1月10日閲覧。
- ^ “有志の手によって復活した歌『染殿池ものがたり』- 西宮流”. 合同会社 西宮流. 2024 01 10閲覧。
- ^ “染殿池ものがたり2021”. YouTube(ユーチューブ). 2024年1月10日閲覧。