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利用者:Nami-ja/私論/秀逸な編集者

過去に非常にお世話になった秀逸編集者が無期限ブロックとなったことに関連して思うところを。この方の誇りはWP:GAWP:FAに達する記事を「個人で」作り上げたことに集約され、またあらゆる行動の論拠にこれが在ったものと思われる。

が。所詮、ウィキペディア上の秀逸、良質記事はウィキペディア上の編集者同士が査読したもので、所謂古参、うるさ型の編集者が執筆したものであれば自然査読者自体が減り閑散としていくのが世の道理ではなかろうか。誰もが相手に罵声を浴びせつつ激論を交わすことを是とするものではない故に。これがウィキペディア外の著名文学者などその道の権威が査読に関わったならば個人業績として誇るのも道理と思うが、所詮、ウィキペディア内部での仲の良い編集者同士の自画自賛に陥ってはいないだろうか。それ故に衰退している現状が有るのではなかろうか。

そもそも、WP:GA、WP:FA共に「記事」に対して与えられる賛辞であり、記事には「多数の編集者が関わってより良いものに作り上げて行くこと」がウィキペディアコミュニティの大前提で在り、個人でそのような記事を書ける執筆能力は誇っても構わないだろうけども、他者より圧倒的であるかどうかについては賛否あるのではなかろうか。例として挙げるならば、1人の最優秀執筆者と100人の優良執筆者が同時にそれぞれ1つずつの記事に関わった場合、どちらがより短い期間で完成に近づくか。「ウィキペディアは逃げない」ので、掛かる時間を無視して個人でそのような記事を作り上げることそのものについては是であろうけども、1人のみで書いたからこそ常に100人より上位能力を持つ、というのは前提条件で勘違いしているのではないか。

議論に際して時に白熱し暴言を交えた厳しい内容での激論に発展することは、真剣に議論に参加すればこその議論姿勢でありそれ自体は責められないが、安易な暴言が他者を萎縮させる側面を無視してまでそこに固執したのは何故か。暗に、自身こそ最優秀執筆能力を持つ優位者である故に暴言を吐かれたくなければ同じ業績を重ね同じ立ち位置を得よ、という先達の傲慢ではなかったか。そこを重視しない他編集者の価値観を敢えて無視して居なかったか。

もはやウィキペディアは唯一の多人数参加型インターネット百科事典ではなく、そもそも個人で誰でもいつでもMediaWikiを無償で立ち上げることも容易な現在、そのようにウィキペディアの他編集者と頻繁に軋轢を繰り返している自覚があり、また自身が不当に貶められていると感じておられたのならば、もっと早期に自らウィキペディアを離れ、自身に賛同する他編集者を引き連れて優秀編集者以下の編集を全面禁止する形のウィキを立ち上げれば良かったのではなかろうか。幸いにして、ウィキペディアの記事はWP:CC-BY-SA/jaでどこにでも転記可能故に、過去に自身が書いた実績全てを新規に立ち上げた自分専用ウィキに移出することも可能であるので、立ち上げ当初の記事群に苦労することはなかろう。そこを閲覧する読者数はまず皆無であろうけども。

もし読者数目当てでウィキペディアに参加することが前提として在ったのならば、尚更何故にウィキペディアのコミュニティと反目を重ね、このような状況に陥る道筋をご自身でせっせと整備されたのかと、それほどまでにコミュニティの総意を見縊って居られたのかと、その点が残念でならない。

最後に、これまでのウィキペディアへの貢献と、個人的に10年もの長期間に渡り多方面で多大なお世話を得たことに深く御礼申し上げる。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年12月25日 (日) 13:30 (UTC)